銀桂・短編

□メッセージを君に。
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 長めの肩掛け鞄を尻の後ろでぱかぱかと言わせながら駆け足で坂道を下る。雲ひとつ無く晴れ渡った空に、手にした折り畳み傘がアホらしい位に間抜けだった。

 二日おきの気まぐれな雨に振り回されるこの季節に、太陽も意地を張っているのかたまの出番はこうして一足早い初夏の訪れを主張している。銀時は汗で張り付く制服のYシャツの、第二ボタンを走りながらに外した。


 坂を下りきれば、トラックとタクシーの行き交う大通りに出る。
 赤信号の間も焦る気持ちだけが先走って、その場で足踏みをして通りの向こうに目的の人物を探した。まだこの場所からは遠くて見えない。

 信号が青に変わると同時に再び走り出す。擦れ違うスーツの大人たちはハンカチで汗を拭いながら、何だか人生に疲れたような猫背で歩いていた。元気だねぇと誰かが呟いた気がするけれど、構わずに走り抜ける。

 横断歩道の向こうには、同じ高校の下級生達がたむろしていた。ほんの少し下着を透けさせたセーラー服の下に、無理矢理にぐるぐると巻き上げられて短くなったスカート。一昔前に流行ったルーズソックスというやつの代わりに、本体よりも重たそうなたくさんのストラップをじゃらじゃらと引っさげた携帯電話と、少し背伸びをしたOL向けファッション雑誌の付録のシュシュが彼女たちのトレードマークだ。
 人通りのあるその場所で明らかに通行の邪魔をしている彼女達は、けれどもその年頃特有の無敵な連帯感によって、公共のその一角を見事に自分達の縄張りに納めていた。

「あ、銀時先輩」

 彼女達を無視して歩道の手摺を勢い良く飛び越えた時、武装女子集団の中から聞き覚えのある声が上がった。

 振り向けば、金髪の長い髪の片側を少しだけ高い位置で結んだ口うるさい後輩が、切れ長の目をくりりと丸くさせている。


「また子。ちょうど良いや。ヅラ見なかった?」

「桂先輩? さっき駅の方歩いていったっスよ。っていうか、いい加減晋助先輩にメアド教えて下さいよ! こないだも桂先輩の尾行してあげたんスから!」

「悪ぃ、今超急いでっから」

「あっ! 逃げるッスか先輩!」

 走り出してから、追い縋ってきそうなまた子に、銀時はバトンのように持ち続けていた折り畳み傘を投げつける。「それ高杉が二年の時授業中居眠りで枕に使ってた傘! 涎つき!」それだけ言えば「マジっスかァァァァアアッッ!!」と黄色いというより野太い歓喜が背後で湧き上がった。

 体育の授業よりも必死に全身を動かして走る。肩掛け鞄がずり落ちそうになって何度もかけ直した。そのうちに邪魔になって肩から外して、脇に抱える。

 駅の階段を二段飛ばしで駆け上がった。
 走りながら尻ポケットの財布を引っ張り出して、改札も勢いを落とさずに通る。聞き飽きた陽気なメロディと共に、電車が参ります、という機会音声のアナウンスが響いた。

 今度は転げるように階段を降りる間に、到着した電車から降りた人々が銀時の前方から押し寄せる。「すんまっせぇーん!」鞄を両手で頭の上に上げながら声を上げて、人並みを縫うように進んだ。

 ようやくホームへ辿り着いた時、三両分向こうの自販機の前、いつものその場所からまさに電車へ乗り込もうとする目当ての人物を見つける。


「ヅラァーッ!! ストップ!! 待って待って!!」


 腹の底から叫べば、もう片足を電車内へ踏み込ませていた桂が振り向いて目を丸くした。桂は慣性的に電車へ乗り込んでしまい、扉が閉まる。けれども階段から一番近い車両へ駆け込もうとした銀時に合わせてか、扉はもういちど、一瞬だけ開いた。そこから桂が滑り降りる。

 混み始めた電車の中から迷惑そうな視線を受けながら、銀時はその場にへたり込んだ。肩で息をするけれど胸が張り裂けるくらいに苦しい。思えば居残りのプリントを提出して、飛び出してきた教室からここまで、信号とまた子とのやり取り以外では一切気を抜かずに走ってきた。全速力でこんなに走ったのなんて初めてだった。


 滑るように走り出した電車とは反対方向、つまり銀時の方へと向かって桂が小走りに駆けて来る。

「銀時、どうした」

 まだ若干丸くしたままの瞳で、桂は銀時の前にしゃがみ込んだ。この暑いのにきっちりと第一ボタンまで止めて、お手本のようにぱりりと制服を着こなしている桂に対し、銀時のほうは色々と憐れな姿になっている。

 桂は保育園から中学まで、銀時の隣の家に住んでいた幼馴染だ。
 銀時は記憶の無いくらい昔に両親を事故で失っている。孤児になりかけていた銀時を拾ってくれたのは、親戚筋の松陽だったのだが、これ以上迷惑はかけられまいと高校の進学と同時に銀時が独り暮らしを始めた事で、桂とは離れ離れになってしまった。

 それでも運良く高校が同じ最寄り駅で、銀時の新居も元々の駅から一駅のため、時間が合う(ように銀時が努めて早起きをしている)時はそれまでと同じように登校を共にしていた。

 それぞれに入った剣道部でも、近隣校のおかげか合同練習が多く、それなりに顔を合わせることは多かったのだが、桂が三年生になりめっきりと受験モードに入ってしまったことと、銀時が新しく始めたバイトのせいでここ一ヶ月ほどは微妙な距離が出来てしまっている。

 たかだか一ヶ月とは言え、青春まっさかりの高校三年生である自分達にとって、その一ヶ月は一生に一度しかない一ヶ月なのだ。

 ごくり、と唾を飲み込み、ようやく息が落ち着いてきた頃、桂が学校指定の肩掛け鞄(銀時のとは違い、ショルダーの紐が短くて片方の肩にしかかけられないやつだ。また子率いる女子軍は同じような鞄を無理矢理リュックサックのようにしていた)から、エリザベス柄の保冷ポーチに包まれたペットボトルを差し出してくれた。

 ジュースの回し飲みなんて、また子とだって良くするのに、何となく桂から手渡されると一瞬構えてしまう。子供の頃はそんなことを気にしたことは無かったのに。

 ペットボトルをこちらへ突き出しながら、桂が小首を傾げた。間接キスだとかそんなことは全く気にもしていないらしいきょとんとした顔に、銀時は自分だけが意識していることに悔しさを覚えて、桂からペットボトルをひったくるようにする。

 ひんやりと冷たい水を喉に流し込み、「さんきゅ」と返せば、「なんだ、これだけ残して」と一口分だけ中身の残ったペットボトルに桂が唇を尖らせた。
 
 きゅ、と蓋を開けなおし、残りの水を桂がぐいと飲み干す。自分が飲んだのと同じ場所に桂の唇が触れているのをちらりと盗み見て、銀時は「あっちぃ……」と誤魔化すようにYシャツの襟で首を扇いだ。

「で、どうしたんだ。何か用か?」

 飲み干したペットボトルを鞄に仕舞い直し、立ち上がった桂が手を差し出す。その手に助けられながら銀時も立ち上がって、久しぶりに繋いだ冷たい手の平に「用っていうか」と少し高鳴った胸を銀時は後頭部を掻いて諌めた。

 脇に抱えたせいで汗に湿る鞄の蓋を開く。
 ぐしゃぐしゃになったプリントの山の中から、小さなクリアファイルを探した。「銀時……、相変わらず教科書を学校に置きっ放しにしておるのか……」覗き込んだ桂が若干呆れたように小言を言うので、うるせぇな、と小さく返す。

 程なく、角が少し折れてしまったファイルが見つかった。
 その中に入ったチケットを引っ張り出して、桂へ突き出す。
『劇場版・哀愁のエリザベス 〜その白さのワケ〜』と書かれた二枚組みのプレミアム鑑賞券(公開初日)を目にした途端、桂の顔色が変わった。


「銀時! 何だこれは!! 一体何処で手に入れた!! ネットでも即日完売でもう手に入らないとばかり――」

「オークションだよオークション」

 予想通りの桂の反応に、銀時はにやりと笑う。「五時からの指定席だけど」と銀時は携帯電話の時計表示を確認した。すぐに反対のホームに行って、急行電車に乗って、ぎりぎりの時間。

「まさか、わざわざ俺を誘うために走ってきてくれたのか……?」

 うるる、とした瞳を桂が向ける。「俺を追ったせいで映画に間に合わなくなってしまうかもしれないのに、お前という奴は……」桂は感極まったようにチケットを両手で握り締め、頬を染めて銀時を上目遣いに見詰めてきた。いや、俺ぶっちゃけこの映画興味無いんだけど、と出かかった言葉を飲み込んで、「何言ってんだよ、俺とお前の仲だろ?」半ば棒読みで胸を張ってみせる。
 それに。


「それに、今日……その……お前の誕生日じゃん?」


 そこだけは上手く平坦に言えず、照れくさくなって銀時は桂から目を逸らした。

 オークションのチケット代は限定公開のせいもあったためか公式価格の十倍を超えていて(一体どれほど魅力のある映画なのか銀時には理解できないけれど、広い世の中には桂のようなコアなファンがそれなりにいるらしい)、春休みに坂本や高杉と遊び呆けたせいで懐のすかすかだった銀時は、新学期早々こっそりと夜間のバイトを増やす羽目になった。

 とりわけ金回りの良い二人とつるんでいるせいもあるけれど、銀時も意地があるのでつい、武士は食わねど何とやらを敢行してしまったのだ。本日の補習プリントも、連日のバイトによる居眠りが祟った。
 
 体力的にはかなりきつかったのだけれど、今はそれ以上に清清しい気持ちでいる。


 自分で働いたお金で桂へプレゼントを買うのは、これが初めてだった。


「銀時……!」

「うわっ」


 突然桂が銀時へと勢い良く飛びついた。
 汗ばんだ体を気にもせずに、首のあたりに抱きつかれて銀時はたじろぐ。「ちょっ……おまっ、ちょっ!」言葉にならない言葉で喚いて、一気に顔に熱が集まった。

 こんなに暑いのに、桂からは昔と変わらない、ひどく涼しげで優しい、紫陽花のような匂いがする。
 随分と久しぶりに触れ合った髪も、ずるいくらいに滑らかに銀時の胸を絡め取って行った。





「…………ありがとう」





 耳元で、小さく呟かれた声はどこかまだ幼くて、





「…………うん」




 手離しでこんなにも喜んでもらえることが、自分で想像していたよりももっとずっとずっと、嬉しかった。


 駅のホームに、また、聞き慣れたメロディが響く。「あっ!」銀時は大声をあげ、慌てて桂の手を引き走り出した。先ほど苦労して降りた階段を駆け上る。

「次の電車乗らねぇと間に合わねぇっ!」

「ちょっ、ちょっと待ってくれ銀時っ、速いっ!」

 速い、と言いながらも銀時に食いついて駆ける桂は、体が動かし辛かったのかきっちりと着込んだYシャツの第一ボタンをようやっと外した。
 生っ白い鎖骨の窪みが見えて、銀時は慌ててそこから目を逸らす。女子軍の巻き上げられたスカートの下で大安売りしているパンツなんかよりも、銀時にとって桂の首元のほうが余程刺激的だった。


 反対のホームへ二人で駆ける。
 電車が滑り込んでくるのが見えた。急げ急げと必死に声を上げて、駆け込み乗車はご遠慮下さいという駅員さんの声に、今日だけだからと言い訳を返す。


 あの電車に間に合ったら。
 きっと今日は、銀時にとってこれ以上には無い記念日になる。

 桂の握るチケットの裏側に、こっそりと書いたメッセージ。これに桂が気付くのはきっと、映画が終って、家に帰って、いつものようにスクラップ帳へと半券を大切に保管しようとした時だろう。





『ヅラへ。



  誕生日、おめでとう。






 あと俺、ずっとお前のこと、好きでした』






 気付いてくれたら、今度こそちゃんと、自分の口で伝えるんだ。
 臆病者だと言われても、今日のこの日のために頑張った自分へ、ほんの少しだけ手を貸して下さい、と柄にも無く神に、



 ――違う。きっと、エリザベスに祈って。



 

 走りながら繋ぐ手が、ぎゅっと握り返してくれるから、

 その手がどんなに汗に濡れても、銀時はそれを絶対に離さなかった。









高校生銀桂の、青臭いというか、汗臭い感じの桂お誕生日SSでしたっ。
祝うというか、何だか目的が別のものに変わっちゃってる感が否めないですが…

ともあれ、桂さんお誕生日おめでとうございますっ!!

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