銀桂・連載
□20年目のプロポーズ
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例年に無い暖冬だった。
風情がないねぇと顔を顰めるお登勢に、ババァにゃ優しい冬だろうがよ、と酒を仰げば、女ってのは幾つになっても浪漫が欲しいもんなのさ、と返された。うぇえ、とわざとらしく気味悪がって見せる。
「け。誰が女だ。世の中の人間はなぁ、ガキに大人に、男と女、その中間。それからジジィババァっつぅ七種類で構成されてんの。女とババァは別の生き物なんだよ。…それに浪漫だなんだ追っかけんのは、男の特権だろ」
「随分口が回るね。まだ酔いが足りないんじゃないかィ?」
「ばーろー。酒なんかに酔ってたまるかっつぅの」
しかし言ったそばからヒック、と横隔膜がひっくり返る。あーもう俺も男からジジィになりかかってんのかね。そんなことをブツブツ垂れれば、何言ってんだィ若造が、と意外にもフォローを入れられた。年の功ってもんは末恐ろしい。誤魔化すために、いつもの鼻歌を歌う。
何だか目が回ってきてカウンターに突っ伏す。このまま眠れたらさぞ気持ち良いに違いないのだが、その前にがしり、と肩を組まれた。うろんげに顔を向ければ、こちらも良い感じに出来上がった長谷川が、ほらほらと勝手にまた酒を足して注いでくる。
「銀さん、なんであんたは、酔うといっつも子守唄ばっか歌うんだよ、まだ大人の寝る時間じゃねぇって。そうそう、ちょうど良いや、目が覚めるような、耳寄りな情報があるぜ」
「何〜、遂にサンタがパチ屋にも来てくれるって?」
「違ェよ、いやなぁ、実は今年のクリスマスは、やっとこさのホワイトクリスマスらしいんだ」
長谷川が胸を張る。
長谷川はすぐに目線をお登勢の方へ向けたが、残された銀時は目を瞠っていた。ホワイトクリスマス。
長谷川が「浪漫だろ?」と言いつつ、お登勢からのもらい煙草を咥えて火を点けた。「そりゃ本当かィ」とお登勢が食いつく。どこで仕入れたのか分からないその情報の確実性を説明する長谷川の口から、結野衆が、という単語が飛び出てきたので思わず起き上がって長谷川の胸倉を掴んでいた。
「マジなの、それ」
「何だよ、銀さんあんたまだ結野アナ追っかけて「違くて」」
途中で遮って、一つ深呼吸をしてから「クリスマスに、雪が降るの」疑問系だか何だか微妙に分からないトーンで聞いた。
「お?銀さん、興味あるの?やー、マジらしいよ?」
「どんぐらい。積もるの」
「うん、なんたって、イヴの晩から大雪も大雪で、そりゃもうここいらの地域じゃ半世紀ぶりの豪雪だってんだ」
「ババァ、半世紀前どうだったよ」
「あぁ。そういや昔、あったねぇ、すごいのが。…北から来た奴が、せっかく出てきたってのに、これじゃ故郷と変わらねぇって嘆いてたよ」
「まぁ、そういうことで、建物の増強とか規制とかさ、どーんと特別対策予算が降りたっつぅんだ。こりゃ江戸もちっと騒がしくなるぜ」
「……そう」
もそ、と長谷川の襟を解放し、カウンターに向き直る。すっかり酔いの醒めた頭で、古い記憶を呼び起こした。勘違いじゃなければ、今年は。
「まぁ、だから新しい商売なんかもワッと増えるだろう?今年は稼ぎ時になるぜ。…そんでな、そのホワイトクリスマスの仕事の後に、実はハツと約束してんだよ」
「何だィ。いよいよ元の鞘に収まるってのかィ?」
「いやぁ〜、そうなれたら良いなって話よ?でもこれ、雪の力も借りちゃって、今度こそイケるかなみたいな?アハハ!…って、銀さん〜、聞いてくれよぉ〜、何そんな真面目な顔してんの、似合わねぇよ〜?」
でれん、と纏わりつくように再び肩を組んでくる長谷川を「ちょ、俺それどころじゃねぇかも」と押し返して立ち上がる。
やっぱりそうだ。
今年は、ちょうど二十回目になる。
だから、何というわけではないけれど、何か見えないものが無理矢理背中を押してくるような焦燥感に駆られて「便器の外には吐くんじゃないよ」と割りと的外れな注意を受けつつ、流れでそのまま厠へと向かう。
ばたん、と扉を閉めれば途端に静かになった。
ジジジ、とシャツのジッパーを下げて襟を開ける。左胸の裏地に、手縫いでつけた内ポケット。そこから、小さな布袋を取り出した。
白い絹の袋。自分の手の平よりも小さなそれをしばらく見つめて、思い切ってその細い紐を解いた。
摘んで取り出したそれが、きらり、と銀色に光る。同じ、大きさの違うものが、二つ。
それを手の平にまた握りこんで、目を閉じて息を吐いた。柄にも無く、心臓が鳴る。
もう、随分と前だ。
もし、
もし、自分がどこかの町に腰を据える日が来て、
その町に、雪が降ったら。
……それも、何でもない日じゃだめだ。
あいつの誕生日、有り得ない。自分の…、難しいだろう。元旦は?違う。バレンタインとか、だめだなんかパンチが無い。
じゃあ、クリスマスに。
クリスマスに、たくさんの雪が降ったら、
―――この、指輪を渡そう。
そう、決めていた。
桂と出逢って、
桂だと決めてから、
今年はちょうど、二十年目の冬になる。
「そんな訳で、今年はお通ちゃんのクリスマスライブは中止なんですって」
あ〜あ、と肩を落とすと、あらそう、と気の無い返事が返って来た。鼻を穿りながら器用に子守唄を口ずさみつつ、ジャンプに目を落とすこの家の主人に、なんだか一年中この人って同じことしてんなぁと思いつつ新八は茶を啜った。温かいお茶が胃に染みる。
12月も二週目に入り、いよいよ急激に寒い日がちょこちょこと訪れるようになった。
「銀ちゃん、今年のクリスマスはチキンが食べたいネ」何故かシュッシュッとシャドウボクシングを決め込みながら神楽が言う。あらそう。同じ返事を返してジャンプをめくる銀時。変わらない光景。
「神楽ちゃん、チキンなら銀さんじゃなくて、サンタさんに頼んだほうが良いよ」
若干含みを込めて神楽に耳打ちをして、僕はサンタさんに何を頼もうかなぁなんて白々しく言って見せる。別に返答を期待したわけではなく、何となく。なのに、
「じゃあお前ら、銀さんには何頼むつもり」
思ってもいない言葉が戻り、え、と銀時の方を見た。神楽もピタリ、と動きを止めて同じ方を見やる。「要らねぇの?」と適当に言いつつジャンプをまためくる動作は、ごくごく自然だった。
「ど、どうしたんですか、何かあったんですか…?」
「銀ちゃん、水虫臭いアル。悩み事なら私聞くネ」
「神楽ちゃん、水虫じゃないよ、水だよ」
らしくない展開に、神楽と二人で顔を見合わせた。
銀さんが自分からそんなことを聞くなんて。今年は本当に豪雪になるらしい。
こちらの反応に若干面倒そうにしつつも、ジャンプをぱたん、と閉じて銀時が立ち上がる。神楽と一緒にその姿を見上げた。
「バーカ、違ェよ。…今年はさぁ、多分銀さん、クリスマスはココにいませんから」
「仕事なら、僕たちも行きますよ?」
「違うっつぅの、空気読め空気。銀さんだって大人なんだから色々あんの。――で、何か欲しいもんあんのか」
再度聞きなれない言葉を口にされて、何故か新八も神楽も黙ってしまった。そんな、急に言われても。
全く予想していなかったので、やっぱり神楽と顔を見合わせてしまう。
何だよお前ら、ガキなら欲しいもんの一つや二つ、いつでも心に用意しとくもんだぜ。そう言ってソファーにかけていた羽織に袖を通し、布を首に巻く銀時が、何故だかこの時、
「……銀ちゃん、なんかパピーみたいネ…」
「おぅおぅ。心外だな。あのハゲと一緒にしてんじゃねぇよ」
「でも銀ちゃんは、パピーアル」
真っ直ぐな神楽の言葉に、銀時は動揺することもなく「はいはい」と生返事で背を向けた。
父上、というわけではないけれど、新八にも、何となくその背中が、今日はやけに父のようで、
「…あー…、お前らさ…」
欲しいもん、決まってねぇって言うなら。
そう言って半分振り向いた銀時が、
「母ちゃん、いる?」
唐突に言うので、やっぱり返事を出来なかった。
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