ひとこと

□act.5 カノジョは
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何かが、心の奥で再び暴れ出す。
彼の幸せを壊したくない。
彼の迷惑になることはしたくない。
ぐっと下唇を噛み締めて、叫び出す何かを必死に胸の奥底へと押し込む。

「ユーリ! いい加減にしろ!!」

「違う!!」

「何が違うと言うんだッ!」

無理矢理向き合わされた視線の先には、険しさを孕んだ宝石みたいな瞳があって。
いつものようなキャンキャン吠えてる時とはまったく違った声音が、目の前の少年の怒りの深さを物語っているようだった。

「言ってみろ! ユーリ!! ぼくが見て、感じたものの何が違うと言うんだ!」

「っ!」

一瞬その顔が誰かの面影と重なる。
いつも笑顔で、その感情とは遠そうなその人。
お兄ちゃんそっくりだ。
なんて変な事を、頭の隅でのんびり呟いた。
ああ、やっぱり血が繋がってるんだなって事を発見できた喜びと、突き付けられる現実からの逃走願に複雑に顔が歪む。

「…何がおかしい!?」

それがヴォルフからして見れば苦笑か、ともかく笑っているように見えたようでさらに怒鳴り声が鼓膜を震わせる。
別に笑ったつもりはないんだけど。
口にはせず、胸の内だけに呟いた。
止めに入っていたギュンターもヴォルフの言う事に思うものがあるらしく、いつの間にかその動きを止めていて。
眉を寄せ、せっかくの美人の顔に苦渋の色を濃くさせていた。

「ごめん…。でもヴォルフ、違うんだよ。お前が思っているような関係に、おれたちはいなかったんだ……だから、違うんだ」

「な…に……?」

信じられないとばかりに見開かれるエメラルド。
揺れるその瞳を、おれはただ静かに見つめた。
ずるりと胸倉にあった両手が滑り落ちて、茫然とおれを凝視する彼にここでやっと視線を外して俯く。
なぜか服の中で揺れた魔石が、妙に冷たく感じた。

「嘘を…つくな。お前たちは……いや、少なくともユーリお前はコンラートの事を…」

「ああ好きだよ!! …でも、でも仕方ないだろ!? あの人に面と向かって、私の代わりに傍にいてくださってありがとうございます、ってお礼言われちゃったし……っ! 何より…コンラッド笑ってるんだ、あの人の隣で…ッ!」

「ユーリ…っ」

「陛下……」

「…今さっき、アリスさんのドレス選びの相談受けて見て来たけど……コンラッド、優しくアリスさんの事見つめてた…。笑ってた…。ここでおれが嫌だってダダこねて、コンラッドたちの結婚式っかめちゃくちゃにしちゃう方が……おれはイヤなんだよ!!」

しん、と静まりかえった室内に響くのは、悲鳴みたいな自分の声。
たまらず溢れた感情の波は引く事を知らずに、打ち寄せ続ける波のようにおれの口から零れていく。
また、胸の奥に押し込めたはずの何かが込み上げてきて。
鼻の奥がつーんとして、目の奥がいやに熱かった。

「コンラッドは大切な名付け親で、大切な野球仲間で……大切な、大切な、大事な人だから…幸せになってほしいんだよ!」

「………それで、お前のその気持ちはどうなる…?」

ぐっと固い声が尋ねる。
ヴォルフの言いたい事は、よく分かってるつもりだ。
好きな人と両想いになれなくて手の届かない人になってしまうのは、本当に辛いことなのは分かっているから。

「おれは…気持ちを押し付けるような事はしたくないんだ…。コンラッドには愛してる人と幸せになってくれれば、それだけでおれは嬉しいし…おれも幸せだから……ッ」

最後の方は、せりあがってきた何かに邪魔されてかすれてしまった。
視界の中には泣きそうな、痛そうなそんな感じに顔を歪めている彼の人の弟と師がいて。
ふいっ、と王佐がおれから顔を背け、手で顔を覆いさらに長い髪がその表情を隠した。

「だから……おれは、これでいいんだ…っ」

「ユーリ…ッ」

はぁ…、といつの間にか早くなっていた呼吸を整えようと俯いた瞬間、ぽたっと床の上に何かが落ちた。
それは後から後から零れ落ちて、床の上に丸い跡を残していく。
それが自分の頬をつたって落ちているのだと気付くには、時間がかかった。
それが涙で自分が泣いているのだと分かったのは、ヴォルフに抱きしめられてからようやくの事だった。

「ユーリ…」

「あれ………おれ、泣いてる…?」

慌てて次から次へと止まる事を知らないそれを拭うと、背中に回った記憶にあるそれより幾分細い腕が力を込めて。
不意にぽんと大きな手の平が、おれの頭を包んだ。
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