焔と銃(ハガレン小説

□「ロミオとジュリエットのように」
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「あ〜、暇」
 エンヴィーは大きな欠伸を洩らして、長々と伸びをした。
 優美な猫足の長椅子の上で、午睡と称して二時間の惰眠を貪ったのち、起きるなり彼が放った言葉が前述のものだった。
 窓辺の小さなテーブルに腰掛けて本を読んでいたラストは呆れたように肩越しに振り返る。
「何? 起きたの?」
「最初から寝てないよ。ちょっとゴロゴロしてただけ。暇だからさ」
「あら、そう」
 ラストはそっけなく言って、再び視線を手にした本に戻す。静かにページをめくり始めた。
 エンヴィーはその様子を行儀悪く長椅子に寝そべったまま頬杖をついてしばらく眺めていたが、身を起こすと床に裸足の足を下ろした。密やかに、足音一つ立てず、ラストの背後に近付く。彼の手がラストの首筋に伸ばされた。指先を触れるか触れないかの距離で彼女の黒髪に掠めさせ、何事もなかったように、椅子の背もたれに手をついた。
「何読んでるの?」
 背後からラストの手許を覗き込み、エンヴィーは問う。ラストは彼の忍んだ接近に驚いた風もなく、視線を本の上から動かさない。
「本よ」
「ふーん。なになに、『あぁ、ロミオ――ロミオ様。あなたはどうしてロミオ様なの。――いいえ、あれはナイチンゲールの鳴き声よ』……、面白い?」
「別に。少し、人間らしくするために、ひとが読んでいる本を読んで、研究してみようと思ったのよ。ここの下働きの少女が貸してくれたわ」
 ラストは整った眉をぴくりとも動かさず、淡々と言った。グレイがかった目の玉を後に動かして、エンヴィーを見やる。
「あなたも読む?」
「冗談。それでなくても退屈で鬱屈溜まってんだから、これ以上ストレス溜まると爆発しちゃうって。――でも意外と愁傷な事考えるんだね。人間らしく、なんてさ」
「僅かでも計画に支障を出したくないのよ。私はもう少し、普通の女性の反応を勉強した方がいいようだから」
「あら〜」
 エンヴィーはラストの言葉に嗤い、手を肩越しに彼女の項から胸元へと滑り下ろした。ぎしり、とラストの腰掛ける椅子の背もたれが軋む。まるで背後から椅子ごと抱きすくめるように、やんわりとエンヴィーの腕がラストの腰に回った。
「なんの真似。よほど退屈なの」
「うん。――ねぇ、ラストおばはん。勉強手伝ってあげよっか。そんな役に立たない教科書より、実地でしょ、やっぱ」
「何が?」
「真似事ごっこ」
 エンヴィーはくっくっと低い嗤い声をラストの耳に吹き掛ける。
「人間の女といえば、あれでしょう! 恋! 中でも障害の多い恋はロマンスの見本! というわけで名付けて……、【身分違いの恋】ごっこ〜!」
 エンヴィーは活き活きと拳を突き上げて宣言した。ラストは溜め息をつく。
「エンヴィー」
「はいはい、立って立って」
 エンヴィーは椅子の背を回って、ラストの前に立つと、彼女の手を引いて強引に立ち上がらせた。ラストは不承不承立ち上がる。その膝から滑り落ちた書物を拾おうとすると、エンヴィーの裸足の足が本を踏み付ける。
「エンヴィー」
 ラストは無表情でエンヴィーを見上げた。エンヴィーは無害そうに小首を傾げるだけで、書物の上から足を退けようとはしない。ラストはゆっくりと屈めた腰を伸ばした。彼女は背を伸ばすと、少年の姿のエンヴィーより拳二つ分ほど背が高い。当然見下ろされる形になって、エンヴィーはうっと息を詰めた。
「……なんかショック……」
「足を退けなさい。切り落とされたいの? どうせ生えてくるのだから、遠慮はいらないでしょう」
「本当にラストおばはんは血の気が多いなぁ。――本なんかどうでもいいだろ。こっちの遊びの方が断然面白いって」
「そういう問題ではないわね」
「――おばはんは【お金持ちのお嬢様】ね。で、オレが【身分の低い馬番、ちなみに若くて可愛くて、お買い得】」
「なんの事?」
 あくまで自分のペースに話を進めようとするエンヴィーに、ラストは静かに問い質す。エンヴィーは片眉を軽く撥ね上げた。
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