随筆紺碧
□宵桜
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──満月の光を浴びて、それは悠然と咲き誇っていた。
宵桜
春の暖かい風がざわりと吹く度に、それは枝を震わせ、ふわりと薄桃色の花びらを散らせる。
昼間見つけた時には感じなかったが、こうして夜に見ると、また違った雰囲気を醸し出す花……桜。
闇夜の黒と、月光の白に照らされて、淡く、光る。
「…綺麗だよなぁ」
「ああ…」
レオンの半ば独白のような呟きに、彼の隣に居たセリオスが律儀に応える。
再び風が吹き、花びらが舞う。
「今日は風が強いから、結構落ちちまうかもな」
手にしたジュースをあおり、レオンが言った。
「…そうだな」
「勿体ねえなぁ。折角見つけたのに」
レオンがここを見つけたのは、つい昨日の事だった。
一人で見るのは味気ないと、たまたま出会ったセリオスを誘ったのだが、この風では明日以降の花見は難しいに違いない。
「あーあ、カイルたちにも見せてやりたかったのになぁ」
飲み終えた空き容器を振り回し、レオンがぼやいた。
立ち上がって桜の前に佇む。そして、大袈裟にこちらを振り向いた。
「今から起こして連れて来ようか?」
紅玉色の2つの瞳が、悪戯っぽくきらめく。
「…寝ている者を無理に起こす事もないだろう」
「だってよう…」
溜息まじりにセリオスがたしなめ、それでも納得がいかないレオンが食い下がる。
その時、一層強い風が吹いた。
ざあ…っ
レオンの紅い髪が、制服に包まれた身体が、花びらに遮られて淡く霞んでいく。
その光景は、まるでレオンの存在そのものを幻にしてしまうかのようで……。
「レオン!」
反射的に叫んで、セリオスはレオンに飛びついた。
「うわっ!」
不意をつかれ、レオンは受け身もとれずに地面に倒れる。
「痛ってぇ…」
ぶつけた頭をさすりながら起きあがろうとしたレオンに、セリオスが覆い被さった。
「な、なにすんだよ!」
驚愕と困惑。そして本能的な恐怖に駆られてもがくレオンの耳に、セリオスが囁く。
「……と思った…」
「え?」
聞き取れずに問い返す。
「…あのまま、居なくなってしまうのかと思った…」
「…セリオス?」
「怖くなったんだ…ぼくの前から消えてしまいそうで…」
ぎゅ…と、腕に力がこもる。
「不安だったから…この手に抱いて確かめたかった」
搾り出す声が、微かに震えている。
「馬鹿かテメェは」
吐き捨てるようなレオンの声。
弾かれるように顔を上げるセリオスと、眼があった。
「んな事あるワケねえだろ。考えてモノ言えよ。馬鹿じゃねえの」
口調は憎々しげだが、その顔は赤い。
それは言外に、ずっと側に居てくれるということで…。
無意識に、唇に笑みが刻まれる。
仰向けになったレオンに、はらはらと花びらが舞い落ちていく。
その花びらを払い除け、セリオスがそっと口付けた。
髪に、頬に…そして、唇に。
……やがて、レオンの肌にも、紅い花びらが散らされていく。
──満月の光を浴びて、それは悠然と咲き誇っていた。