随筆紺碧
□Je Te Veux
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スピーカーから流れるクラシックが、午後のひとときを優雅に彩る。
セリオスはそれを聴きながら、ゆったりとした手つきで頁を繰った。
いつもはアカデミーの図書館で読書に耽る彼だが、今日は生憎休日である。
仕方ないので、隣室のカイルから面白そうな本を何冊か借り、それを自室に持ち込んで読んでいたのだ。
ついでにと、読書の妨げにならない程度の音量で音楽も流す。
手元のサイドテーブルには、ちゃっかり紅茶まで用意していた。
たまにはこういうのも悪くないな、と、セリオスが満足げに肯いた刹那。
不意に、視線を感じた。
振り返ると、いつから居たのだろう。レオンがじっとこちらを見ていた。
「…あ、悪ぃ」
邪魔しちまったか、と素直に謝る。
「いや…そんな事はないが…」
素直に謝られたのにも驚いたが、それよりも──万事騒がしい──レオンが、気配を感じさせずに側に居たという自体がセリオスを驚かせた。
「それより、何か用でもあるのか?」
もしかしたら、声をかけるのを躊躇していたのではないだろうか。
そう思ってのセリオスの発言だったが、
「や、そうじゃなくて。たださ」
「ただ、何だ」
いささか照れくさそうなレオンを訝むように見据え、セリオスは重ねて問うた。
その問いに、レオンは「これだよ」とスピーカーを指差す。
「この曲さ、好きなんだよ」
「…ほう」
純粋に意外だった。
流れているその曲は、ピアノの優しい調べが織り成すワルツ。
とても体育会系なレオンが聴いていたとは思えない。
「もともとは姉貴が聴いてたモンなんだけどな」
説明するように、レオンが口を開いた。
「ガキの頃、良く聴かされてたよ」
まあその姉貴も、昔のクラスメートからの受け売りだったらしいんだけどさ。
訊かれもしないのに、そんな事まで喋ってしまう。
今やセリオスの興味は、読み止しの本よりも、レオンの話に移ってしまっていた。
「それにさ、この曲聴いてると、お前思い出すんだよ」
さらりと紡がれたその台詞に、セリオスの蒼い瞳が微かに見開かれた。
「…お前…題名を知ってて言っているのか?」
「あ? 知らねえけど…なんで?」
「……だろうな」
意味ありげに呟いて、セリオスは頭を抱えた。
心なしか、その顔は赤い。
「何だよ、何かあんのかよ」
教えろよ、と肩を揺さぶるレオンをついと見上げ、セリオスは溜息とともに声を発した。
「…Je Te Veux、だ」
「は?」
聞き慣れない単語に首を傾げるレオン。
セリオスはもう一度、しかしゆっくりと聞き取り易いように「ジュ・ト・ヴュー」と言った。
「それが題名だってのか?」
「そうだ」
「ふーん。何て意味なんだ?」
問い掛けるレオンの無邪気な顔に、セリオスは一瞬戸惑いの表情を見せる。
「何だよ。勿体ぶらずにさっさと言えっての」
詰め寄るレオン。セリオスは半ば開き直るようにして、その言葉を囁いた。
「……お前が、欲しい」
言いすがら唇を塞ぐ。
微かに触れるだけの、軽い、キス。
そっと唇を離して表情を伺うと、真っ赤になったレオンの顔があった。
先程、自分はこの曲が好きだと言った。
そして、この曲はコイツを連想させる、とも言った。
それって要するに……
──俺、めちゃめちゃヤバい事言ったんじゃねえか!?
「…ぼくを思い出す、か…」
ハッと我に返ると、すぐ側に、口の端を吊り上げて笑うセリオスの顔があった。
「光栄だ、と言っておこうか?」
「や、ちょ…待った。さっきのは嘘、冗談だって!」
「聞こえんな…」
「ちょ、待っ…んうっ!」
レオンの必死の弁明も虚しく、再びセリオスに唇を塞がれる。
そしてそのまま、リビングの床に押し倒された。
「Je Te Veux…Leon…」
穏やかな休日の午後。
部屋では、ピアノとレオンの声が甘い旋律を奏でていた。