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□ガーネット 4話
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夏休みに入る少し前の月曜日、いつものように朝会前のギリギリに教室へ入ると、男子達が少し騒ついていた。


「まじだって!昨日山本先生、男といた」
「うわ、それは死ぬ」
「信じたくねえ」
「しかも一緒に家具とか見てた」
「もう俺帰っていい?」
「俺は泣いていい?」
「俺も泣きてえよ」






そんな会話が耳に入ってきた。あれだけ可愛らしい女性なのだから、恋人くらいいるだろう。そんな言わずもがな、な事象を知っただけで、何を騒いでいるんだろう。まさかそんな存在がいないとでも、妄想していたのだろうか。くだらない。人間って、やっぱりくだらない。






午前中の授業は、何だかいつも以上に怠くて頭に入らなかった。お昼休みを迎えても、机に突っ伏していたら朱里が寄って来て声をかけてくれる。






「ゆーうーりー、お昼食べよ」
「うん」
「どしたん、なんか今日元気ないやん」
「いつもこんなもんやよ」
「いやいつも以上になんか、陰?」
「陰キャなんで」
「どーしたー、体調悪いん?」






別に、いつもと変わったことはない。はずなのに、朝から気分が優れない。体調というか、胸の辺りが詰まった感じ。頭もすっきりしなくて、何だか苛々さえしてくる。何となくここに居たくなくて、一人になりたいな、早退しようかな。







「…保健室、行ってくる」




そう朱里に告げて教室を出ようとすると、午後の初めの授業は日本史だったか。山本先生と突き合わせた。






『あれ、もう始まるで、どこ行くん』
「……すみません、保健室行きます」
『え、どしたん?大丈夫?』


山本先生の横を通り過ぎようとすると腕を掴まれる。そんなことにすら、苛々する。






「……大丈夫です。少し休めば」
『…そう。無理せんでな』



ぽん、と山本先生の手が頭に乗せられる。私の心が揺れる。今度は、苛々と、どこか解れる心。矛盾する感情が入り混じった感覚に焦心する。何なのだろう。早く、早く一人になってこの理由を突き止めたい。一人にならないと、私は私と話せない。






教室を出て、保健室へ向かった。休ませてほしい旨だけ保健室の先生に告げると、普段はそこを使うことはない至って真面目な生徒である私の訪問に、特に深く理由を聞くこともなくベッドへと通してくれた。少し堅い白のシーツに包まれて、布団を頭まで被る。何なのだ、この苛立ちは、この焦りは、この気持ちは。そもそもの始まりは朝からであったけれど、山本先生の顔を見てから更に加速した気がする。腕を掴まれた時、苛立った。頭を撫でられた時も、苛立った。どうせ他の人にも触れている手を見て、苛立った。









「どうせ」って、何。他の人にも触れていたとして、どうして私が苛立つの。








あまり抱いたことのない負の感情に動揺して、気付いたら眠りに落ちていた。5限目の終業のチャイムが鳴る。眠りの浅い私は、当然の如くその音で目を覚ます。すっきりとしない意識の中、次の授業には出ないとな、と身体を起こそうとしたとき。










『失礼しまーす、ってあれ、保健室の先生おらへんやん』






今はあまり聞きたくなくて、そのはずなのに少しだけ心が跳ねる、そんな声がした。私の横たわるベッドのカーテンが開けられて彼女の顔が覗く。どうしてそんなに私の前に現れるの。






「あ、いたいた。太田さん、どんな?」
『山本先生…なんで』
「いや6時間目空いててん、心配で」
『………大丈夫です』





山本先生がベッドサイドの丸椅子に腰をかける。



『大丈夫には、見えんなぁ』
「大丈夫ですよ」
『……何かあった?そんな顔して』
「どんな顔ですか」
『なんかすごい顔』
「だからどんな」
『口曲がってるで』
「曲がってません」





そう言いながら山本先生が私の頬を掴む。そういうのが、私の心を揺らすのだ。何でか分からないけど。






『可愛い顏がもったいないで』
「可愛くなんか、ないです」
『ん、可愛いよ、太田さんは』
「可愛くないです」
『そんなことないよー!って言われたいん?』
「違います。可愛いのは、先生でしょ」
『お、嬉しいこと言うやん』
「だから彼氏いるんですよね」
『………え?』






先生のペースで話されて、口が滑った。そんなことに、触れたいなんて思っていなかったのに。この人のその存在をもっと知らしめることなんか、もう聞きたくないのに。この笑顔とか手の温もりとかを独り占めできる奴の話なんか、聞きたくないんだよ。私の苛立ちは、これか。








『何の話?』
「何でもないです」
『……そんなん、おらんけど』
「え、」
『別に生徒に言うことちゃうけどな』
「嘘ですよね」
『嘘ちゃうよ、おらんよそんなん』
「でもクラスのやつが、言ってましたよ」
『何て?』
「先週末に、男の人といたって」
『ええー?』
「一緒に、家具とか見てたって、」
『あー!』
「やっぱり本当なんですね」
『それ、お兄ちゃんやわ』
「え」
『お兄ちゃん、一人暮らし始めるからって買い物に着いていってん』
「……お兄さんいるんですか」
『うん、何なら二人おるで』
「そうなんだ……」








自分でもはっきりと分かるくらい、胸にどろりとつっかえていた鉛が溶ける感じがした。






『そんなことより次の授業はどうするん?』

「………もう、大丈夫です」
『ほんまに?』
「なんか、めっちゃ大丈夫になりました」
『そんな急に治るもん?』
「はい、治りました」
『……それならええけど』
「先生の、おかげです」
『へぇ、なんか素直やな』
「来てくれて、ありがとうございました」
『……よく分からんけど、良かったわ』







あまり腑に落ちずにぽかんとする山本先生にそう告げて、保健室を出た。一時間ほど寝て、山本先生と話をした、それだけなのに心と身体は軽くなっている。どうしてなのかは、また近々考えよう。廊下を歩きながら、こっそり鼻唄すら歌ってしまいたくなった。歌わないけど。そんな自分は、そんな自分も、きっとくだらなくて、でも嫌いじゃないかも。廊下の窓から見える空は私の好きな色合いの、青だった。


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