SD夢倉庫

□チェリー【仙道】
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数人しかいない教室で「お前はいつ誰とだったんだよ」と頭を寄せ合う男の輪の中で、ふと一人白昼夢の中に迷い込む。


 袖から覗く貴女の肌はいつも真っ白で陶磁器のようだと思っていたけど、白いシーツの上で産まれたままの姿の貴女を見下ろすとやっぱり人の肌だった。人の肌とは言っても男の自分とは違って、砂浜に手をついた時のような落ち着く温かさと、サラサラとした美しい触感だった。それに手を這わせるだけで頭の中は夢心地で、それだけでもう同世代の奴等を越えた気になった。今思えば繋がった瞬間なんてまだ始まりでしかないのに、「愛してる」なんて大人の言葉を貴女が口にするから、込み上げる喜びに脳が絶頂だと錯覚して、ただ無心で抱き締めた。貴女のその声が頭の中で響き続けて、この言葉さえあれば何よりも強い自分になれるつもりになっていた。
 貴女が無防備に眠るのを背にして、胸いっぱいに溢れて零れ落ちそうな想いを、手が動くままに綴った。ペンを走らせる音を鳴らすテーブルに、貴女と知らない人の写真が置いてあるのに気付いた。紙に印刷されただけの眼に見つめられ、自責に堪えられなくなり写真立てを伏せた。知らされてはいたけど、見たことのない存在は無いものだと白を切ってきた。それを今目にしてしまったことで、誰にでもでなく自分自身に苛まれる。紙切れを捨ててしまおうかとも思ったが、これを読んだ貴女の気がほんの少しでも自分に移る可能性があるのならと、稚拙な希望が捨てきれずに破ることが出来なかった。それなのに「これは捨ててください」なんて背伸びをした言葉を最後に継ぎ足した。
 瞼は重く、すぐそこには貴女がいて、その背中に触れて踞りたい気持ちの方が本当は勝っていた。それでも伏せた写真立てが、自分の幼い心が、あらゆる方向から咎めてくる。これが本当に最後だと、剥がれかかった執心にしがみ付き、冷蔵庫からペットボトルを取り出して、一気に飲み干した。もしかしたら、この部屋に来てから唯一の自分の意思での行動だったかもしれない。頭がすっかり冷めた後は、殆ど逃げるように部屋を出た。それからはただ走った。早く過去になってくれと、祈るように夜の道を駆け抜けた。
 家に帰って、親の声を適当にあしらい、自分に与えられた部屋へと滑り込む。あの人の体温が悲しいくらいに一切残らない背をドアに凭れて座り込んだ。どんなに記憶を掘り返しても、自分といる時のあの人の顔ではなく、テーブルにあった写真のあの人が一番に出てくる。満開の桜を後ろに、満面の笑みで二人は並んでいた。ベッドの上で戯れあって声を上げたあの人からは、写真のような表情は引き出せなかった。胸に空いた青二才による火遊びの穴は、誰にも埋めたり縫い合わせたり出来やしないし、誰にも見せる気などない。自分でどうにかするしかなかった。あの人の隣に写っていた人物に、心の中だけで虚勢を張った。

 貴方の貴女を遊び心で抱きました。

 これでこの先の未来、簡単な嘘なら息をするように口から出せるだろうと、自らを嘲笑った。自分の強がりと本心の均衡を保たなければすぐに潰れてしまう世界なのだと思い知った。上手に賢く傷付かないように、生き抜く為に必要な嘘を覚えた。人生半ばも迎えていない自分にこんな辛辣な報いがあるのだから、今想像している以上に騒がしい未来が待ち構えているのだろう。


「おい仙道。お前どうなんだよ」
その声で高校生の自分に意識が引き戻される。
「え?俺?そうだな…教えなーい」
お前ズルいぞと小声で責め立ててくる奴らに、頬杖をついて微笑んで、話題から擦り抜ける。
あの時あの人に確かに触れた指先をそっと唇に添えてみた。どんなに曲がった道を歩いて来ても、あの言葉で強くなれたのは気のせいではない。だからきっと、ずっと忘れない。





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