いろんな世界

□1周年
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1年前に彼とここで出会った。
桜の木の幹に凭れかかり舞い散る花びらの中、紫煙を燻らせるニット帽を被った男性が視界に入り、私は思わず目を向けた。

彼も私を見ていた。

目が合った私は何故だか、彼から目を逸らすことができなかった。

初対面のはずなのに、時が止まってしまったかのようにお互い見つめ合ったままどちらも微動だにしなかった。

いや、私の方は正確には動くことができなかったのだけれど。

すると彼は凭れていた体勢を立て直し、こちらへ向かって歩いてくる。

さすがに見過ぎて気を悪くしてしまったのかと思い、硬直していた体を慌てて動かし、ぺこりと頭を下げてその場を立ち去る。

と、ふいにその手を後ろから掴まれ、反射的に後ろを振り返る。
見上げた先には口に咥えたたばこ、紫煙を纏った切長の目に緑色の瞳、頭には黒いニット帽を被った先程の男性がいた。

先程の事を咎めに来たのかと緊張が走る。
しかし、幾ら待っても彼はそのまま口を開く気配はなく、相変わらず、彼の左手に掴まれたままの私の右手も開放してもらえる気配もなかった。
じっと見つめていた瞳からも怒りこそ感じなかったが、あまりに無表情で何を考えているのか読み取ることは難しかった。

「…あの…?」

じっと見つめられ、視線と沈黙に耐えられなくなった私から遂に声をかけた。でもやはり彼の口は開かれることはない。返事の代わりに、彼の右手が私に向かって伸びてくる。
予想していなかったことに、思わず身を竦める。

その手はそっと私の頭に触れた。
そのまま優しい手つきでさらりと私の髪を一房攫ってゆく。
彼の手によって持ち上げられていた私の髪は、はらはらとその支えを失い落ちてゆく。彼の指先には桜の花びらだけが残されていた。

「あ…、ありがとうございます」

私は引き止められた意味を漸く理解した。

「もらってもいいか?」

その瞬間、顔に熱が集まるのを感じた。ろくに返事も出来ず、こくりと頷くことで返した。

「ありがとう」

ふっと彼は笑った。
突如吹いた強い風が桜の花びらを舞上げる。彼の黒い装いに薄いピンク色がよく映える。

「またここで会おう」

彼はそう言うとあの紫煙のにおいを残して桜吹雪の中に姿を消した。


今年も満開になった、あのときの桜の木。
舞い散る桜を前に、蘇った1年前の出来事が脳裏を過ぎる。

ーーそういえばあの人、またここで会おうって言ってたな…

なんて考えながら桜の木に目を遣る。見事な桜を見ながら歩みを進める。

私は思わず目を見開いた。
1年前に出会った彼があのときの姿のままで本当に居たから。

「また会ったな」

あの時と同じように桜の木の幹に凭れ、伏し目がちにたばこに火を付ける。大きく息を吸い込み紫煙を吐き出すと、彼はそう言った。

「お、覚えててくださったんですね」

彼が本当に居たことにも驚いたのに、更に私を覚えていたことに動揺を隠せない。

「もちろんだ」

「…もしかして、私のことを知ってます?」

「ふっ。さぁ、どうだかな」

たばこを咥えたままの口が弧を描く。

「もう、君と出会ってから1年が経つんだな…。
これからもよろしく頼むよ…」

紫煙を燻らせながらそう言うと、不敵に口角を上げ、ニット帽の彼は出会ったあの日と同じように桜吹雪の中にまるで溶け込むように、あの紫煙を纏って姿を消した。





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