明日への扉

□21話
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みんなで開人君のお見舞いに行った帰り、博士はそのまま子どもたちをそれぞれの家に送り届けてから帰ると車を出した。
ビートルに乗り切れなかった私は来た時同様、昴さんの車に乗った。

「ヒロインさん、私達は必要最低限のものを買って帰りましょう」

昴さんの車に乗り込む私に昴さんはそう言った。

買い物を済ませた後、さも当たり前のように昴さんに連れられて、私は工藤邸の前に来た。先程コナン君から預かった合鍵を使って扉を開ける昴さんに私は、このままでは本当にこの工藤邸で昴さんとの同居生活が始まってしまうと慌てて声を掛けた。

『ちょ、ちょっと待ってください!
私、まだここにお世話になるとは一言も…』

「どこかあてがあるんですか?」

『そ…、それは…』

「では行きましょう」

目を泳がせる私の手を引き、昴さんは工藤邸へと踏み込んだ。
あてがないわけではない。今までのように蘭に事情を話せば、きっと蘭とおじさんは私を受け入れてくれる。でも最近までお世話になったばかりだし、また余計な心配をかけたくなかったから、蘭には極力この事態は話したくなかった。

それに、まだ引っ越した先は職場の近くとしか告げておらず、詳しい住所や「木馬荘」の名前すらまだ蘭たちに言っていなかったのだ。

きっとコナン君は私のこの気持ちを汲んで、昴さんと工藤邸に住むことを勧めてきたのだろう。




それともうひとつ、暫くホテル暮らしをしながら新しい住居をみつけるという選択肢もあるが、これまでの付き合いで、いざというときの昴さんには口では勝てないということはわかっていたから、それを昴さんに話したところで言いくるめられるのは目に見えていた。


やはりもう諦めるしかなさそうだ…。
まあ、いずれにしても今日はもう遅い。ここにご厄介になる他ないようだし、昴さんにも部屋の説明や案内をしていた方がいいだろう。
これからのことはまたゆっくり考えればいいか…。

『じゃあ…お言葉に甘えて…。昴さん、これからよろしくお願いしますね』

「こちらこそ、よろしくお願いします」

『ではまずは、部屋の案内からしますね』

「ありがとうございます」

先に借りる客室を決めて、各部屋の案内もひと通り終え、私が大阪からの帰りがけに買ってきていた材料で一緒に遅めの夕食を作る。
正直、私はあまり食欲はなかったが、昴さんに心配かけないようにいつもどおりを装った。

食事をしながら一緒に住むにあたってのルールを決めた。
昴さんからは、お風呂は後に入りたいと。
私からは、何があっても許可なくお互いの部屋には入らないということ。
それから食事は朝と昼はそれぞれで、夕食はこれまでどおり交代で作って、極力一緒に食べましょうと。
掃除は分担してすることと決めた。

食事を終えて、食事の準備をしながら溜めておいたお風呂に早速先程昴さんから言われたとおり、私から入る。
食欲がないなか、無理して食べたからか胃がむかむかする。
結局あまりゆっくり入っていられず、いつもより早めに上がってトイレに駆け込み、全て戻してしまった。

洗面所でうがいをしてから、タオルでざっと拭いただけの髪をドライヤーでしっかり乾かし、昴さんが待っているであろうリビングに向かった。

『お風呂、お先にいただきました』

「ありがとうございます。
…お顔の色が優れないようですが、大丈夫ですか?」

その言葉に心臓が跳ね上がった。

『い、いえ、大丈夫です、ありがとうござます』

誤魔化すためににこっと笑ってみせたけど、うまく笑えていたかはわからない。昴さんの訝るような表情が一瞬強くなったかと思うと、ふっといつもの優しい笑顔に変わる。

「今日は色々ありすぎて疲れましたね、ゆっくり休んでください。
おやすみなさい」

『おやすみなさい』

それ以上詮索されなかったことに安堵しつつ昴さんに返事をして、私は先程決めた客室へと戻った。


ひとりになるとすぐに気が緩み、涙が止めどなく溢れた。私の持ち物は大阪に持って行っていた大きめのバッグと少しの着替えといつも持ち歩く小ぶりのバッグだけ。
それ以外に私の持ち物は何もない。
広い部屋。高そうな広いふかふかのベッド。高級感漂う絨毯。シンプルだけど座り心地のよい皮張りのソファー。豪華な壁紙。煌びやかな照明。
どれも私が使っていた物とは程遠くて。あまりに現実感の無いこの空間には、つらくなった時にもいつも眺めていた両親の写真も無い。

いつもあの写真が心の拠り所だった。あまり家に帰ってこない両親。寂しいときもその写真を支えにした。
最近つらいことが重なっていたところに、今回の出来事はあまりに衝撃が大きかった。



ーーーーー


結局、一睡も出来なかった。
外がほんの少し明るさを取り戻してきた頃、まだ夜が明けきらないうちに、この酷く腫れ上がった瞼を冷やそうとベッドに預けていた体を起こす。

洗面台で顔を洗って、顔の水分をタオルで拭き取る。そのタオルを持ったまま、氷を取りにキッチンへ向かう。

窓の外はまだ薄暗く、室内を照らす程の明るさはないため、照明を付けながら移動する。
キッチンで氷を見つけた袋にいくつか取り、付けてきた照明を、今度は消しながら部屋へ戻る。

再びベッドに体を預け、氷の入った袋を持ってきたタオルでくるんで目元にあてる。程よい冷たさが気持ちいい。



ーーピピピピ

いつもの時間、念のため設定していたスマホのアラームが鳴る。
いつの間にか眠っていたみたい。
開けっ放しにしていたカーテンからは煌々と日の光か差し込んでいた。

気怠い体を起こし、重い頭を上げる。
再び顔を洗うため、着替えて洗面所へ向かう。
部屋に戻って化粧をして、リビングへと向かった。

『おはようございます』

もう起きてリビングにいるかもしれない昴さんに挨拶をしながら部屋に入る。

ーードン!

扉が開ききると同時に体に衝撃を受けた。と同時にふわりと香る香水の香り。

「ヒロインちゃん!」

耳元で聞こえた声でその衝撃の主がわかった。

『新一のお母さん!?』

「久しぶりね!元気にしてた?
新ちゃんから聞いて心配で、ロスから飛んできちゃった!
ヒロインちゃんが無事で本当によかった!
はい!これ合鍵!新ちゃんのひとつじゃ不自由でしょう?」

『ご心配おかけしてごめんなさい…。
勝手にお宅にも住まわせていただいて…、合鍵のご用意まで、ありがとうございます』

「いいのよ、好きに使ってね。
それより、何かあったら遠慮なく言ってね」

とにこりと柔らかい笑みを向けてくれる新一のお母さんは、相変わらず素敵な人だ。
その暖かさに、涙腺が緩くなっている私の目頭は思わず熱くなる。

「昨日はよく眠れた?」

『はい…。おかげさまで』

と笑ってみせた。冷やしたおかげで腫れていた瞼も随分目立たなくなったし、目の下にできてしまった立派なクマも化粧でここまで隠したのだ。

だけど、やっぱり有希子さんはさすが元女優だ。
私の嘘を見抜いたのか、その笑顔はどこか心配そうだった。

それから3人で有希子さんが用意してくれた朝食を取ると、有希子さんはまた来るわねと颯爽と去って行ってしまった。

それから私達は掃除に取り掛かった。


ーーーーー


掃除の後、昴さんの運転で買い物に出た。
食材、日用品、衣服…。必要なものが沢山あったからだ。

目的地に着いた私達は、食材と日用品は一緒に買い物しましょうと、それまでは別行動をとることにして、私は昴さんとは別かれて昴さんが入って行った店の近くの別の店に入った。

一通り買い物を済ませ、昴さんと合流するため、昴さんが入っていった店に向かおうと、今居た店を出る。

きゃーー!!

外に出ると辺りは悲鳴が響き渡り、騒然としていた。
逃げ惑う人々。血を流し、倒れている人。蹲っている人。

恐怖と動揺で思考が止まり、身体は震えるばかりで動くこともできない。バクバクと心臓の鼓動が鳴り響き、眩暈がする。ガクガクする足では立っているのが精一杯だった。

「…ぅっ…」

そのとき、私の足下に倒れている人が呻き声を上げた。
それに弾かれたように私の身体は反応する。

ーー助けなきゃ!

未だに僅かに震える手でスマホを操作し、救急車を呼ぶため番号をタップする。スピーカーに切り替え、地面に置き、バッグの中からハンカチを取り出し、それを扱い易いサイズに割く。

「こちら救急隊。火事ですか?救急ですか?」

『救急です!血を流して倒れてる人が、確認できるだけで20人くらいいます!場所は…』

応急処置の手を止めることなく、震える声を絞り出して説明をする。

「てめえー!!」

動揺からか、思っていたより大きめの声が出ていたのだろう。
どこからか私の通報の声を聞きつけた犯人がギラリとナイフを振り翳し駆けて来る。

私は手を止めるわけにはいかないし、ただでさえ震えている体はあまりの恐怖に硬直し、動くことができない。

男がすぐそこまで来たとき、私は衝撃に備えて反射的に俯き、目を固く閉じて歯を食いしばり、身を固めることしかできなかった。

「ヒロイン!!」

名前を呼ばれて反射的に顔を上げる。目の前には昴さんの背中があった。

『!!
昴さん!?』

昴さんが立っているのは男が走って来ていた方。昴さんの背中に隠れていてここからは男の姿は見えない。
でも男はナイフを持っていた。
ーー!!まさか!?

「くそっ!!離せ!!」

苦しそうな、悔しそうな、そんな男の声が聞こえた。
昴さんは腕を捻り上げる。
まさか刺されたんじゃないかと思っていた私は、その悔しそうな男の声と昴さんの動きで安堵する。

「痛ててててて!!」

声を上げる男の手からカランと音を立ててナイフが地に落ちた。
私は即座にそのナイフを拾い上げ、男から遠ざける。
ナイフは血で染まっていた。

昴さんはそのまま男の体を倒し、取り押さえた。
男は気を失っているようだ。

「ヒロインさん、怪我はありませんか?」

『はい、大丈夫です。
…助けてくださってありがとうございます』

安堵から声は震えた。
無意識に溢れてくる涙を堪え、目の前の人の応急処置に集中する。

遠くで救急車とパトカーのサイレンが聞こえ始め、どんどん近づいてくる。

結局、買い物どころではなくなってしまいましたねと言う昴さん。止血を一通り終えた私は立ち上がり、昴さんにそうですねと苦笑を返した。

『私、お店の人からガーゼや包帯をもらって来ます』

そう残して今しがた出てきた店内に駆け込む。
さっき、呼び捨てで名前を呼ばれた時の昴さんの声がずっと頭の中でこだましていた。



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