明日への扉

□11話
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赤井さんがうちに来なくなってから早ひと月。
私は赤井さんと出会う前の生活に戻っていた。とは言っても、ただひとり分の食事を用意し、ひとりで食事をするだけで、他は何も変わりはしないのだが。

でも私は赤井さんと出会ってから充分すぎるほど、毎日誰かと食事ができることの幸せを実感してしまった。

赤井さんと出会うまでは当たり前だった、ひとりの食事。もちろん、定期的に誰かと食事を共にすることはあるけど、毎日ではない。
毎日誰かと食事ができないことを、贅沢にも“さみしい”と思うようになってしまった。

いつか別れのときがきて、またひとりで食事をしなければならなくなる日々がくるかもしれないのに。

でも。
拒まれるか、そのときがくるまでは甘えていてもいいかな?
いつか拒まれる日が、別れのときが、来るかもしれない。
それまでは何も聞かず。何も言わず。何も知らず。この関係に甘えよう。

いや、甘えていたい。

それほど私にとって、赤井さんとの時間は心地がよかった。


赤井さんにとっても、私のうちがそんな場所になれてたらいいな。なんて。図々しくもそう思った。




今日あたり、赤井さんは帰って来るのだろうか。
あのとき、赤井さんは“一ヶ月程”と言った。
きっかり一ヶ月ではないだろうけど、いつ帰ってきてもいいように、今日から赤井さんの分の食事も用意しておくことにした。


ーーーーー


それから、一週間程が経っていた。
まだ赤井さんは帰ってきていない。

私は毎日、ただ呑気に赤井さんがまた訪れてくれる日を待っていた。彼を迎え入れるために最低限、私にできることをして。


今日も彼は帰って来なかった。






夜も更け、深い眠りについていたとき、意識の遠くで家の呼び鈴が鼓膜を叩いた気がした。
無意識に身体はぴくりと反応し、寝ぼけた頭で寝ぼけた身体を引きずりながら玄関へ明かりも点けずに向かう。

ほとんど開いていない目。ろくに回っていない頭は働かせることもなく、覗き窓で相手を確認することすらも忘れ、ふぁーいと回らない舌で間延びした返事をしながら、かちゃりと開錠する。
その瞬間、勝手に捻られるドアノブと開かれて行く扉。
やばい。相手は誰だ。と反射的に背中が強張るのを感じる。脳が覚醒する。鼓動が早鍾を打つ。
扉が開くと同時に私に向かって何かが傾れ込んできた。

『ぅわっ』

立っているのもやっとだった私はそのまま共に後方に崩れ、盛大に付いた尻餅の痛みに短い悲鳴を上げる。
腕は反射的に、縋るようにその何かに回していた。回した手に冷たくぬるりとした感触。

『…?』

巻き付けた右手を掲げ、手に付いたものを、指を擦り合わせ確かめる。
その瞬間、鼻を突く鉄と微かなたばこのにおい。

『…赤井…さん…?』

相手の顔は私の肩に乗っているため、見えない。でも。微かににおった嗅ぎ慣れたたばこのにおいからか、思うよりも早く口は動いていた。
その声は喉が震えて思うように出ず、小さく空気を揺しただけだったが。


「…ヒロイン……。相変わらず…無用心だな……」

ぐたりと私に凭れかかっているその人の声は、聴き慣れた低い声。

それによって私の疑問は肯定された。
すると次々に頭に浮かぶ疑問。それを必死に飲み込み、今、私がするべきことはひとつ。
騒ぐ心を落ち着かせるため、深く息を吐き、口を開いた。

『赤井さん、大丈夫ですか?立てますか?』

「…ああ」

よかった。まだ返事はできる状態のようだ。

のそりと身体を起こす赤井さんに手を添えて支える。
立ち上がった、ふらつく赤井さんを支えながら部屋の奥に進む。

『ゎわっ!』

ベッドの前まで来たとき、ぐらりとバランスを崩し、ぼすっと音を立てながら赤井さんをベッドに倒してしまった。
赤井さんを支えきれなかった私はベッドの傍らにそのまま転び、受け身も取れず盛大に顔をゴンッ床にぶつける。

『赤井さん!?大丈夫!?』

ぶつけた鼻を押さえつつ、身体を飛び起こし、赤井さんの姿を確認する。なんとかベッドの上に着地したようだ。
ふぅと安堵の息を漏らす。

「…くっくっ。…お前こそ、大丈夫か?
…凄い音がしたが…?」

私の呼び掛けに、赤井さんは顔だけを此方に向け、笑いながら返事をくれたことに安堵しつつ、大丈夫ですと笑みを向ける。
『待っててくださいね』

さて。と腰を上げ、部屋の明かりを点け、救急箱を取る。
抱えてきた救急箱を、ことりとベッドの傍らに置き、赤井さんに目を向けると、その目は閉じられていた。

早く止血をしなければ。

『赤井さん、シャツ、脱げますか?』

うつ伏せにベッドに倒れ込んでいる赤井さんに意識を確認するためにも、声をかける。

シャツを着ているため、うつ伏せではシャツを脱がし、傷口を確認することができない。
動けないならの切るしかないが…。

「…ああ」

ごろりと仰向けに寝返りを打つ赤井さんは時折苦しそうに顔を歪める。

『大丈夫ですか?』

「ああ」

仰向けに寝たままシャツのボタンに手をかける赤井さん。

『わっ!』

私は急に恥ずかしくなり、目を手で覆い、くるりと赤井さんに背を向ける。

「…くくっ。なんだ。さっきまでは随分と積極的だったようだが?」

向けた背中に声をかけられる。
その言葉にさっきの自身の発言を思い出し、顔に熱が集まるのを感じる。

『さ、さっきは夢中だったんですっ!』

「くっくっ。そうか。
…もういいぞ」

その言葉にゆっくり振り返る。右肩の小さな丸い傷口から血が流れている。近くに寄り、他に傷はないか確認する。両腕、腹部に打撲痕や擦り傷。流血は右肩の傷口からだけだった。
横向きになってもらい、背中も確認する。背中も同じような感じだが、右肩の傷は背中にもあった。
何かが貫通したような傷。

『足は大丈夫ですか?』

「ああ。足はなんともない」

今はこの傷の原因の詮索よりも、傷の手当てが先だ。

浮かぶ疑問を振り払うように頭を軽く振り、救急箱に手を伸ばした。

『……いきますよ?』

「…っ…」

消毒液を吸わせた脱脂綿をそっと傷口に当てた。




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