三国無双夢

□戒めの名
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気がつけば隣にいた  いて当たり前だった
なんて言ったら失礼かもしれないが 私にとって夏侯元譲とはそういう存在だ




















簡単なノック一つで返事も待たずに扉が開かれた。其所に立っていたのは従兄弟でもあり、我が主君でもある曹孟徳。
「蛍華、少し話したいことがある。今かまわんか?」
こくりと頷き、側にいた女官たちに下がるよう命じた。孟徳の表情から察して、そうしたほうが良い気がしたからだ。
「散らかっておりますが、どうぞ」
乱雑に並び立ててあった書簡を退け、中央の席を勧めた。
主君自ら部屋に訪れたあたり、軍事関係ではないだろうと思った。
軍事に関わることなら臣下である私のほうが呼ばれるであろうし、軍師である司馬懿の姿もないし。
では、なにか。
供を連れずにというところから、個人的なことかもしれない。
そう考えたとき、一つの名が頭に浮かんだが、あえてそれを無視した。
「今、白湯を入れます。少々お待ちください」
「要らぬ。長居はせん」
とにかく座れと腕を引かれ、言われるまま隣に腰掛けた。
なにか急を要することなのだろうか?しかし、焦った様子は見受けられない。
「では殿、いかがなされたのですか?」
内容がわからないので武将の顔で尋ねると、孟徳は苦笑した。
「蛍華よ、そんな堅苦しい言い方をするな。主君としての話ではない。それに、ここにはお前と儂しかおらんのだから」
普通の喋り方でよいと言われ、私は頷いた。
雰囲気から察するに、やはり個人的な話のようだ。
「では孟徳、いったい私になんの用?」
「実はな、そなたに元譲の様子を見に行ってきてほしいのだ」
「元譲の?」
「うむ、先日任せた仕事のことですっかり拗ねてしまったようでな。あれから顔も見せてくれんのだ」
「‥あれは私でも同じことを言うと思うわよ」



先日のこと。見張り ― 孟徳が仕事を抜け出すと司馬懿が八つ当たり…イライラするようなので、交代で見張ることにした ― であった妙才がちょっと目を離した隙に、孟徳は仕事を名指しで元譲に押し付けて逃げ出したのだ。
元譲にだって自分の仕事があるし、連日泊まり込みで仕事をこなしていたようだったから疲れが溜まっていただろう。
…たぶん、司馬懿の嫌味‥もとい、忠告の深さもあるのだろうけど。
しかも聞いてみれば、自身は呑気に釣りに行っていたと言うのだから、元譲が怒るのは当然のことといえる。
「儂も反省しておる」
「ならば、自ら謝りに行くべきではないの?」
「彼奴の性格から追い返されそうでな。しかし、可愛い妹のお前相手なら元譲も話を聞くであろう?」
「・・・仕方ないわね」
まったく、世話の焼ける兄たちだとため息をつきつつ、立ち上がった。










「蛍華よ。元譲に会いたいの。通してくれる?」
次はないからねと孟徳を脅して、私は元譲の館へと馬を走らせた。館を訪れるまで、正直、元譲はそんなに怒ってはいないのではないかと思っていた。
顔を見せなかったのは孟徳を反省させるためであって、それほど怒っているわけではないと。だが、そうではないのだとわかった。
あっさり中へは通されたものの、元譲は未だに現れない。何度もこの屋敷に訪れているけど、こんなに待たされたことは今までになかった。待っているときの時間は、その時の思いに比例して長く感じると言うけれど‥
もしかしたらこのまま元譲は顔を見せてくれないかもしれないわね。
そんな風に考えていた私の心情を読んだのだろう。女官の一人が果物の乗った皿を差し出しながら微笑んだ。
「蛍華様、心配なさらなくても夏侯惇様はもうすぐいらっしゃいますから」
そう女官が言い終わるかどうかというところで扉が開き、元譲が姿を現した。
「では失礼いたします」
「待て」
出て行こうとした女官を引きとめ、元譲は小さな声で女官に何か言うと、部屋の中へと入ってきた。
「元譲、久しぶりね」

私と元譲は兄妹だが、今は別々に屋敷を持って暮らしている。
お互いに魏の中心にいる武将。孟徳の覇道のため、やらなければならないことなど山のようにあるので、家に帰ること自体少ない。
だから、必然的に城で顔をあわせることが多く、こうして城の外で会うのは本当に久しぶりだった。

「言いたいことはわかってる。孟徳に頼まれてきたんだろう?」
「あら、わかってるなら話が早いわ。孟徳に顔を見せてあげてほしいの」
言った途端、顔をそらせた元譲に深くため息がこぼれた。
どうやら、まだ機嫌は直っていないようだ。元譲は一度へそを曲げてしまうと長いのよね。
「元譲、腹が立つのはわかるけど、それを仕事にぶつけては駄目よ」
「‥わかっている」
「孟徳だって反省しているし、ちゃんと仕事はすると言っていたわ。それに、登城しないで済む仕事ばかりじゃないでしょう?」
「‥まぁな」
「では、明日は登城してくれるわね?」
「お前からの頼みでは仕方ないな。約束しよう」
「よかったわ。話はそれだけよ。夜分遅くにごめんなさいね」
突然訪ねてしまった非礼を詫びてから立ち上がった。すると元譲は窓の外を見てから私を見上げたまま聞いた。
「これから馬で帰るのか?もう日も暮れているぞ?」
「大丈夫よ。来ることが出来たんだから帰ることも出来るわ。それに、まだ仕事が終わっていないの。城に戻らなければならないわ」
「そのことなら孟徳から文がきていた。残りは他のものに任せるから気にしなくていいそうだ」
「そうなの?」
孟徳なりの気遣いはとても嬉しかったが、任される他の者は堪ったものではないはず。
おそらく司馬懿殿でしょうね。あとで御礼をしなくてはならないわね。
「せっかく久しぶりに来たのだ。蛍華、今夜は泊まっていかないか?」
「・・・もてなしてくれる?」
「それ相応にな」
「では、今晩は泊まっていこうかしら。さっそくだけどお腹がすいたわ、元譲」
「すぐ用意させるから少し待て。とりあえず部屋へ案内しようか?」
「そんなに畏まらなくてもいいじゃない。ここは私の家でもあったんだから、私の部屋に通してくれればいいわ」











「なんだか懐かしいわね」
見慣れた廊下を通り抜け、通されたのは昔私が使っていた部屋だ。ぼんやりと明かりのともった部屋の中はなんだか少し寂しげで、とても懐かしい。
閉ざされた窓に近づいて、きれいな細工の上についた古い傷跡を撫でる。これは昔、孟徳と元譲と妙才がこの部屋に忍び込もうとしてついた時のものだ。
「それにしても、孟徳はなぜ仕事を放り出そうとするのか・・・」
こちらに歩いてきながら元譲がため息混じりに呟いた。
孟徳は特に、政務が苦手というわけでも嫌いというわけでもない。元譲も私もそれを知っている。
君主の仕事にどうでもいい用件などありはしないけれど、火急を要しない用件ばかりのときは決まって抜け出しているような気がする。未遂で終わるものも多いけれど。
「孟徳は昔と変わらないわよね。悪戯好きで。もしかしたら元譲や司馬懿殿の読みを超えるのが面白いんじゃないかしら?」
いたずらっ子の悪ガキと変わらない瞳を持つ我が君主の笑顔。
思い出しながらクスクスと笑うと、黙って腕を組んでいた元譲の顔が急に真顔になった。
「元譲?」
「蛍華よ。今、お前に想う人間はいるか?」
「突然何を言い出すの?」
思わず、首を傾げたまま問うた。 今の会話からなぜそこに話が飛ぶのか全然わからない。
「いるのか?いないのか?」

怒鳴りあげているわけでもない。眉間に皺が寄っているわけでもない。
でも、なんだか怒っているような、空気がピリピリしているような気がする。

「どうなんだ?」
「元譲、それは恋慕う相手という意味?」
「そうだ」
まっすぐ見つめられて、私は腕を組み、少し考えた。
私は女だし、自分が適齢期だということは知っている。
君主の従姉妹だ。望もうと望まざるとそのような話も、たとえ私の耳には届いてこなくてもあるだろうということも。
孟徳が兵を挙げてから今まで、戦のことばかり考えていたから女として嫁ぎ、子を産むなど考えていなかった。
魏国には素晴らしい武将が大勢いる。
張コウ殿も張遼殿も典韋殿も、徐晃殿も曹仁殿のことももちろん尊敬はしている。
けれど彼らを恋愛感情から異性としてみたことは一度もない。
だから今の私に特別に慕う人間がいるかと言われれば・・・
「べつにいないわ。これで満足?」
ぐいっと勢いよく腕を引かれた。いったい何が起きたのか。
「元譲?どうしたの?」
「呼んでくれ」
「元譲?」
「呼んでくれ、俺の名を。昔のように。頼む」
聞こえる元譲の声はいつもと何ら変わらない。指先一つ震えているわけではないのに、そんな風に感じた。
「惇兄様?」
ぎゅっと力が篭った。なぜか元譲が泣いているかのように見えた。






















魏軍の初は愛する惇兄で。しかも重すぎやば過ぎ願望見すぎで(笑)

2005/03/03
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