ぼくがぼくになった日

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やっと渋滞を抜けた。
彼女とさっきまでのようなくだらない話を、と考えていたのになまえちゃんのマンションに近づく程緊張して、話題を選んでいる自分がいる。



「…ごめん!私、今日実家へ行くとは伝えたけど、男の子と…嶺二くんと付き合っている事は話してないの!」


「え!ほんと?付き合って3年も経つのに?」


結構ショックは大きかったけど、いつだったか寮でお母さんが、寿嶺二くんとは仲良くしてはいけないと言っていたことを思い出して、話を切り出すタイミングもなかったのだだろうと邪推する。

ぼくはと言えば、付き合って一ヶ月ほどで母ちゃんと姉ちゃんに伝えてしまった。
まだ付き合ってなかったの?と姉ちゃんが、よく他の男の子に取られなかったね、と母ちゃんが。
本当に下世話な家族なんだから。





お盆や正月は、なまえちゃんは相変わらず実家に帰りたくないとぼくの実家で過ごした。

姉ちゃんは、ドスケベ嶺二に要注意だよなんて言っていつも自分の部屋になまえちゃんを連れて行ってなんだか楽しそうに話していた。

だからお互いがアイドルであることと、なまえちゃんのお母さんの反応以外では僕たちの交際や同棲に何ら障害は無いとは思う。






なまえちゃんの実家は、豪華としか言いようのないタワーマンションだった。

ぼくが子供の頃に商店街のおじちゃんが、よくも埼玉にこんなものを建てたもんだと話していたマンションのことだと思う。






エントランスをくぐると、ドゴール帽を被ったかっこいいコンシェルジュさんみたいな人がいて、なまえちゃんの家族ではない自分がここを通るとは、と既に緊張してしまう。


スーツの襟を直して、彼女の後に付いていくと、一階のインターフォンで応答してくれたまま玄関を開けてくれていたのか、鍵が開いている。





「ただいま。さ、嶺二くんも入って」


「お、おじゃまします」


グレーのカラーのスーツ姿にエプロンをしたお母さんがこちらへ来ると、じろりとぼくを上から下まで見回した。


「あの、なまえさんと同じシャイニング事務所所属の寿嶺二です。今日はお話があって伺いました」


「まぁ何となくは想像つくけれど、どうぞあがってちょうだい」


相変わらず怖いな……。
ぼくの母ちゃんよりも断然若くて美人なのに、眉間には深い皺が刻み込まれている。

お母さんはエプロンを脱いでリビングの椅子にかけると、さて、と手を叩いた。



「3年前からなまえさんとお付き合いさせてもらってます。この度、ぼくのマンションでの同棲のお願いをしたくて伺いました」


「避妊は?」


へ?と変な声が出てしまいそうなのを堪えて、もちろんしてますと答えた。


「結婚は?」


「今はまだ具体的に日時等は考えてはいません。けど時期が来たら、なまえさんをお嫁さんに貰いたいと考えてます」


「あなた、ご実家がお弁当屋さんだったかしら。庶民的なタレントさんで売っているのだものね。娘にはイメージアップかもしれないわ」


「お母さん……」


リビングに入ってからなまえちゃんが初めて口を開いた。
元気とはいえない、口篭るような話し方。
子供の頃にも聞いたことのあった話し方だ。


「寿嶺二くん、私はあなたが嫌いです。小学生の頃、なまえはあなたと文通を始めて成績が下がるようになりました。早乙女学園に進学した頃、ベスト体重よりもどんどん太っていきました。なまえは何も話さなかったけど、クラス名簿にあなたの名前を見つけた時は驚いたわ。かと思えば男の子の友達ばかりと出かけていたり、私に反抗するようになったり」


「申し訳ありません」


お母さんに言えることは今のぼくにはこれだけだ。



「……だけどね、学園を卒業して少しした頃からなまえの女優としての才能が広がり始めたの。きっと感情が開放されたのね。好きな人でもいるのだろうとは思ってました。それがおそらくあなたであることもわかってました」


お母さんの厳しい目つきと眉間の皺が緩まると、ぼくに頭を下げた。


「私は、自分の娘なのに支えてあげることができなかった愚かな親です。世間知らずな娘ですがこれからもどうか娘の支えになってやってください」



お母さんは下げた頭をあげ、なまえちゃんを見て笑っているようだった。


「…はい!絶対に大切に守っていきます」


隣にいたなまえちゃんとリビングの大きなテーブルの下で手を繋いだ。
なまえちゃんは瞳から溢れる涙をぬぐうことなくぽろぽろと流し続けた。


「あなたが私の前で泣くなんて、初めてじゃない。ほら、下を向かず涙をふいて。明日目が腫れてしまうわよ」


「私、嶺二くんの前では泣き虫なの。お母さんにはいつも泣いちゃいけないと言われてきたのに、嶺二くんはいくらだって泣いてもいいと言ってくれたのよ」




幸せなのね、そうお母さんは呟くと、なまえの頭を一度撫でた。



親子なら当然のこんな小さなスキンシップを逃してきたのかもしれない。
お母さんも後悔していることがたくさんあるのかもしれない。






その後は見たこともないお洒落な魚料理や、彩り豊かなサラダ。
男の子にはこれじゃ足りないわね、と分厚いベーコンをソテーしてぼくのライスに添えてくれた。


「嶺二さん、次にいらっしゃる時は、お互いスーツはやめましょうね」


お母さんはぼくに優しい顔でそう言ってくれた。
よく見ると、その顔はなまえちゃんと似ていた。







数日後になまえちゃんのお母さんはぼく達を応援するためにも交際を公表した方がいいのではないかと話を持ちかけてきてくれた。


確かに3年間誰にもバレずに交際を続けて来られたのも奇跡だとは思う。
これから同棲も考えていたし、今しかないと、お互いのマネージャーに相談した。



ハタチのぼくらが真剣に付き合っているということを世間の皆に知って欲しかった。
どこかで見ているかもしれない愛音も、きっとよろこんでくれると思う。



直筆のメッセージは苦手だ。
自分の女の子みたいな丸文字が嫌だけど、今更簡単に直せるものでもない。



なまえちゃんは子供の頃から綺麗な字を書く。
2人で1枚の紙に3年前から付き合っている旨をまとめて書いた。



次に1枚の紙に2人で何かを書き入れる時は、えんじ色の枠のついたあの紙であればいいなと思ってる。
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