ぼくがぼくになった日
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お盆が近づいた頃、職員室で教頭先生に頭を下げているなまえちゃんを見かけた。
「どうしたの。呼び出し?」
「違うの。お盆の間、学園を無人にするから実家に帰らないといけないじゃない。なんとかその数日間、寮にいさせてほしいんですってお願いにきたんだけど、ムリでした」
「やっぱりお母さんとは今もうまく行ってないんだね」
「ん……ごめん、帰る」
「待って!うちにいればいいよ」
話したいこと、聞きたいこと、いっぱいある。
聞けるかわからない。答えてもらえるかなんてわからないけど、少しでも話せたらいいと思う。
お盆の間も実家の弁当屋は営業しているし、なんならおはぎも作ったりするから忙しいんだ。
母ちゃんの忙しい時間をわざと狙って、しれっとお盆に友達が何泊かするからよろしくと店に電話をかけた。
「わぁ!本当にお弁当屋さんなんだ!」
「そんなに綺麗なところじゃないけど、あがって!」
勝手口からササッとあがると、こちら側があまり見えてはいないであろう母ちゃんが驚きとともに、なかなかやるな、ってぼくに目で合図をしてきた。な、なんだよ……!
あ、母ちゃんの手があいたみたい。
「いらっしゃい!あら、テレビに出てる子じゃない!友達っていうから男の子かと思ったら彼女だったのね!ゆっくりしていっておくれ」
「母ちゃん!カノジョじゃないから!友達!」
ちゃんと説明しなかったぼくが悪いんだけど、顔が赤くなっていたら困るから、下を向いてごめんとなまえちゃんに伝えた。
明るいお母さんだね。寿くんにそっくり、そう笑う顔を見て、ぼくの心は悟られていないと確信した。
二階の自分の部屋にあがると、母ちゃんが掃除をしてくれていたのか寮で暮らす前よりも綺麗に整頓されていた。見られて困るものなんて別にないけれど。
「ねぇ、寿くんは私と文通していたときのこと覚えてる?」
「もちろんだよ」
その会話の続きはなかった。
どうして返事をくれなくなったのか知りたかったけれど、話したくないから話さないのかもしれない。
やっと開き始めた彼女の心を閉じてしまいたくはない。
いつか少しでも聞ければいい。
それまでこうやって、友達でいてほしい。
「嶺二ー!なまえちゃーん!ご飯だよ!降りておいで!」
「はーい!」
まず大きな声で返事をしたのはなまえちゃんだった。
階段の中腹から、もういつもよりごちそうのにおいがしてくる。
唐揚げだ!
食卓につくと、なまえちゃんの顔が一瞬曇ったのをぼくは見逃さなかった。
入学式の翌日にぼくが食べさせた唐揚げのことを思い出したのだろう。
なかなか箸を持とうとしない彼女をじっと見ていると、なまえちゃんの食べる分だけご飯をよそっておやりよ、気が利かないね!と母ちゃんに頭をはたかれた。
「お母さん、いただきます」
行儀よく手を合わせたなまえちゃんはパクパクと唐揚げを食べ進めると、とってもおいしいですと母ちゃんとぼくに笑顔を見せた。
その頃高3の姉ちゃんも部活から帰ってきて、おじゃましてますというなまえちゃんに会釈をすると、なかなかやるな、と母ちゃんと同じ合図を目で送ってきた。違うっつーの!
「あの……すみません」
!?大丈夫?気持ち悪い!?
「ご飯のおかわりって、してもいいですか?」
「もちろんよ!お茶碗こっちによこしな。よそってあげるよ」
母ちゃんは嬉しそうに1膳目よりも多いご飯をよそうも、なまえちゃんはそれさえもペロッと食べてしまった。
お笑いのテレビを見ながら、よく嶺二が小さい頃にこの芸人のマネをしていたねえと姉ちゃんに無茶ぶりされて思いっきりウケを狙うも、キレがないだのもう1回だの、こんなもの公開処刑だ!
なまえちゃんは手を叩いて笑っていた。だから何度も何度も、たいして似てもいないマネをして見せた。
「嶺二の部屋はエアコンがないんだから、部屋の窓とドアも開けたまま寝なさいね。閉めたら母ちゃん承知しないよ!」
「大丈夫、私も隣の部屋で一晩中聞いてるからぁ〜」
母ちゃん!姉ちゃん!だから友達だってば!
2人で親指グッと立てるなんてやめて〜!
六畳の部屋でなるべく布団を離して敷いて、豆電球だけつけてしばらくこしょこしょと話をしていた。
「すでにデビューしているのに、なんで早乙女学園に入学したの?」
「親元を離れたかったからだよ。反対されたけどね。今まで通りにちゃんと仕事と勉強をすることを条件に入学させてもらったの。寿くんは?」
「やっぱり、芸能人になりたかったから」
芸能人になって、もう1度なまえちゃんに会いたかったから、そうは言えなかった。
「おやすみ」
隣になまえちゃんがすぅすぅと寝息を立てているのだと思うとドキドキして眠れなかった。
そういえば去年買った少年誌。机の引き出しからそれを取り出すと、暗い部屋の中で目をこらしてグラビアページを見た。
今のなまえちゃんよりも更に痩せているだろうか。
黒いスクール水着がそれを更に細く見せているのかもしれない。
正直ぼくは、大きくて柔らかそうなおっぱいが好きだ。
だからこのページを見ても何も感じるものはない。
ただこれを見ていやらしい気持ちになる男もいるんだろうと思うと、姿も知らないそいつらをなんだかとても憎らしく思った。
幼い頃から仕事をして、押さえつけられて、我慢をしてきたことがどれだけあったろう。
相変わらずすぅすぅと大人しく眠っているなまえちゃんを見ると、自分がいかに宙ぶらりんで情けない人間なのかと思う。
学園を卒業する頃にはちゃんとデビューできるように進まなくてはいけないのに、まだ一学期だ。まだ夏だ、そう思いながら日々は流れていく。
なまえちゃんを守りたい。
デビューもしたい。
けーちゃん、ひびきん、愛音とずっと仲良くいたい。
全部叶えてみせる。
……………………。
8時半!?
目を覚ますと隣にあった布団は綺麗にたたまれ、階段を駆け下りるとなまえちゃんがエプロンをして母ちゃんの手伝いをしていた。
「おは、よう…」
「まったく!おそよう、早くあんたも手伝いな!」
まるでなまえちゃんは若奥さんみたいな顔をして、母ちゃんと仲良く話をしながらお惣菜の仕込みをしていた。かわいい……。