ぼくがぼくになった日
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23時に仕事が終わると、失礼を承知で彼女の実家へと車で向かった。
この時間にはコンシェルジュさんはいないらしい。静かなエントランスにぼくの靴音だけが響いている。
部屋番号を押すと、お母さんが、どうぞ上がってきてと言ってくれた。
「お疲れ様。まだ帰ってきていないのよ。もう少しで帰るとは思うのだけど。なまえを迎えに来てくれたの?」
「はい。どうしても伝えたいことができたので」
1時間ほど、初めてお母さんと2人で話をした。
勢い余って出てきてしまったけど、ぼくに嫌われたくない、と夜通し泣いていたのだと言う。
「私のせいで感情の乏しい子になってしまったのだと気づいた頃にはもう遅くてね。親子関係の修復なんてもうとうに無理と思っていたわ。だから昨日いきなり家出をしてきたときには驚いたけど、少し嬉しかったのよ。母親と思ってくれているんだって。寿くんのご家族がとても素敵なんだってこの前に話してくれたのよ。25歳になったのも相俟ってそろそろ温かい家庭を持ちたい、そう思っているのでしょうね」
女優としての彼女ではなく、1人の人間として娘を見つめている。
お母さんは嬉しかったと言っていた。その言葉を聞けて、ぼくも嬉しいと心からそう思えた。
「ただいま」
「なまえちゃん。ごめんなさい。ぼくにはきみが必要です。一緒に来てほしい。藍色の海、見つけたんだ」
「え……」
ありがとうございます、そうお母さんに頭を下げ、そのまま昨日の荷物も持たず手を取って、海へと車を走らせた。
ここからなら一時間半もあれば到着する。
「ここ、なの?」
疲れてはいたが確かに昨日この場所ではっきりと見たんだ。
2日も徹夜するわけにも行かず、暗い海辺に車を停めて、流れる星をひとつ見送った後、身体を休めた。
「藍色!起きて!ねぇ嶺二くん!海が藍色に変わる!」
そこには昨日と変わらない同じ景色があった。
「こんなに美しく輝いているのに。なんだか不思議、こちらへ来てはいけないって押し返されているような気がするの」
ぼくもそう思う。
愛音はこの海の底に沈んでしまった。そう思っていたけれどきっと違う。やっぱりどこかで生きているはずだ。
「連れてきてくれてありがとう」
彼女をひたすら抱きしめ続けたのは久しぶりだった。
もう少しこの余韻に浸っていたいけど、早く戻らなくては仕事に遅刻してしまう。
今日は早めに家を出て、アイアイと対抗するチーム制の歌合戦の打ち合わせがある。
なまえちゃんはオフらしく、ゆっくり家の片付けでもしようかななんて帰りの車で言っていた。