獄都事変
□Chocolate
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閻魔庁に書類を持ってきた苗字は、辺りに漂う甘ったるい匂いで今日が何の日なのかを知った。
書類を受け付けてもらう際、お好きにどうぞと書かれたチョコ入りの箱が視界に入る。
(特務室の皆に買って帰った方が良いんだろうか)
そう考えるも、買い物の予定が無かった苗字は今お金を持っていない事に気が付く。お金が無いなら買う事は出来ない。潔く諦めた苗字は、受付台に置かれた義理チョコを自分用に一つ摘むとポケットに忍ばせた。
「苗字、遅かったねーーって、どうしたの?それ」
館に戻った苗字を出迎えた同僚達は、苗字の両手に抱えられた紙袋を見て驚いた。
「閻魔庁の女性達から皆にプレゼント。あ!平腹、個人宛てがあるから好き勝手に包装開けないで」
苗字が卓上に紙袋を置くのを見て早速チョコを食べようとしていた平腹がえー、と不満気に声をあげた。チョコはむしろ個人宛ての方が多いだろう、と苗字は思う。
用事を済ませた苗字が閻魔庁の敷地外へ出るまでの間、苗字は何度も呼び止められてはチョコ入りの紙袋を渡された。初めの三つまでは誰宛てか覚えようとしていたのだが、四つ目からは諦めて紙袋に付箋で宛先を書いてもらうようにした。それ程個人宛てのチョコが多かったのだ。
「私が選り分けるからもう少し待って」
平腹にそう言ってチョコの選別に取り掛かる。佐疫に木舌に田噛……あ、ちゃんと平腹にもある。
「はい、これが平腹宛てね。こっちは誰宛てとかない奴だから足りなかったらこっち食べなさい」
急かす平腹にチョコを渡した後、他の獄卒にも個人宛てのチョコを渡していく。
チョコが最後の一山になった時、その貰い手の姿が見当たらないことに気が付いた。辺りを見渡すと、ソファの端から尋ね人の髪が覗いていた。
「田噛、起きなよ。チョコ貰ったんだよ」
談話室で皆が盛り上がる中、田噛はソファに埋もれて相変わらず惰眠を貪っていた。
「田噛ー、要らないなら俺貰っていーい?」
後ろから聞こえた平腹の声に振り返ると、田噛宛のチョコの山に平腹が手を伸ばしているところだった。
「ちょっ、駄目に決まってーー」
「あぁ、いいぞ」
平腹を制そうとした苗字の下で、今まで寝ていたはずの田噛が口を開いた。
「好きなだけ食べろ」
苗字が驚いた顔をして田噛を見遣ると、田噛は何か文句があるか?という顔をした。
一方平腹は待ってましたと言わんばかりにチョコの包みを開けている。
「……田噛、チョコ好きじゃなかったっけ?」
苗字は田噛に尋ねる。
バレンタインのチョコを人にあげてしまうというのはいかがなものかと思う。
「いや。ただこの時期のチョコはリターンが面倒だ」
真面目な顔をして言う田噛が可笑しくて笑う。
「田噛らしいね。でもお返ししない人だっていると思うよ?貰えるもんは貰っときゃいいのに」
そう言って皆の輪へ戻ろうとした時、田噛が苗字を呼び止めた。
「おい。お前は用意したのか」
聞かれているのは話の流れからしてチョコの事だろう。田噛はチョコの話題に興味が無いようだったから、この話はもうお終いかと思っていた苗字にとって、田噛の発言は意外なものだった。
どうして田噛はそんな事を訊くのか、もしかして田噛は私のことを……と期待に胸が高鳴るが、苗字はふと我に返った。
(用意してない……)
田噛のことは日頃から好意的に思っていたが、まさかこんな展開になるとは思っていなかった為、田噛に渡すチョコは用意していなかった。後悔で青ざめるも無いものは無い。正直にチョコは無いと言おうとして、苗字は右ポケットの中で転がる義理チョコの事を思い出した。閻魔庁の受付で貰ったチョコである。
「あー……こんなのしか、持ってない」
皆の可愛くラッピングされたチョコを前にして、苗字は色気のないチョコをポケットから一つ差し出した。
「私から貰いたがる人もいないだろうと思って……田噛いる?」
そう言って頬を掻く苗字をじぃっと見た田噛は呆れたように口を開いた。
「……貰ってやる」
田噛は渡せ、と言うと苗字の手からチョコを奪い取り、包みを開けて口に放り込んだ。
その様子を呆けて見ていた苗字は、はっとすると同時に急速に頬を赤く染め上げた。
「田噛、えっと……あのーー」
Chocolate
「返事は期待しとけ」
田噛はそう言って、チョコを美味しそうに飲み込んだ。