獄都事変

□恋したのはピアノの音
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何百年、何千年と繰り返される地獄の責め苦。
罪を償う人間は少しずつ入れ替わるが、罰を与える獄卒は滅多なことでは変わらない。


異動期を控えた私は、地獄の苦しみに悶える亡者を監視しながら先輩の獄卒と談話していた。

「今年は異動願、出しました?」

先輩が欠伸を噛み殺して答える。

「出す奴なんていないよ。お前だって出してないんだろ?」

先輩は質問で返してきたが、まるで答えは分かっているという風だった。

「まぁ……でも、たまには異動もいいかな、とは思ってますけど」

「どこによ」

先輩が好奇の目を私に向ける。
何百年と閻魔庁で働く私達にとって、どの部門も一度や二度は経験のあるものばかり。今更皆に職場の希望など有りはせず、異動願は形ばかりの制度となっていた。

「特務室とか……?」

「……新手の冗談か?」

そう言いながら、先輩は逃げ出そうとする亡者を釜の中へ蹴り落とした。
特務室は閻魔庁の外部機関として設置されているが、採用や地位は私達と異なる。

「あそこは希望して行けるとこなのかねぇ?まぁ希望する奴も居ないだろうけど」

先輩はどうやら私の言葉を本当に冗談だと受け取ったようで、それ以上は追求してこなかった。
私もどうしても聞いてほしいわけではないので話を打ち切ることにした。



私が特務室を気にするようになったのは数日前。夜勤明けというのに元上司へ書類を持っていくように指示を受け、私は特務室の応接室に居た。

私を応接室に通した男は

「もう少ししたら帰ってくるんで」

そう言い、館の中へ消えていった。暗く無愛想な男だ。

詳しい説明は省かれたが、元上司・災藤さんは外へ出ているようだった。





しかしながら、『もう少ししたら』とはどれくらいの時間を指すものだっただろう。随分と長い間待っているように思う。

私が応接室の風景に飽きてきた頃、微かにピアノの音が聴こえてきた。

(災藤さん、館の中に居るじゃん……)

待ちくたびれてソファに深く腰を掛けていた私はそう思った。
私が知る中で、ピアノを弾く獄卒は災藤さんぐらいなものだ。

おそらく私を応接室へ通した男は、災藤さんが外出しているものと思い込んで、館の中を探しはしなかったのだろう。

このままでは私の休日が無駄に消費されてしまう、そう思い応接室を後にした。




音の発信源となっている部屋はすぐに見つかった。中を伺うと、こちらを背にしてピアノを弾く男の姿が目に入る。
栗色の髪と災藤さんよりも幾分か小柄な体格は、男が尋ね人では無い事を窺い知るには十分であった。

応接室まで引き返そう、アテが外れた私がそう思い踵を返したところ、至近距離に厳しい表情をした男が居た。

「ぅわっっ」

あまりの近さに驚いた私が思わず後退りをすると、後頭部から背中にかけて痛みが走る。扉に打ち付けたようだった。

「おい。何をしている」

今の私はまさに不審人物だろう。

「すみません。災藤さんを訪ねて閻魔庁から来たんですが、ピアノの音が聴こえたので災藤さんかと思いこの部屋へ……」

男はしかめっ面を崩さず言う。

「災藤さんは今しがた館に帰ってこられた。田噛がお前を探していたぞ」


……怒られてしまった。

どうやら先程私を応接室へ案内した男は田噛と言うらしい。面倒だと言わんばかりの態度で私を探す姿がありありと目に見えて、少し申し訳なく思う。

「すみません。応接室に戻ります」

私が数歩進んだところで、後方から扉の開く音がする。

「谷裂……?」

優しげな声音に振り返る。
扉から顔を出したのは、ピアノを弾いていた男だった。

「こんなところに居たのか。佐疫、俺の鍛錬に付き合え」

「また?昨日もしただろう。それより……いいの?」

佐疫と呼ばれた男が私を指差す。
二人のやり取りを凝視し過ぎたようだ。

「何か用か」

谷裂が睨むようにこちらへ振り向く。

「……いえ」

別に用があったわけではない。ただ、ピアノを弾いていたこの佐疫という男が少し気になった。元上司に良く似た好青年だと。


「応接室の場所が分からなくなったんじゃないの?俺が一緒に行くよ」

応接室の場所くらい覚えている。普段ならそう返すが、今は彼の厚意に甘えることにした。彼の事を知る良い機会だと考えたからだ。
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