獄都事変
□夕陽と君と私のしじま
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「田噛さん、待ってください。暗いですから、私が前を歩いて足下を照らします」
暗い階段を明かりも無しに先導する田噛さんに声をかける。
「夜目が効くから問題ねぇよ」
確かに田噛さんは暗闇の中、問題無く階段を降りて行く。月の光も差し込まない階段なのに……
自分の足元ばかり照らしていた明かりを少し上方に向け、田噛さんの後姿を照らす。その後姿に名前は見覚えがあった。物心ついた頃から年に数回見る夢、その夢に出てくる男の人に似ているような気がするのだ。
男はオレンジ色の夕陽が映える草原に佇んでいる。彼がこちらを振り向く時、夕陽は逆光となり顔はいつも見えなかった。だが、彼はいつも言いようのない哀しみを湛えてこちらを見つめているのだと、名前には確信があった。何故哀しんでいるのか、私に何を言いたいのか、分からないまま終わるその夢に、名前はいつも歯痒さを感じていた。
(似ているだけ。この人に聞いたって、夢に現れる人の気持ちは分からない……)
初対面の人との無言はなかなか気まずいもので、名前は田噛の横に並び、話しかける。
「お仕事の邪魔をしてしまい本当にすみません。私、携帯電話をデスクに置き忘れてしまって……うっかりしてました」
「あぁ、知ってる。お前は何回生まれ変わってもおっちょこちょいなままだろうな」
……辛辣だ。田噛さん、怒っているのだろうか。初対面の人に言う言葉ではないように思う。迷惑を掛けている以上、言えた立場ではないが。
落ち込みながらも田噛さんの機嫌を伺おうと横目でチラッと見ると、田噛さんと目があった。
(あ……)
田噛さんは口の片方だけを吊り上げて、ふっと笑いを漏らした。
(揶揄われた、のかな)
貴重な表情を見たような気がして田噛さんに見惚れていると、田噛さんが口を開いた。
「なんだよ」
睨みつけられてしまったが、不思議ともう怖くなかった。この人はきっと、表現の方法が不器用なだけーー
微笑ましく思っていると、階下から一気に冷気が流れ込んできた。とても嫌な感じだ。
すると、田噛が名前を腕で制して言った。
「……おい、そこの隅でしゃがんで待ってろ」
良いって言うまでこっちくんなよ、と言いながら、階段ではなく次のフロアへと繋がる廊下へと田噛は進んで行く。
しゃがんで待ってろーーそう言われても。こんなところで一人にしないでほしい。拗ねた子供のようにしゃがみ込んで膝を抱えた名前は、田噛の横顔を思い浮かべていた。
(やはり、一人では行かせられない。というか、私が怖くて一人じゃいられない)
顔を上げた名前は足音に気をつけ、ライトの明かりを幾分か落として田噛の後を追う。
壁から顔を少し覗かせると、廊下は月光に照らされており田噛の後姿を伺うことが出来た。
田噛の前方には、人ぐらいの大きさの黒い物体が蠢いている。
あれは人?彼の仲間?否、それは違うような気がした。黒い物体は禍々しい空気を放っている。田噛さんとは似ても似つかない。
田噛が心配で見つめていると、奥から物凄い突風が吹きつけ、田噛の帽子が飛んでくる。帽子を受け止めた名前は、思わず顔を引っ込める。
その時、初めて自分のすぐ側に人が立っていることに気付いた。
「っっ、いゃぁああああ」