ヘタリア短編 展示水槽

□日日礼讃
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今日、彼処で欧化が進行しております。開国の当時には純日本風の家屋が立ち並んでいたものが今や電気の明りでピカピカ真白く光る文化住宅でごった返しています。
しかしこれは時代の流れと云う逆らい難いものによるものであって斯く在る事はけしておかしなことではございません。
地方は格別、都会に住居する以上近代風設備は必要不可欠であり、電気、瓦斯、水道これらは大方の家に取り附けられていることでしょう。斯く言う私も先日そういたしました。
なるべく和風を残したく、電線は床下を這わせスイッチは隠し、傍目にはそうとはわからないものとなりました。
変わりゆく景色が寂しくもあるが、近代的欧風生活を喜んで享受すべきとの結論に至り、我が家も時代の波に攫われることにいたしました。本日はそのお話をいたします。



まず採光の面から考え、一部障子を硝子戸にいたしました。本当を言えば障子のふっくらした柔らかみを好んでいたものの、矢張り戸締りも悪いので断腸の思いで建替えました。
只今実物を目にして見て、あの温かみが消え失せてただ冷ややかな硝子があるのに幾ばくか落胆致しましたが、実用には抗えません。

また電燈について近来は行燈式、提灯式、八方式、燭台式のもの等日本家屋にも調和しそうなものが売り出されておりますが、私のようなお爺さんには満足できず昔の有明行燈へ電球を取り附けたものを使用しております。
上司からは変っていると揶揄されますが、このほうが面白いように感じるのでございます。これも年寄りの気質でしょうか。
しかし苦心したのは煖房の設計でございます。私は瓦斯ストーヴだと日本家屋に調和せず、頭痛もし、ぼうぼう燃える音がするので取り附けず、電気ストーヴも調和しないので取りつけず、
ヒーターを床下に這わせるというのも考えはしましたが、赤い火が見えないと冬らしい気分にはなれずと堂々巡りを致しました。
最終的には大きな炉を造って中へ電気炭を仕込むという選択をして、中々に費用は嵩みましたが私の希望に沿うものができたと自負しております。

さて難しいのが浴室と厠でございます。まず浴室について、タイルを張るか木造にするかこの二択を決めがたく、困りました。
経済や実用の面から言えばタイルの方が万々優っておりますが、タイルはケバケバしく、柱、天井、羽目板などに日本材を使っているうちの浴室とは全体との映りが悪いのです。
追い追い年数が経っていくうち日本材に木目の味が出てきているのにタイルばかりが白くつるつるに光っていられたら、木に竹を接いだような不自然なものと成ってしまうのです。
こうした事情から、タイルはやめて木造にいたしました。

もっとも厄介な厠について、私は一種の拘りがございます。
日本の厠とは、必ず母屋から離れて、青葉の香や苔の香のしてくるような植え込みの蔭に設けてあって、薄暗い光線の中にうずくまって瞑想に耽り、または窓外の景色を眺める気持は何とも言えないものがあります。
閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることのできる日本の厠ほど素晴らしい場所はありません。
特にしとしとと降る雨の音、軒端や木の葉から滴り落ちる点滴が石灯籠の根を洗い飛び石の苔を湿おしつつ土に染み入るしめやかな音を聴くのが好きです。
本当に厠は虫の音によく、鳥の声によく、月夜にもまたふさわしく、四季折々のもののあはれを味わうのに最も適した場所であり、日本建築の中で一番風流にできているのは厠であると云えるのではないでしょうか。
これを西洋の皆さんには理解されないのが非常に心外であるというのが本音でございます。西洋便所でスチームの湿気がしてきた時は、まことに厭な心地がしたものです。
しかし、浴室同様タイルを張ってしまえば衛生的でもあり手間も省けて良いように思えます。多くの人はここに惹かれて一面タイル張りの厠を作り上げるのでしょう。
その代わり、「風雅」「花鳥風月」とはぷっつりと縁が切れてしまいます。彼処がぱっと明るくて、四方が真白な壁だらけではどうも落ち着かないのです。
隅から隅まで純白なのだから清潔なのには違いありませんが、ああ剥き出しに明るくするのはかえって下品で、見える部分が清潔なだけに見えない部分の連想を挑発させるのではと云う気がするのです。
矢張りこういったものはもやもやとした薄暗がりの光線で包んで、何処からが清浄でどこからが不浄になるとも朦朧とぼかしておいたほうが良いと至り、浄化装置は取り附けましたがタイルは一切使っておりません。

しかし便器ともなれば問題は別でございます。水洗式のものは皆真白でピカピカ光る磁器などでできているのであります。
口五月蠅く注文を言えば、木製のものが一番良いのです。蠟塗りのものは最も結構でございますが、木地のままでも年月を経るうちに木目が魅力を持つようになって神経を落ち着かせるのです。
どうにかできないかと試行錯誤してみましたものの、そう云うものを特別に誂えるとよほどの手間と費用が懸るのであきらめるより他はございませんでした。
照明にしろ、煖房にしろ、便器にしろ、文明の利器を取り入れるのに勿論異議はありませんが、それならそれで、何故もう少し私たちの習慣や趣味生活を重んじ、それに順応するように改良を加えなかったのでしょうか。
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