攻殻機動隊

□ゴーストが囁く
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「おいそこ!顎が上がってるんじゃねぇか?気合入れろ!!」

時刻は午後五時、バトーは緊急を要する事件のない日は特殊部隊の新人訓練を担当している。

所謂、次世代の9課を育てるようなものでその内容は極めてハード。

並大抵の軍の訓練とは訳が違う、このバトーの喝が飛ぶのも本日何度目か分からない。

とりわけ、ここ最近の新人の骨が無いということも関係しているのだが、今日は愛しい恋人との初夜を迎える日とあってより力が入っているのだ。

「バトー、今日の勤務はここまででいい、訓練生達を上がらせてやれ。」

上司である荒巻からの通達が電脳内にこだますれば、了解と小さく返事をし兵隊の卵達を収集した。

普段通りの流れでキツい練習から解放してやれば、皆グッタリとその場にへたり込む。

いつもであるならば笑って労いの言葉でもかけてやるのだが、今日はそうゆっくりしている時間はない。

バトーはサッサと身支度を整えると短い別れの言葉を残し、擬似戦闘ルームを後にしてしまった。

「…バトー先輩何あんなに慌ててんだ?」

「さぁな…どうでもいいからシャワー浴びたいよ…」

見習いと言えどエリートの警察官、しかし彼らの推理力はまだまだ若いらしく上司の心境の変化に気付きもしないのだった。









「おう待たせたな、帰れるか?」

「はい、大丈夫です。」

新たに9課の仲間入りを果たした名無しさんは、一日挨拶回りや荷物の搬入に費やしていたらしく戦闘訓練をしていたバトーよりかは時間に余裕があったようだ。

既に荷物をまとめてバトーの帰りを待っていたが、どうにもその様子に違和感がある。

「…荷物でかくないか?」

「あぁ…まだ家に家財道具を殆ど残してきてはいるんですが…着替えやら日用品やらは詰め込んできてしまったので…」

帰り道を歩きながら話を進める名無しさんの荷物は、当然のようにバトーに奪われてしまう。

非力な女性が持つには重たかった旅行バッグも、この大男からしてみれば子供のナップザックのようなものだ。

名無しさんは申し訳なさそうにしながらもその好意に甘えさせてもらうことにした。

「今日家を売りに出したのでさすがにまだ買い手はつきませんから、ゆっくり新しい住居を見つけなきゃいけませんね。」

「…これからどうするつもりだったんだよ。」

「え?ホテル取ってますよ、連泊で。」

バトーは名無しさんのキョトンとした顔に少しばかり頭を掻いた。

行動力もそうだがこの強かな性格にはたまに喫驚させられる。

しかしこの決意があってこそ9課に入ることができたのも事実で、上司である素子は迷いのある人間を自分達の仲間に迎え入れることは決してしない。

それを知っているからか、バトーは今まで信じもしなかった運命なんて言葉が頭をよぎった。

「もったいねぇな…金かかっちまうだろ、まぁそれこそお前は結構貯め込んでるんだろうけどよ。」

車庫に到着し、そう言いながらもう乗り慣れて長い愛車に名無しさんの大仰な荷物を積み込んだ。

名無しさんもそれに合わせて車体の低い車へ入るため身を縮める。

「こんな時こそ頼る存在ってのがあるだろう、暫く俺の家に来い…無理強いはしねぇがな。」

バトーのその台詞に名無しさんは目を丸くして、つけようとしていたシートベルトから手を離しその顔を見つめた。

「…なんか意外です、バトーさんってあまり自分のテリトリーに人を入れたがらないものだと思ってたから…」

「…まぁ間違っちゃいないな、実際俺の家に人を招いたことなんざ一度もねぇよ。」

古い車の年季の入ったエンジンが唸る。

快適とは言えない車体の揺れも、都会のビルの夜景と合わされば大人の揺り籠だ。

名無しさんは赤や橙に点々と染まるバトーの顔を横目に盗み見る。

言葉少なな彼の誘いだが、恐らく冗談や同情で言ったようなものではないだろうことは分かる。

暫しの沈黙を経て、名無しさんは随分自分の飲み込む唾液の音が大きくなってきたことに気付き重い口を開いた。

「お邪魔じゃなければ…」

「はいよ…ったくヒヤヒヤしたぜ。」

長らく帰ってこない返事に焦りを感じていたバトーは、あと一分でも恋人がダンマリを決め込んでいたら発言を取り消していたところだ。

そう冗談のひとつでも言って名無しさんの頭をワシワシと撫で回し、車の進行方向を自分の家へと向け直す。

バトーがホテルの予約のキャンセルをしておくよう言い聞かせれば、名無しさんはどこか嬉しそうにいそいそと電話をかけ始めた。

長いようで短く感じた名無しさんとの付き合いの中で、彼女の性格は控えめであるだけではなく人に甘えることが下手だということが分かってきた。

ずっと自分の力だけで生きてきたのだ仕方ないのかもしれないが、時にまるで遠くにいるように感じることもある。

しかしそれはバトーとて同じ。

少しずつではあるが真に心を通わせてきている名無しさんに、自分も何かしてやりたい、否自分の側にいてほしいと思ったのだ。

バトーは電話に向けられる他所行きの恋人の声に耳を傾けながら、どの部屋を彼女にあてがうか考えながら運転に集中した。
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