攻殻機動隊

□適材適所の憂鬱
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運命的な出会いを果たし、晴れて片思いが成就した名無しさんは、今日も花に囲まれながら穏やかな日常を送っていた。

「名無しさんちゃん最近楽しそうねぇ、何かいいことあったの?」

「あら知らないの?恋人ができたんですって、前私が持ってきた縁談断られちゃったんだから。」

近所のご婦人達の憩いの場にもなっている名無しさんの花屋は、いつも何人かが店に集まって女性特有の井戸端会議をしている。

普段の話題は孫や子供、体調の話だが珍しく話の矛先が店主へと向けられた。

するといくつになっても女性という生き物は鼻が効き、鋭いもので、名無しさんの僅かな変化を見逃さないとばかりに質問を次々浴びせてくる。

いつどこでどんな人なのか、結婚はするのかと謂わば人生のゴール地点へと先を急かすのだ。

「公務員でとっても真面目な方ですよ…ほらほら次のお客様が来てますから私は行きますね。」

嘘は言わずにうまく話をかわしながら、マダムたちを店外へと追いやる。

親を早くに亡くしたことを知っている常連客は、なにかと名無しさんを気にかけ世話を焼いてくれるし、自分自身身内ではないにしろ祖母のように慕っている人達だ、しかしバトーとのことを正直に話すわけにもいかない。

名無しさんは気を取り直してと一人で来ていた若い女性客への接客に神経を向けた。

「お待たせしました、何かお探しでしょうか?」

「そうね…あなたは自分を花に例えたとき何を選ぶ?」

腕を組みながら訳ありげな目線を向けてくるその女の質問を、脳内で噛み砕いてみるが違和感という存在が消化を妨げる。

どこかで聞いた声だ。

「…私に似た花は考えたこともありませんが、あなたには鬼灯がお似合いかもしれません。花言葉は不思議や自然美です…バトーさんの上司さん、お名前をお聞きしても?」

「ふふ、その花あなたにも似合いそうね…私は草薙素子。名乗りもせずに電脳に入ったことを謝るわ、良い店ね。」

まだバトーと付き合う以前に二回ほど会ったことがある。

一回目は遠目から、二回目は数週間前に脳内で声だけを聞いている。

姿こそ見たことはないが放つオーラがその辺を歩いている一般市民とは遥かに違うもので、まるで研ぎ澄まされた日本刀が周りを囲んでいるような、激しく静かな空気を纏っているのだ。

武道の達人が、立ち姿を見ただけで相手の力量が解るように、名無しさんもまた素子のただならぬ存在感を感じたのだろう。

「私は名無しさんです。草薙さんは花を買いに来たわけではなさそうですが…いかがですか?」

「そうね、強いて言えばあなたを買いに来たのよ。」

「…仰ってる意味が…」

「私とバトーが所属する攻殻機動隊、通称公安9課にスカウトに来たの…人に聞かれたくない話だから防壁の中に移動しない?」

目眩く言葉に頭の処理速度が追いつかない、今この女性は自分に警察官をやれと言ったのだろうか?

名無しさんが返事をする間もなく、素子は慣れた手つきで外界と遮断する仮想空間を作り上げたかと思うや、存在しない椅子にその腰を下ろした。

「さて…どうかしら、興味ない?」

「興味…と言いますか…まず何故私なのかというのが疑問です。公務員試験は受けたことがありませんし、経歴は汚れています…花屋を畳むことも考えられません。」

率直な意見だった、実際自分のような人間が警察官なんて資格が無さすぎる、物理的にも倫理的にもだ。

「我々9課は引き抜きかスカウトでしか入ることはできない、特殊部隊だからと言って戦闘ばかりを要求するわけではないのよ…あなたの類稀なるハッキングスキルと頭脳を買っているの。試験なんてものは存在しないし素性だって全員特殊。それこそ副業も許されているわ…これを聞いても魅力を感じないかしら?」

「いえ…正直とても素敵なお誘いです。ここを任せられるような人もいないことはありませんし…ただすぐに返事をするのは難しいですね…一日頂けませんか。」

素子は名無しさんのその言葉に構わないと返事をすると、現実の世界に回線をシフトする。

そして周りに纏わりつくように広がっていた防壁が少しずつ崩れていくと、気がついた時には素子は居なくなっていた。

狐につままれたような気分だが確かにそこにいた女性の残り香が店内に僅かに残っている。

名無しさんは手に持っていた鬼灯を一輪挿しの中に飾ると、店の看板をopenからcroseに変更し扉の鍵を閉めた。
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