導体

□今日も
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空を見て泣いたのは、初めてのことだった。

患者の悲鳴も、遺族の慟哭も、受け止めることしかできなくて擦り切れた精神は、少しずつ、しかし長い間の積み重ねから、「辛い」と口に出すことすら億劫になっていたのだ。
それでも見上げた空は突き抜けるような青さで、妾たちのことを見ているのだ。

どうしたらどんな命も取りこぼさずに救えるのか。
どうすれば妾の異能は十全に使いこなせるのか。
そうすれば悲鳴を聞かなくてもよくなるんじゃないか。
どれだけ考えたところで、嘲笑うかのように蝶は逃げる。
追いかけるのすらしんどくなって、泣きたくて泣きたくてたまらない。それでも医者で有る限り此れは続いて行くのだからとこらえるしかなくて、気丈になったヒールは足取りを重くする枷にしかならない。

もう頑張れない、諦めたい、そう思ったけど。

今日の空が綺麗だった。青い青い空だ。
泣きそうな顔を見られるのが嫌でうつむいた顔を思わず上に向けた。今日の空が、吸い込まれるような青さで、とりあえず明日まで。と歩みを止めそうな足を無理やり前に踏み出させた。

空を見て泣いたのは、その日が初めてだった。
その空を至極色の美しい蝶が舞っている。それは一枚の絵のようで、でも確かに現実で。
こんな現実の中でもいつだって変わらない空がそこにあった。

疲れた体でも眠る時間すら削って研鑽に努めても、やっぱり蝶は逃げていく。疲れた体が、しんどい、と何処かで聞いた悲鳴をあげる。
探偵社の扉を開けるのすら億劫で、もう頑張れないからと逃げ出した。

今日も、空は綺麗だ。
暖かい橙の色の中に夜の色が溶け込んでいく。もうすぐ終わる今日という日を、明日という未来につなげようとしている。そんな空が綺麗で、下を向かずに歩いてみた。
やっと溢れる涙を拭わずに、とりあえず明日まで。と昨日と同じように呟いた。

今日も、いつでも空は綺麗で、その向こうに妾の逃した蝶たちが舞っている。
下を向いていたら見逃してしまうから、下を向かずに歩いていく。
今日も、あの場所でみンなが待っている。
少しだけ、頑張って生きる理由には十分だ。

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