導体

□まだ得ることはできない。
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「ただいまー」
「お帰り、お湯を張っておいたからとっとと入って来ちまいなよ」
「えーそこはお風呂にする?ご飯にする?それともあ、た、し?っていうところじゃないのかい?」
「生憎夕飯はまだできていないしあんたに抱かれる気分でもないよ」
ヨコハマの片隅にあるボロアパート。トイレと小さい風呂と台所と、六畳間が1つだけの本当に小さな部屋で待つ、15歳年下の恋人の姿に仕事で固まっていた肩の力が抜けていく。
まさかポートマフィアの長ともあろう者がこんな所に居を構えているなんて誰が思うだろうか。まぁ町医者に扮した私の姿だと割と違和感がないのだが。
「いいお湯だったよ。おや、今日は煮魚かい?」
「魚屋の人が上物をくれてね」
「……鯖じゃないよね?」
「鯖だよ」
「そんなぁ……」
「分かってて言ってるだろう、赤魚さ。醤油で煮てるから森医師でも食べれるはずさ」
「ありがとう与謝野くん!」
「気持ち悪い」
「あはは」
ぎしぎしと嫌な音を立てる卓袱台いっぱいに並べられた料理に口をつける。代わり映えのしない、けれど優しい家庭の味が体に染み渡っていく。
2人で生活を始めてからもう直ぐ一年が過ぎようとしている。
私が誘うと、意外にも前向きな返答が返ってきたことがきっかけだった。
彼女と同じ屋根の下で生活をしていることは誰も知らない。これからも誰にもいうつもりはなかった。
「美味しいねぇ」
「そりゃよかった」
「片付けは私がしようか」
「お願いするよ」
普通の生活。どうでも良い会話。
美しい彼女。
これ以上、求めるのもおごがましい。けれど求めてしまいたい。
夕飯の片付けをして、お互いに書籍を読んだり、自由な時間を過ごして。
日をまたぐかという頃合いで二組の布団を敷いて床につく。
「…与謝野くん、」
「……明日も仕事があるンだ」
「それは私だって一緒だよ」
「………………」
「今日も、駄目かな?」
「すまないねぇ」
「いや、いいんだよ。無理やり手を出す趣味はない」
「幼女趣味はどこへ置いてきたんだい?」
「それとこれとは別だよ」
一年も一緒に過ごしても、彼女は肌に触れさせてくれることはなかった。それを求めていたわけではないがそれでも矢張り彼女との距離を感じてしまう。
「(あぁこんなにも近いのに)」
ぬくもりを得られない体が夜の寒さに震えるのを隠すため、布団を深めにかぶって背を向けた。

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