奥州ホールディングス資料室

□社長に恋する三ヶ月
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(い…………忙しい…………!)


奥州ホールディングス株式会社、48階社長室。
その前に用意された秘書用スペースで、私は一人戦っていた。

明日の朝イチ必要な資料作成の為にキーボードをひたすら打ち続け、1時間に3本はかかってくる電話を取りつつ時計とにらめっこしている。

(どうしてこんなことに…!)


短大卒業後、この奥州ホールディングスに就職し、2ヶ月の研修を終えて総務三課に配属になった。

世界的にも有名になっている大手企業なだけあって、お給与や残業休暇の管理はもちろん、福利厚生もしっかり充実していて、このご時世だと言うのに定時で上がって同期や友達と遊ぶことすら出来ていた。


そう、一ヶ月前までは。



(気に入って頂けたのはありがたいけど………こんなことになるなんて………)


一ヶ月前、お昼休みに偶然、お腹を空かせた美丈夫と出会ってしまった。

声をかけたらものすごく警戒されたけど、その人のお腹があまりにも悲鳴をあげているものだから、押し付けるように自分の手作り弁当を差し出した。

嫌そうにしていたものの、一口食べたら気に入られたのか空腹の箍が外れたのか、黙々と食べてくれた。

その様子にほっとして、自分の作った物を誰かに食べてもらえる嬉しさを久しぶりに味わっていたのも束の間。


その美丈夫の正体が実はこの会社の代表取締役社長、伊達政宗様で。


さらに、政宗様は普段絶対に他人の作った料理を食べることはないらしく。

それなのに私のお弁当を召し上がっている政宗様を見た副社長の片倉小十郎様が、翌日には私を社長付き秘書に大抜擢して下さったのだ。


社会経験はゼロといっても過言ではない私の仕事は、こうした資料作りと社長、副社長のスケジュール管理、そして…


(大変!そろそろ政宗様のお昼ご飯!)


政宗様のお食事係が私に与えられた最も重要な職務だった。


給湯室と言う名の豪華なキッチンに向かいながら、昨夜組み立てた献立表を眺める。

(食欲はあるかなぁ、今日は暑いしさっぱり召し上がりたいかな……)

一応前日に献立を考えておくものの、少しでも美味しく楽しく食べて頂きたくて、その日の政宗様の執務内容や天気なんかも考慮しつつメニューをいつも組み直す。


(うーんそうめんよりは……冷や汁とか、召し上がるかなぁ………?)


随分庶民的なメニューだけど、政宗様ならきっと食べてくださるはず。

最初は「社長にお出しする料理なんて!」とパニックになったけど、特別高価な材料を使わなくても、基本の家庭料理をお出ししても、文句も言わずにいつもしっかり完食してくださる。

作り手にとっては本当に嬉しいしありがたい。

だけど。


(本当は、政宗様が食べたい物をお出ししたいんだけどな………)


そう、政宗様は文句を言わず召し上がる代わりに、食べたい物を希望して下さる事が無い。

もちろん何度かご希望を伺ったけれど、いつも

「任せる」

「何でもいい」

で一蹴されてしまう。


(一つでも、お好みが分かればなぁ……)


好きな物が出てきた時の食事の楽しさは、それだけで元気になると思うのに。

せっかくお食事を任せて頂けてるのだから、少しでもお役に立ちたい。


そんなジレンマを抱えつつ、私は昼食作りに取り掛かった。




「政宗様、お食事をお持ちいたしました」

「ああ」

出来立ての食事を持って、社長室に入る。
政宗様はまだ資料を真剣に読んでおられるから、そっと応接セットに支度を整える。
お茶を淹れたところで、政宗様も仕事を切り上げてこちらに来て下さった。


「お疲れ様です。今日は暑いので冷や汁にしてみました。お口に合えばいいのですが……」


新鮮な鯖の塩焼きとたっぷりの薬味で仕上げた冷や汁、卵焼き、ほうれん草とちりめんじゃこのお浸し。
お昼はあまり食事に時間をかけられないから、品数も控えめにしてある。


「美味そうだ、頂きます」


食べる前にちゃんと手を合わせて下さるのを見ると、いつも心が温かくなる。


(冷たい、なんてよくいわれてるけど……ちょっと違うんだよね)


口数も少なく、感情を表に出すことも滅多にない政宗様だけど、こうして近くで見ていると、丁寧な優しさが一つ一つの仕草で伝わってくる。


今だって、一口目の卵焼きを食べたときにそっと目元を緩ませた。
きっとこれは美味しいの合図。


(よかった、今日もお口に合ったみたい)


政宗様がどうして他人の料理を食べないのかは謎だけれど、せっかく気に入って下さったのに味が合わずにお役御免されることもあるのでは無いかと不安もある。


(理由を聞いてみたいけど……)


聞く方はきっと簡単だ。
だけど話す方は、万が一辛い思い出のせいなら、話さずとも思い出させて必要ないのに苦しめてしまう。


(ご飯食べられないだなんて、よっぽどの事だもんね………)

小十郎様ならご存知かも知れないけど、小十郎様は政宗様が何よりも一番大切だって事はこの一ヶ月で理解した。
政宗様のそんな大切なことを私なんかに話してくださるはずが無い。



(まぁ、理由なんか分からなくても、美味しく食べて頂けるよう努力することは出来るもんね)



そんな事を考えながら、空になりそうな湯呑にお茶を注ぐ。


「政宗様、もし召し上がりたいものがあればいつでも遠慮なく仰って下さいね」

「ああ」


一応言ってはみるものの、やっぱり具体的な答えは無い。

(これこそ小十郎様に聞いてみるべき……?)


心の中に僅かな希望を思い描きながら、黙々と召し上がる綺麗な横顔をそっと眺めていた。









「あ………あと3枚……!」

終業時刻もとうに過ぎた22時。

明日必要な資料の数値に訂正が入り、私は仕上げたばかりだった資料を作り直していた。

本当なら今日は定時に帰って、新しいメニューを探しに本屋さんにでも行こうと思っていたのに。


「ああ〜……さすがに目が疲れる………」


ディスプレイから目を離し、優しく瞼を揉みほぐす。


ガチャ


「苗字、まだ残っていたのか」

「小十郎様っっ!」


完全に油断していた私は、くるくる回る上質な椅子から転げ落ちそうになる。

「はは、そんなに慌てなくても。資料か?」

「あ、はい…数値に訂正が入ってしまって……朝イチなので仕上げてしまわないと」

「大変だな、お疲れさん」


優しい笑顔で励ましてくださる小十郎様。


(この笑顔にみんなやられちゃうんだよね…)


同じ美丈夫でも滅多に笑顔を見せない政宗様と違い、甘いマスクにとろけるような笑顔を乗せて女性を虜にしてしまう小十郎様。


(彼女とかやっぱりいらっしゃるのかな……彼女になったら大変そうだけど……)


朝から晩までキッチリ働いて、土日もほとんど返上されてる。
それもこれも全て政宗様の為だと言うのだから、例え恋人になれたとして寂しい思いをするに違いない。



「苗字、手が止まってるぞ」

「わっすみません!」



いらぬことを考えてつい止まっていた手を動かし直す。
その時ふと、昼間のことが頭をよぎった。


「あの、小十郎様。1つお伺いしてもよろしいですか?」

「ん?」

「あの、政宗様のお好きな食べ物とかって、ご存知ないですか?」


多分資料について質問されると思ったのだろう、一瞬目を瞬かせてたあと、困ったように笑われた。


「それは、傍で政宗様の食事を見ているお前の方がわかるんじゃないか?」

「え…?」

「あの方は自分の事はあまり話されないが、実は素直だからな。見ていれば、きっと分かるよ」



見ていればわかる。



またも具体的な答えは貰えなかったけれど、そこに何かヒントがちゃんとある気がして、キーボードを叩きながら考える。


(政宗様が美味しそうに食べてる時は……目元が緩むか…口角が少しだけ上がって………それから…………っ)


思い出してハッとした。



私が政宗様のお食事係になるきっかけ。



他人の食事を食べないあの方が、お腹が空いていたとはいえ手を伸ばした私のお弁当。


その最初の一口目は



(卵焼き………?)




そう言えば、今日も一口目は卵焼きだった。
目元が緩んで、お口に合ったと安心したのだ。


(もしかして、卵焼きがお好きなのかも………)



なんだか答えが出た気がして、気分が浮上してくる。
こうなると俄然作業スピードも上がるから不思議だ。
あっという間にやるべき作業を終えてしまった。


「小十郎様、ありがとうございました!」

「お疲れさん、気をつけて帰りなさい」


深夜の帰り道。
私は少しだけわくわくしながら、明日の献立を考えていた。









翌朝。

(お味噌汁はこれでよし、お漬物も刻んで、お魚ももう少しで焼けそう………)

私は政宗様の朝食に和食を拵えていた。


魚の焼き加減を気にしていると、社長室に政宗様が入る音が聞こえてきた。


(よし……っ)


卵を割り、手早く溶いて味をつける。
いつもならすでに作ってしまっている卵焼きを、今日は出来たてを出したくて政宗様がいらしてから作ることにしていた。


(できたっ!)


焼きあがった卵焼きを切り分け、二切れだけ小皿に乗せて朝食が出来上がった。


「政宗様、おはようございます。朝食をお持ちしました」


「ああ、おはよう」


政宗様はすでに何枚か書類を持って窓辺に佇んでいらした。


「支度が遅くて申し訳ありません」

「いや、急がなくていい」


すぐに朝食を並べ、お茶を淹れる。

政宗様は応接セットのソファに座り、朝食を眺めていらっしゃる。


「今朝は和食に致しました。鮭が美味しそうで」

「ああ、いただきます」


手を合わせ箸を伸ばす。

最初の一口目は


(やっぱり、卵焼きだ………)


なんだかそれが正解の合図のようで、嬉しくなる。
二切れしかない卵焼きはあっという間になくなった。


(お替りとか……しないかな?)


聞いてみたくなったが、いつもは食事中に時計を見ない政宗様が何度も確認しているのを見て、お急ぎなのだと判断した。


(明日も卵焼き作ろう……)



次の日の朝食は洋食にしたが、昨日と同じように卵焼きを二切れ添えてみた。
しかし、最初の一口目はサラダだった。


(あれ?やっぱり二日も続けてだとお嫌だったかな……?)


結局卵焼きは最後まで手を付けられず内心焦っていたのだが、卵焼きは最後の最後に政宗様の口に運ばれた。


(あ………また緩んだ………)


目元が緩んだのを確認し、お嫌だったのではないと安堵する。


(小十郎様の仰るように、見てれば分かるのかもしれない……)


今はこの卵焼きに私が注目してしまっているので他のものへの些細な反応は気づけないけれど、時間をかければ少しずつ分かっていけるかもと希望が持てた。


(とりあえず、卵焼きは何か言われるまで続けてみようかな……)



それからは毎朝卵焼きを二切れずつお出しした。

最初に食べてしまう日もあれば、最後まで残っている日もあり、やがて最初の一口目と最後の一口に卵焼きを召し上がるのが決まりになったようだった。


(好きだから……かな、やっぱり)


好物を最初に食べるか最後まで残すか、なんて話は心理テストでも良くあるが、政宗様は二切れでそのどちらも叶えたようだ。


(なんか………可愛い………)


卵焼きが好き、なんてまだ御本人の口からは聞いてない。
でも明らかに大切に味わっているその様子に、心が温かくなる。


そんなことを思いながら、お茶を淹れている時だった。



「苗字」

「っはい!」

普段食事をされている時に話しかけられることはない為、びっくりしてしまった。


「…………卵焼き」

「…え?」

「…………なぜ二切れなんだ?」

「あ………お気に召して下さったのかと思いまして……毎日お出しするにはその量がちょうどいいかと………」


突然の質問に慌てて答える。
嘘ではないが、なんとなく自分の謀がバレた気がして緊張してしまう。


暫くの沈黙のあと。



「……………もう少し、食べたい」


(え………………)


「あっはい!あの、冷めていても良ければまだ!すぐお持ちしますっ!!」

「ああ、頼む」



そう言った政宗様のお顔は、見たことのない柔らかい笑顔で。


秘書になって四ヶ月目の朝。

私は初めて感じる胸の高鳴りと頬の熱さにただひたすら戸惑っていたー
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