或る街の群青

□金色の青年兵の受難
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ベルナデッタが修行へ出てから、このデルカダール王国に七度目の春が訪れた。
ドゥルダ郷から王宮へと宛てられた手紙には、修行の終わりに目処が立ったためもうすぐベルナデッタが帰国すると、そう書かれていた。
この七年の間、定期的に聖地ラムダとドゥルダ郷から届く、ニマ大師や長老から彼女の評価が細かく記載された報告書を、いつも満足そうに目を細めて眺めていたデルカダール王は、力を付けてこの国へ戻ってきた曙には彼女をかつて父親と同じ役職であった最高神官へつける事を考えていた。
最高神官とは、国の祭事を司る重要な役割であり、礼拝堂で神の教えを説くのは勿論、王国での政にかかわる事もあれば、人の生、子供が生まれてから歳を重ね棺桶に入り見送られるまでの、すべての節目に行われる行事で祝福を与え、祝いの祝詞を読み、神の言葉を民衆に伝える宗教的にも重要な役割だ。それは神に仕える者達ならば誰もが一度は夢見る程、とても名誉ある役職だった。
修行から戻り直ぐに就任させるにはあまりにも早い出世なのでは、と声を上げる者もいない事はなかったが、賛成派は圧倒的な数を誇っていた。
かつてこの国を救ったあの2人の血を引く娘ならば、この役職に相応しいと受け入れる者達ばかりだったのだ。
そんな中で、彼女の帰国が近いとわかれば、民衆は声を上げて喜び、待ちきれない様子で街をにぎわせる。
城下町は、この国へ帰って来る金色の妖精の成長を期待する様に、誰もが目を輝かせて待ち望んだ。
町全体を包み込む春の花の香りが風に吹かれ、空に白い絵の具を少し垂らしてゆるく混ぜたような水色の空へ立ち上っていく。
王宮の図書室に本を返却しに来たホメロスは、いつか窓から覗いて見えた燕の巣に小さな卵がいくつも並んでいるのが見えて、また今年も此処へ帰って来てくれたのだなと、注意してみていないと気付かない程の表情筋の使い方をして、笑った。
彼はこの国の青年兵となった。濃紺の兵服を着て燃えるように赤いマントを羽織り、長く伸びた蜂蜜色の髪を一つにまとめその上に流していた。
髪と同じ色をした瞳が嵌め込まれた切れ長の目は、燕の巣から視線を外して本棚の間を迷いなく進んでいく。どこか軽快な足取りは、コツコツと踵を鳴らし、その輝く髪を靡かせた。
ベルナデッタが修行へ出た一年後には、今度はグレイグがソルティコにいる世界最高の騎士と名高いジエーゴの元へ修行に出ており、六年間の修行を得てつい先日この国へ戻ってきたばかりだった。
元より良かった体格と力任せだった剣の腕は、どちらも更なる成長を遂げて、同じ部隊の兵士となった。
まさか同じ時期に友が二人も一気に帰って来るという夢にも思わなかった展開に、彼は少しだけ機嫌が良さそうに目を細めて、本を元あった棚の場所へと戻し、濃紺の兵服の裾を翻してその場を後にする。
青い絨毯が敷かれた廊下を進みながら自室へと向かう道中、グレイグがこちらへ向かって歩いてくるのに気が付き足を止め向き合った。
「ホメロス!聞いたか!?俺もたった今、見張り台から降りてきた兵士に聞いたんだが」と、新緑の瞳を輝かせながら彼は嬉々とした表情で話しかけてくる。彼の話によると、どうやらベルナデッタを乗せた馬車が城壁の傍まで来ているという事らしい。
迎えに行こう、と甚く興奮した様子の彼に苦笑しながら、了承の返事を返すと共に城下町の方へ歩みを進めた。
通路の両脇に咲き誇る花壇の花の間を通り抜けて、いつの間にか石畳を蹴る足が歩調を速めていた。自分もグレイグも彼女には久しく会っていなかった。心の何処かでもう子供とは呼べないほどに成長したのだから落ち着いて行動しなければと、そう頭の中ではわかっていても、随分と体は正直らしく、お互い緩む口元を隠せないまま城門へたどり着く頃には駆け足になっていた。
子供か、と思わず自分へ呆れた声をかけてしまいそうになる。
もう自分たちは18歳、世間一般では大人として見られる年齢だ。
普段はこんなにはしゃぐことはないホメロスだったが、今日ばかりはどうしてもいつものように涼しい顔ではいられなかった。
彼女に話したい事はたくさんあった。兵士として立派に日々を送る中、修行に出たベルナデッタをずっと思っていた。彼女はどんな風に成長したのだろうか。どれ程強くなったのだろうか。髪は伸びたのか。いつか言っていた精霊魔法の研究はどうしたのか。苦手な食べ物は食べれるようになったのか。他愛もない話だったとしても、彼女の隣でそれを話せるのなら特別なのだと思った。ずっと、会いたかったのだ。
城門の前には沢山の野次馬で溢れていた。きっと妖精と呼ばれた彼女の帰国を聞きつけた国民達が一目成長した彼女の姿を拝もうと、此処へ押しかけたのだろう。
民の間を縫うように城門へ近づくと、馬車が其処にとまっていた。
丁度、御者と、いつも手紙をドゥルダ郷から届けていた使者が馬車の戸を開ける所だった。
ホメロスとグレイグがその様子を、固唾を飲んで見守る中、開いた扉からから白い長手袋を嵌めた手が伸びてきて、使者が差し出した手を取りゆっくり彼女が姿を現す。
足元に来るほど、陽の光を反射させて煌めく蜂蜜色の髪は長く伸びていた。
以前彼女が着ていた紺色の見習い修道士の服とは違う、真っ白な祭服。ワンピースになっているその服の、細く厚みの乏しい腰回りを覆う赤いコルセットには、彼女の髪と同じ色をしたチェーンの装飾があり、きらりと輝いていた。スカートの丈は長く、足首の辺りまで伸びていて、馬車の足場に小さなつま先が付くのが辛うじて見えた。
春の微睡を運ぶような柔らかな風が彼女の髪を吹き上げて揺らすと、黄金の花びらが散る様に輝き、誰もがその光景に目を奪われ息をするのも忘れてしまいそうだった。
一歩ずつ、確認しながら地面へと降り立った彼女はゆっくり顔を上げてその相貌を民衆の前に晒す。
陶磁器のように滑らかな白い肌だった。長い金色の睫毛に縁取られた水色の瞳は、自分たちが知っていた頃よりも落ち着いた雰囲気を持っていて、華奢な首を立てて背筋を伸ばし佇むその姿は、凛として荒野に咲く白百合のようだと思った。
彼女の成長っぷりに感嘆の声を漏らしそうになるのをぐっと我慢するが、ある個所に目が留まり思わずぎょっとしてしまう。隣に居たグレイグも同じことを思ったようで、口を開けて間抜けな顔をして彼女の其処へと視線を注いでいた。
背は伸びたのかどうかわからない程小柄ではあったが、驚くほど成長した箇所が確かに其処にはあったのだ。
愛らしい顔立ち、華奢な首、そこから紐を通して大きな胸部をおおう胸元の布。そう、大きな胸部だった。
年齢の割に幼さを残した彼女の顔と体。しかし胸だけは大きく成長していて不協和音を起こしているように思えた。いや、悪くない。大きい事は悪くはない。グレイグなんかはぽーっと頬を赤くしてその胸を凝視している。胸が大きい事は悪くはない事だが、そんなグレイグが腹立たしいので思いっきり足を踏んでおいた。
呻き声を上げながら足を抑えて蹲る大きな背中を置いて、ホメロスはベルナデッタに近づいた。
御者とドゥルダ郷の使者と何やら話をしているようだったが、今まで落ち着いたように大人びた対応をしていた彼女はホメロスと目が合うと、ぱぁっと目を輝かせ、まるで花が咲いた様に屈託ない表情で微笑んだ。
一言二言使者たちと言葉を交わすと、ふわりと春風をその身にまとわせるかのように軽やかな足取りで彼に駆け寄り、両腕をがばっと広げたかと思うと、彼女の記憶よりもずっと背が伸びたホメロスに飛び付く。
小さな頭が自分の胸に押し付けられるのを目の当たりにしたホメロスは一瞬何が起きたのか良く分からなかった。腹の辺りにある柔らかなそれがあまりにも未知の感覚であり、その質量と柔らかさと、彼女の髪からほわんと鼻腔に届けられる甘く優しげな香りが脳内を刺激しいて他の事に知力が働かない。
かっと顔が火照ったような気がした。頭が沸騰するのではないかと思う程熱くなった。今自分は一体どんな顔をしているのか。先ほどのグレイグのような間抜け面を無意識に世間へ晒していたらと思うと、それはそれで羞恥によって顔が熱くなってしまいそうだった。
なんとかしてこの状況から抜け出そうと、むにむにと腹の辺りに押し付けられて自由自在に形を変える柔らかな丸二つの感覚と存在を脳内から押し出す。
そして、掴めば親指の先と中指の先が付いてしまうんじゃないかと心配になる細腕で思いっきり抱き付いてきたベルナデッタに、なるべく平然を装いながら五月蠅く音を立てる心臓と脳に叱咤して、細い肩に手を置きゆっくり、焦らず、嫌がっているわけではないということを分かってもらえるように体を離すと、ぽわぽわとした何も考えて無さそうな顔をして首をかしげる彼女に声をかけた。
「ベル、おかえり。すっかり見違えたな」
視線を彼女の目と合わせながらそういうが、心の目ではその大きくたゆんと揺れたものを心の目で視ている自分を拭いきれないでいた。
駄目だ、とは思っていながらもどうしてもその圧倒的な存在感を放つ二つの丸が主張してくるのだ。
額に汗がにじむ。自然と彼女の肩を掴んでいた両手に力が入ったような気がした。
どうすればいいのか、誰か教えてくれと懇願するが、自分のポーカーフェイスが完璧にこなせているのか、周りから送られてくる視線はとても暖かく微笑ましい。おそらく誰も自分の心の中の葛藤に気づいてはいない。
目の前にいるベルナデッタも、周りにいる人たちと同じで何も気づいていないようだった。
心の中で安堵して小さく気付かれないように深呼吸をする。鎮まれ、頼む、鎮まってくれ。と神に祈った。
「ホメロス、ただいま。やっと君の顔が見れて、凄く嬉しいよ!」
ずっと寂しかったけど、頑張ったんだよ?といって自分を見上げる彼女の、自然作られる上目遣いにくらりとした。
7年前までは同じくらいの身長だったため、上目遣いと言うモノがこれ程までの破壊力を生むという事を知らなかった彼は、頭を抱えたくなる衝動に駆られる。
今この目の前にいる異性に対して警戒心と言うものを持たない、そう、何も考えていないベルナデッタは、これから先の人生で何人もの男たちと会話をする機会があるだろう。
その度に今自分が感じている葛藤を彼らに与えるとなれば、それは実に由々しき事態だ。
……もしも、だ。彼らがこの神聖なる存在であるベルナデッタに恋をして、彼女自身もその相手を好きになって、いつか自分に「あのね、ホメロス。私、好きな人が出来たんだ。今度紹介するね?」と言われたらと思うと、きっと立ち直れない。そうホメロスは考えていた。どうしようもない悲しさが自分を襲う。どうすればいいのかわからなかった。
自分の顔を遠い目をしてぼんやりと見つめたまま固まっているホメロスの目の前で「ホメロス?どうしたの?ねえ、君、大丈夫?」と手を数回左右に振りながら声をかけるが返事がない。
彼女が困ったように首をかしげていると、ホメロスを追ってきたグレイグが追い付き、その光景に頬を緩ませて笑っていた。
彼らを取り囲んでいた町の人々も、御者とドゥルダ郷の使者も、そんな二人を温かい目で見守りながら「あらあら!」「きっと照れているのね」とこっそりお喋りの種に花を咲かせ、金色の妖精が二人揃うという懐かしい姿に頬を緩ませるのだった。
きっとその光景を見ていない城に残った兵士たちには、グレイグの口によって「ホメロスは修行から帰ってきたベルナデッタを見てぼんやりして固まっていた」と後輩から後輩へ、何年も語り継がれるだろう。

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