或る街の群青

□金色の少年の憂鬱
1ページ/2ページ

ホメロスとベルナデッタが部屋で何とも微笑ましいやり取りを繰り広げていたその頃、玉座の間では、魔法学の教官とデルカダール王がなにやら神妙な面持ちで対峙していた。
淵に見事な黄金の刺繍が施された豪奢な赤い絨毯が敷かれ、燦爛たる造りである謁見の間を品良く彩っている中、女教官は口惜しそうに痛切な表情をして目を伏せていた。
濃い紫色のローブに身を包んだ少しふっくらとした彼女は、きっちりと後ろにまとめたブルネットの髪をしていた。歳は四十がらみだろうか。落ち着いた装いで派手過ぎない銀の耳飾りが、彼女の耳朶からぶら下がっていてゆらりと揺れた。
彼女は自らの力不足を嘆いているようだった。
その日の昼に起きた魔法学府でのメラ暴発事件は、瞬く間に城中へ伝わり、直ぐに国王の耳にも入ったのだ。教官としても、魔法使いとしても優秀な人材であった彼女だが、ベルナデッタの有り余った魔力の暴走にだけは、自身の魔力を持った所で手に余るものだった。
「国王陛下、わたくしの力不足故に、大切な生徒を危険に晒してしまった事をどうかお許しください」
腰を折り、深く頭を下げた教官に対し、王は口髭を困ったように撫でながら、よい、顔を上げなさい。と言うと小さく溜息を洩らす。
彼自身、いつかはこんな事が起きるのではないかと心の中で危惧していたのだ。
才能を持つ身とはいえ、ベルナデッタはまだ幼い子供であり、強い力を制御するにはまだ精神的にも体力的にも、それを扱うには未熟だった。
魔法学府では早い段階で座学の基礎を固め、知識を蓄えてからそれらを扱う上で必要な体力づくりを始める。その為、引き籠り本ばかり読んでいたベルナデッタには、外で遊びまわる他の生徒たちよりもずっと体力は劣っていたらしく、5年生から始める体力作りの学課では、魔法を扱えるほどのそれが足りていなっかったのだ。
しかし問題点はそれだけではない。
体力作りの学課を受けていた筈なのに突如生み出されたあの火の玉。例え制御する力が足りなかったとしても、幼い頃よりはいくらかましになっている筈だったのだ。しかし現実は制御どころか更なる暴発を起こしていた。
教官は言った。
「ベルナデッタの魔力は、入学した時の比ではありません。今はもう、恐らくわたくし以上の力を持っているでしょう」
「……親譲りの魔力、か」
「国王陛下、あの子を、ベルを専門の機関で学ばせてはいかがでしょうか。あの力は、わたくしには手に余ります。もし才能を無駄にしてしまったらと思うと、ジョゼとロザリタに申し訳ないのです。生徒の中にも、彼女がいつか大きな怪我をするのではないかと心配する声も上がっています。……どうか、ご検討を」

ジョゼとロザリタ。それは話の渦中にある彼女の両親の名だった。
二人はこのデルカダール王国の王室魔法使いと賢者であり、その女教官の古くからの友人でもあった。
強い魔力を宿していた二人は、7年前にこの国を襲った恐ろしい魔物の群れから国と民を守るため、強力な結界を国中に張り巡らせた。魔物たちは強力な攻撃と魔法で、壁外に出て応戦していた優秀で屈強な兵士たちを無残にも薙ぎ払い、消し去り、数多の命の焔を容赦なく消し去っていった。暗雲が空を覆い、何処からともなくやってくる魔物たちはぎらりとした目をして瞬く間に地を焼き、真っ赤に踊る様な炎の野原を作り上げた。それは人々を震え上がらせる恐ろしい光景だった。
結界が無ければ町も城も跡形もなく崩れて消えてしまったのかもしれない。結界の内側に残り避難所を設け、そこへ国民を誘導していた兵士も、城壁の見張り場から外の様子を伺っていた兵士も、その光景に絶望しかけていた。この国は終わる、そう誰もが思った。
そんな中、ジョゼとロザリタの二人が立ち上がったのだ。
たった今、広範囲に強力な結界を張り、精神への疲労と魔力を著しく消耗した彼らだったが、微笑んで言った。
「私たちが結界の外へ出て戦います」と。
そんな2人に女が駆け寄った。
ブルネットの、いつもならばきっちり編み込まれた髪を、くしゃくしゃに振り乱しながら二人にしがみつく彼女は、泣きながら、背を向けて歩き出した彼らを止めているようで、必死に訴えかけていた。
「どうして貴方達は二人揃って、いつもそうなの!?自分たちの幸せを優先しなさいよ!ベルが生まれたとき、幸せだって言ってたじゃない!何も自分たちの手でその幸福を断ち切る事なんてないのに、どうして……!」
勢いよく彼女の口から飛び出した言葉は、次第に小さく掠れていく。最後には嗚咽に埋もれ、上手く聞き取れない程だった。魔法使いと賢者が背に流しはためかせる浅葱色のマントを握りしめながら、色白の顔の頬と鼻の頭を真っ赤にさせて涙をこぼす姿に、彼らは困ったように笑った。
風が吹いて木々を揺らし、空に立ち込めた黒い雲が大きくなってく中を優しい風が吹き抜ける。
泣いて震える、嗚咽だらけでもう言葉も出ないその手を二人が握ると、これで良いのよ、と魔法使いの女が言った。
「聞いて、ネージュ。守りたいものがあるから、私たちはどんな絶望の淵に立たされても、この国を守る。例え命が尽きたとしても、先の未来で大切な人たちの笑顔が待っているのなら本望だわ。ねえ、あなたもそう思うでしょう、ジョゼ」
話を振られた賢者は満足そうに頷いた。
「ああ。そうだよ、ロザリタ。この愛しい国を、潰えさせる訳にはいかない。僕たちの天使の為にも。……だから、ネージュ、あの子を頼むね」
そして、二人は泣く女に、ありがとう、と言ってその手を離すと、背を向けて歩き出した。
城門をくぐり、外と向かった彼らの美しい蜂蜜色に輝く髪は、いつまでも民衆の心から離れなかった。
ネージュと呼ばれたブルネットの女はその場に蹲り声を上げて泣いた。
残された金色の天使の悲しみを思い、背を向けて過酷な道へと進んでいく二人の親しい友を嘆いて。
この国を覆う輝く結界を張ったまま戦うことがどれだけの疲労を費やすものなのか、人々には想像つかないだろう。魔物の唸るような恐ろしい声も、切り裂く爪の音も、大地を揺るがす爆発音も、すべてが消えて聞こえなくなったのは、彼らが結界の外へ出てしばらくしてからだった。
突如として大地から光の柱が空へ向かって暗雲を貫いた。それは大きな光の矢が空に向けて放たれたように一瞬強く光ったようだった、大地から伸びたその眩しく輝く光は徐々に薄れ、輝く粒を宙に散らしながら、この国を照らし、そして消えていく。
黒く禍々しい雲に一つの大穴を開け、そこから僅かではあったが陽が降り注いだ。一線の光が、この国に降り立つように。
先程までの応戦が嘘のように外は静かだった。
城壁の見張り場に居た兵士たちが、階段を駆け下りてくる。
この国を覆っていた白く光輝く結界は、シャボン玉が爆ぜる様に、半円状の天辺から細かく砕けて空を舞い、やがて消えていく。光が散布し、まるで霧のように風に流れてデルカダールの地を吹き抜けていった。
魔物は襲ってこなかった。
結界を張っていたこの国の賢者と魔法使いは戻ってはこなかった。
デルカダール領地の、荒れてすっかり姿を変えた野原で折り重なるようにして倒れていた二人を見つけたのは、それから半日が経った後だった。
最後に空に向かって放たれた光の柱が彼らの振り絞った最後の力だったのか、満足そうな顔をしてお互いの手を握ったまま、遠い所へと旅立ったようだった。
この国を救った偉大な賢者と魔法使い。ベルナデッタの両親は、幼かった彼女をこの国に託して逝ったのだ。

女教官、ネージュは俯いて目にかかった前髪を耳に掛けながら腰を折って懇願していた。
あの二人が残していったあの少女の才能は間違いなく本物なのだ。今はまだ制御が効かなくても、しっかりと環境の整った機関で修行を積めば、両親を超える程の力を付けてくれると信じていた。
必死な思いで頭を下げ、王の返事を待った。視線の先は真っ赤な絨毯と、自分の黒い革靴のつま先を見つめたまま、どうか、と一言付け加える。
沈黙が流れた。王はベルナデッタを危険視し、魔法を使うことを禁じてしまうのか。それとも、希望を捨てずに修行に出してくださるのだろうか。
ネージュはかつてこの国を救った彼らの背中を思い出していた。
凛とした立ち姿で浅葱色をしたマント、と輝く髪を靡かせた、心優しき彼らの姿を。
デルカダール王は、口髭を撫でていた手を止め、少し考える様に目を瞑ると、最近よく笑うようになった小さな金色の妖精のあどけない笑顔を思い浮かべ、そして気持ちを固めたようにゆっくり頷いた。
「そこの兵よ。ベルナデッタを此処へ呼べ」
重厚感のある扉の傍で、背筋をぴんと伸ばして立って居た兵士にそう告げる。
兵士は一度だけ礼をすると、直ぐに小さな少女を呼びに謁見の間に背を向け駆けて行った。
おずおずと顔を上げたネージュが王を見ると、彼は「聖地ラムダとドゥルダ郷で修行を積ませよう。使者を出し、この件をニマ大師殿に申し伝えるのだ。あそこならばベルナデッタの魔法が暴走しようとも止められる者がいるだろう」と言った。

煌びやかな燭台に灯された炎がゆらりと揺らめきながら謁見の間を照らしていた。
兵士に呼ばれ、彼の後ろを早足に追い掛けてこの場へとやってきたベルナデッタは、ネージュの隣、デルカダール王から少し離れた正面に立つと、片膝を床に付けて頭を下げ挨拶をする。
「お呼びでしょうか、国王陛下」
礼儀正しい作法に、言葉遣い。人見知りだった彼女が顔を上げて、自分の目を見て話すその姿に、王は思わず目を丸くしてしまった。目の前にしゃがんだ、ほんの少し前まで小さな赤子だと思っていた少女は、いつの間にこんなに大きくなったのだと、その成長に驚いてしまったのだ。
今まで隠されていたその顔は、人形の様に愛らしい美貌をそこに据えており、大きな水色の瞳はしっかりと王の目を見つめていた。動揺する様子も、焦る様子もない。
人と目を見て話すことが苦手だった彼女の印象は、いつも俯いていて、ホメロスの陰に隠れていたという、とてもか弱いものだった。それが今では、幼い頃から知る者とはいえ、一国の王を前に堂々とした姿ではないか。
そんな彼女を見て一番驚いたのはネージュだった。つい先刻まで泣き腫らした顔をしていたあの少女と同一人物だとは思えないとでも言うように、口元に手を当てて感心したように顔を綻ばせていた。じわりと目が潤み、ああいけない、とこみ上げる涙をこらえる様に唇を一文字に結ぶ。
ベルナデッタが教室から部屋に戻った後、騒ぎを聞きつけたホメロスに詳細を伝えたのは彼女だった。どうにか落ち込んでいるあの子を元気づけて欲しいという気持ちを込めたことは間違いないが、まさかこんなにも早く立ち直り、それどころか随分と強かになったような気がした。元気づけて欲しいと直接口に出して頼んだわけではない。彼は一体どうやって彼女を立ち直らせたのだろうか。
自分の隣に立った小さな少女の横顔は、ジョゼとロザリタと同じ、和やかで心地よい雰囲気を持っていた。
デルカダール王はそんなベルナデッタに一度頷くと、本題に入った。
修行に出てみないか、と問う王の言葉に、彼女は大きな目を更に大きくさせていた。それは、悲しみや恐怖ではなく、希望を見つけ出したような表情の変化だった。
自分の制御力の無さを日頃から嘆いていた彼女にとって、それは願ってもいない好機で、薄々自分でもいずれはどうにかしなくてはならない課題だと踏んでいた。魔法を暴走させて彼らに迷惑をかけたことにも申し訳なさを感じていたベルナデッタは、王と教官から場所の提供もしてもらえるというなら、ぜひ学びたいと、自分からも強く願った。
「暫くはこの国に帰っては来れぬぞ。それでも良いのか?」
「構いません。……私は、ずっと、このままではだめだと考えておりました。お力添えをして下さるのなら、一生懸命学び、力を付けて返ってきます」
そう答えて、あどけない顔をして彼女は微笑んだ。
まだ幼い、小さな顔には希望が満ち溢れていた。目を輝かせて、こちらを見つめる少女にデルカダール王は満足そうに「わかった。出発の日取り等はまたニマ大師と使者を通し、決まり次第すぐに伝えよう。ベルナデッタよ、未来で其方がこの国を支える事を心待ちにしておるぞ」と言い、目を細める。彼は少し微笑んだようだった。

次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ