或る街の群青

□蜂蜜色の髪に口付けて
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ホメロス、グレイグ、ベルナデッタの三人が共にこのデルカダール城で過ごすようになってから早くも4年が過ぎようとしていた。
その頃、この国では姫が産まれ、城勤めをする者も国民も皆が彼女の誕生を祝い、旬の果物や色とりどりの花、酒、肉、魚、豪華絢爛な調度品など、数々の品を祝いの品として城へ届けた。完全にお祝いムードで、街中は賑わい、国外からも商人があらゆる特産物を広場で出店を出し、商売に精を出していた。
姫様のお披露目では、王妃様と同じ美しい艶やかな黒髪と、幼いながらも整った顔立ちに誰もがうっとりと甘美な溜息を吐き、彼女の健やかな成長を願ったのだった。

そんな国全体が祝福の雰囲気に包まれる中、城で給仕を務めるメイド達が、尋常ではない悲鳴を上げて白銀のトレーを放り出という珍事件が起きたのだ。
何かに驚き、まるで舞台での振る舞いのような大袈裟な動きで、両手を上げたメイド。そして彼女の手からトレーは離れ、宙に浮き、やがて落下する。叫び声を聞いた他のメイドや見張りの兵士たちが一気にそこへ視線を集めた。
トレーには豪奢な造りのティーセットが乗せられているというのに、床に落ちた値の張るそれらは粉々に砕け、元の形が分からなくなってしまう程の無残な姿へと変貌を遂げた。
そして、ティーセットを放り出したメイドを筆頭に、次々と他のメイド達も叫び驚き、そして悲しみに暮れた。あるものは泣き叫び、またある者はこの悲劇を信じられないという面持ちで手を合わせて天に祈っていた。
見張りの兵士も、我が目を疑うようにその小さな背中を見て思わず兜を外し、驚いたように目を丸くして見せた。
そんな彼らの間を縫うように、この騒ぎの元凶ともいえるベルナデッタは、しょんぼりと肩を下げて、デルカダール城の荘厳な廊下を進み自室へと帰っていった。
彼女の悲しげな小さな背中を見送るメイド達は、みな口々に「ああ!なんて勿体ない……」「でもきっと何か理由があるのだわ」「見事な御髪がまさか、ああ、なんて事なの!」と悲しみの中に沈んでいく。
そんな彼女たちの声が耳に届くことはないまま、噂された当の本人は金の廟が打たれた大きな戸を開け中に入ると、すぐ傍にあったドレッサーに目を向けた。
其処には、悲しみに暮れた自分の泣き腫らした顔が映されていた。
見事な艶と長さを二つに結い、誇らしげに背中に流していたあの輝く蜂蜜色の髪は、残念な事に肩の辺りまで短くなっていたのだ。
毛先を指先でつまみ、泣き腫らして赤くなった目はじわじわとまた涙をため始め、堪えきれなくなった彼女はベッドに飛び込み枕に顔をうずめた。

その原因を辿るには、その日の午前中に行われた魔法実技演習の時間まで遡らなければならない。
彼女はこのデルカダール王国の王室付き魔法使いの卵、いわば修行中の身であり、それと同時に神官見習いでもあったため、礼拝堂と城の中に設営されえた魔法学の学び舎を行き来し、神官見習いとしての役割と魔法学徒としての勉学に励む毎日を送っていた。
天窓から溢れんばかりの光が降り注ぐその教室は、広々とした大きな黒板を正面に半円を描く様に机が並んでいて、教卓へ向かう度に一段ずつ掘り下げられた造りになっていた。
壁中に難解そうな魔法に関する書物が収められていて、この学府に通う者なら誰もが何冊でも自由に借りてもいいのだという。
床が掘り下げられている為天井は高く、天窓の存在感で昼間は掻き消されてしまっているが、よく見ればクリスタルをふんだんにあしらった豪奢なシャンデリアがいくつも吊り下げられていた。きっと夜に光を灯された其れは、水晶の反射で煌びやかに輝くのだろう。
窓枠の鉄細工も、一見ただの机だと思っていた長机も、良く見れば見事なものであり、職人の技が其処に存在していた。
在学期間は6歳から12歳までの6年間だが、ベルナデッタは両親が亡くなってこの城に住む事になった5歳の時から通っていた。
4年生までは座学を中心に知識を蓄え、5年生からは魔法を扱う上で必要な体力と技術を付ける為に実技中心の指導に切り替わる。
そしてその日、魔法学府では攻撃魔法の実技指導が行われ、例のメイド達が嘆き悲しむ悲劇が起きたのである。
実技の内容は、炎の攻撃魔法であるメラだった。それは基本中の基本であり、魔力のタイプで向き不向きはあるが、魔法使いならばある程度誰もが出すことのできる初級の魔法だ。
四十がらみの少しふっくらとした女教官は、座学ではトップのベルナデッタを一目置いていたが、補助魔法や回復魔法の実技の時とは打って変わって、攻撃魔法に関してはとても不安そうに彼女を見ていた。
ベルナデッタは魔力が強く、体内で有り余った魔力は制御しきれず直ぐに暴走してしまうのだ。それは魔法学を学び始めてからこの4年間でいくらかましになった程度であり、何度も暴走させては、教官の手を煩わせた。
魔法使いの卵である生徒たちは、自分の杖やステッキは所有しておらず、学府から支給されたものを使用している。それは指揮棒のような短く細い、黒塗りのステッキだった。艶やかに手入れが施された其れは、学徒の力量の差を明確にするため、皆同一の物を使用している。
ベルナデッタの他にも、城下町から魔法学を学びに来る生徒がいるため、教官も彼女ひとりにだけ特別にマンツーマンで教えるわけにもいかない。
他の生徒に指導をしながら、視線は注意深くベルナデッタへ向けて、将来有望な彼女を見守った。
ベルナデッタはステッキを握り、小さく深呼吸をした。体の中にある魔力を燃やすイメージを練りながら、瞼を閉じて集中する。
魔法を扱う為に必要なものは、魔力はもちろん、火、水、地、風、雷といった世界の五大要素の理解と、その要素それぞれを自分の身の回りの空気中にある成分から見つけ出し、集め、分解、そして再構築をするイメージだ。それは計算式を組むのと似ていて、複雑な数式を長く組めば組むほど強力な魔法を出す事が出来る。しかし今日行うメラは簡単なイメージで済む魔法のはずだった。
ベルナデッタもそのつもりでいた。頭の中をテロップが流れる様に五大要素の式を組み上げる。ステッキを構えた手を前に出し、空いた左手を横へ広げた。
空気中の成分を確かめる様に、弧を描く。振り子が弧を描く様に彼女の手が宙を切った。頭の中でイメージする炎、それは人類の存続に深くかかわってきた文明だ。火を灯し、明かりを得る。暖を取る。食料の加工。そして必要ならば敵を追い払う、聖なる火……。
魔法式のイメージは出来ている。ただ、制御できる力を付ける為には、何度だって挑戦をしなければ力加減はわかない。
ベルナデッタは淡い色をした形の良い唇を少しだけ開き、息を吸う。そして、目を開けて大きく手を前へ翳すと、メラと唱えた。
翳した手の周りに輝く魔法陣が現れる。そして翳したステッキの先から熱を感じた。その熱が上昇気流を生み出し、見習いの修道服の裾をふわりと揺らす。黒い踵の低いローブーツをはいた細い足が伸びているのが浮き上がった裾から見えた。2つに結った髪もゆっくりと上昇し、前髪を浮かせる。熱い炎のイメージは完璧のはずだった。
目の前に大きな炎が現れた。目の前に熱を感じたベルナデッタはそっと目を開ける。
その灼熱の炎の玉は赤く揺らめき陽炎を作り出していた。一見普通のメラのように思えたが、その大きさにベルナデッタは足を竦ませた。彼女が唱えたメラは、誰が見ても一般的なメラの大きさではなかったのだ。驚きのあまり足が棒になったようにその場から動けないでいた。今までこんな大きなメラが出た事はなかった。精々、一般的な大きさの倍ほどだった。しかし目の前で揺らめく熱い炎は、彼女の上半身と同じくらいの大きさだった。赤く燃える其れは尋常ではない熱を発していた。まるで太陽の様にジリジリと、その高熱を浴びせてくる。
自分の放った魔法が恐ろしくなった。震えた脚は力が入らず、全く動かせない。目が乾いてしまいそうになる程に熱い。
そう思った時、他の生徒の指導をしていた教官が巨大な炎の玉の前に飛び込んだ。彼女はベルナデッタの細い腰に腕を回し抱き上げると、地面を蹴り上げながら杖を振るう。生徒たちはその光景に身を竦ませながら教室の隅に身を寄せていた。
そしてそれは一瞬の出来事だった。大きな炎の玉は、教官が唱えたヒャダルコで相殺され、跡形もなく消えていた。
誰もが身を震わせていた。ベルナデッタ自身も、教官の腕の中でガタガタと震えていた。
そして気が付いたのだ。やけに頭が軽くなって、自分の視界が広くなっていることに。
怪我がないか心配している様子の教官がベルナデッタの頬を両手で挟み確認していた。
「何処も火傷をしていない!?ああ、良かった。顔は大丈夫。腕は?どこも傷まない?ベル、どうしたの?どこか痛むのなら言ってちょうだい?」
自分の顔を両手で挟み込んだ教官が顔を覗き込んでくる。彼女の心配そうに眉を下げた焦る顔が、とても、良く見えた。
ベルナデッタは鼻を突く焦げ臭さを感じていた。まさか、そんな、でも。と思い、震える手を動かし、恐る恐る項で二つに結っていた髪に触れる。
いつもなら手櫛を通すのも一苦労するような長い髪は、毛先までするりと指を通せる長さになっていた。毛先は焦げで茶色く変色し、縮れてうねりながら焼け焦げた臭いをさせていた。
ベルナデッタは黙ってそれを見つめていた。急に喉の奥が熱くなった。そして何かが込み上げてくる感覚で視界が揺らぎ、頬を大粒の涙が幾つも頬を伝った。止めど無く溢れて、その途端に声を上げて泣き出す。いつもは真っ白な鼻が真っ赤になった。自分でもどうしていいのかわからない程の悲しみと恐ろしさが襲ってきて、その感情を振り払うかのように大きな声を出して泣いた。
そんな姿に教官は、目に涙を浮かべながら自分の胸の中で抱きしめると、小さな彼女の頭を撫でた。
ふくよかな彼女の大きな胸に顔が埋まった。わあわあと声を上げて、小さな子供の様に、彼女の胸にしがみついて泣いたのだった。
教官は自分の胸に顔を押し付けて泣く、その小さな金色の妖精がとても髪を大切にしている事を知っていた。彼女の両親と親しい友人だったのだ。両親が髪をいつも褒めていたこと、そして毎日丁寧に櫛で梳き手入れをしていたことを知っていた。父も母も、夢のように輝く美しい蜂蜜色の髪だった。ベルナデッタにとっては其れが誇りであり、今はもういない両親の面影を一番身近に感じる形見のような存在でもあったのだ。
燃えて灰となり地面を黒く汚した其れは、両親が最後に触れてくれた自分の一部であり、二人を亡くしてからずっと伸ばしていた髪。家族の思い出が詰まった大切な宝物だったのだ。

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