或る街の群青

□金色の妖精たちと菫色少年
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バンデルフォンへ生存者の保護と魔物の討伐を終えた兵士たちが次々に帰還する中に混じる一人の少年の姿があった。
菫色をした髪を撫でつけた少年はあの一夜にして滅んでしまったバンデルフォン王国の民であり、その中の生き残りの一人だった。
地下の食物庫に隠れていた為、魔物に襲われず生き延びたところをデルカダール兵に保護されたらしい。
魔物に人々が襲われる中、両親に「此処で待って居なさい。必ず戻るから」と言われ、少年はたった一人で真っ暗な冷たい倉庫で両親の戻りを待っていた。膝を抱え、冷たい床石の上に座って、扉の向こうから聞こえてくる魔物の恐ろしい身の毛がよだつ唸り声に震えて待った。
人々の叫び声と剣がぶつかる様な金属音、何かの崩れる音、つぶれる音、倒れる音、それらすべてが恐ろしくてたまらなかった。
両手で、耳をふさぎ、恐怖しで溢れる涙を抑えようと固く目を瞑って待った。
大きな音を立てて早鐘を打つような心臓の音が魔物に聞こえて、自分が此処に居る事が分かってしまったら殺されてしまう。出来る限り息を殺し、震えを止めようと体を縮めて小さくなって待った。
しかし両親は帰ってこない。
扉が開いて陽の光が差し込み彼の目に入ったのは、数人のデルカダール兵と、焼け崩れた町、そして、花と芸術に溢れた美しい都と呼ばれたその国は、たった一晩で滅んでいたのだ。
それは信じがたい光景だった。たった一晩で一体どれ程の人の命が大樹へと還っていったのだろうか。
黒煙を上げる崩れた家々を見渡しながら、デルカダール兵に手を引かれて荷台に乗せられた彼は、同じように連れてこられた生存者から両親を探した。荷台に乗せられた人の顔を一人一人確認するが、両親は居ない。もしかしたら自分にここで待って居ろと言ったあの地下倉庫に向かっていて、入れ違いになったのかもしれないと思い、デルカダール兵に「父さんと母さんが居ないんだ!もしかしたら俺を探して隠れていた倉庫へ向かったのかもしれない」と伝えるが、兵士は申し訳なさそうに眉を寄せ、そして絞り出すような声色で残酷な答えを少年に告げた。
「この荷台に居る人たちで、バンデルフォンに居た生存者は全部だ。君が最後の一人だった」と。
荷台を曳く馬は歩みを止めない。この荷台に居る人で生き残りは全員だと兵は言った。つまり、父も母も、崩れて黒煙を上げていたあの家々の何処かで命の焔を燃やし尽きてしまったのだ。
少年は荷台の端にへたり込んだ。力が全く入らない体は馬に曳かれた荷台が揺れるたびに倒れ込みそうになった。自分以外にも子供がいた。自分と同じようにまるで別の世界を見るようにして遠ざかっていく故郷を見つめていた。黒煙を上げる町は、確かに別の世界と言っていい程変わり果てていたのだ。
空は眩しい太陽が大地を照らしている。木にとまった百舌鳥の短く連続的な鳴き声が響いて、国が消えてしまった事以外は昨日と何も変わっていないこの世界が信じられなかった。
喉と鼻の奥がツンと痛くなり、目が熱くなった。そして、とっくに枯れたと思っていた涙が溢れ出て頬を伝い、ぼたぼたと荷台の上に落ちていく。荷台の素材となっていた木材にシミがいくつも出来て、とうとう大きな声を上げて泣いた。
他の子も釣られたように泣き始めて、もう自分たちは故郷には帰れないのだと、帰りを待つ人も居ないのだと理解した。
これから一体どうすればいいのだろうか、生きていけるのか、どうやって生活するのか、不安ばかりが募り、少年の涙は止まらなかった。

馬はゆっくりと荷台に人々を乗せて、およそ半日かけてデルカダール王国へとたどり着いた。
街を覆う城壁を潜ると収穫祭で忙しなく動いていた人々が憐みの目で自分たちを見ていた。
途方もない悲しみに暮れていた自分に向けられたその視線に気づくと、自分の惨めさが一層辛くなった。
城の中へ通され、玉座に座る王の前に連れてこられた少年は居心地が悪そうに俯く。泥やほこりで汚れた服を着た自分がこんなに立派な謁見の間に通されたことが身分違いであるような気がしたのだ。俯いたままでいると自分の正面にある玉座に腰かけた王が立ち上がり近づいてくるのが視界の端に見えた。
俯いている為、王の足しか見えていないがデルカダール王は自分の泥で汚れカリカリになった肩に手を置くと「よくぞ無事でいてくれた」と言う。
王は自分の手が汚れる事も気にせず、煤や埃に塗れた少年の髪を掻き撫でると兵士に部屋と風呂を準備させるように言付けて、少年の視線に合わせるようにして腰を屈めた。
「此処に住むと良い。おぬしと丁度歳が同じ頃の子供たちもいるのだ。なに、恩を売ろうというわけではない。将来、自分のやりたいことを見つけて、此処に残るのも、巣立つのもおぬしの意思を尊重するつもりだ。…さあ、一日固い荷台の上で過ごしてさぞ疲れを感じていよう。今日はゆっくり休むといい」
目を細めてデルカダール王はそう言った。
王が少年に触れた手は優しくとても暖かなぬくもりがあった。父の様な安心感があった。此処に居てもいいのか、自分の居場所を失くしたと思っていた少年はその温かさに顔をくちゃくちゃに歪めるとまた声を上げて泣いた。
なんて寛大で心優しい王なのかと、胸に溢れる気持ちは熱くなり、子供ながらに目の前にいる王の偉大さを尊んだ。将来彼の役に立ちたい、忠義を立てて仕えたいと思えるほど少年にとって王は思いやり溢れる存在だった。
それから少年は兵士に連れられて謁見の間を後にした。気を使って少年の歩幅に合わせて歩いてくれる兵士と一言二言挨拶をかわしながら廊下を歩いていると、通路の過度の辺りで見え隠れする長い金髪が揺れているのに気づく。隠れているのか、誰かを待っているのか、廊下の角から髪の毛だけがはみ出ていて、思わず奇妙なものを見る目で兵士を見上げた。
兵士はハハハと笑うと「怖がらなくても大丈夫。あの子たちはきっと君のいい友人になるさ」と言って壁から見えていた髪をくいっと引っ張った。その手つきはけして乱暴なものではなく、まるで妹をからかう兄のようで、飛び上がった少女を見た兵士はまた笑って「ベルナデッタ、ホメロス。お前たち、この子にあいにきたんだろう?」と少女と少年に聞いた。
曲がり角からおずおずと顔をのぞかせたベルナデッタとその隣に立っていたホメロスは、兵士に連れてこられた少年を見るともじもじしながら遠慮がちに近づいてくる。
ホメロスはいたって普通のいつも通りの態度なのだが、いくらか改善されたとはいえ人見知りのベルナデッタはやはり照れているのか、ホメロスの後ろに隠れながら近づいてくるが、黙ったまま顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「……ベル、お前が会いに行こうって言ったんじゃないか。僕の後ろに隠れてないでちゃんと前に出なきゃダメだろ」
「……う、うん」
少年の隣に居た兵士は固唾を飲んでそんなベルナデッタを見守っているようだった。
まるで「がんばれ!やればできるはずだ!」と言わんばかりにこくこくと頷いていて、そんな光景がおかしくて、さっきまで謁見の間で泣いていた少年は自然と口元が緩んだ気がした。
それに気が付いたベルナデッタは一つ深呼吸をしてからホメロスの後ろから前へと一歩踏み出し、そしてもう一歩少年に近づく。
相変わらず長い前髪は顔を半分覆ったままだったが、片目だけ出ていた水色の瞳は真っすぐ少年と向き合っていた。
「……私はベルナデッタ。きみの名前は?」
「俺はグレイグ」
ベルナデッタは手を差し出し軽くグレイグと握手を交わすと「私もホメロスも王族ではないけれど、このお城に住んでるの。これから顔を合わせる事も多くなると思うから挨拶に来たんだよ」と言った。そしてグレイグの前で手を組むと「グレイグ。君に、神の祝福がありますように」と言って目を瞑る。
すると暖かな光がグレイグを包み、疲れた体から、魔物に追われ食糧庫へ隠れるまでの道のりで負ったかすり傷や打ち身の痛みが消えて、驚いたように傷のあった袖を捲り確認するが、切り傷も痣も何一つない腕が現れた。
目を丸くしてベルナデッタをみたグレイグにホメロスが「すごいだろ?ベルは臆病で人見知りするけど、王室付き魔法使いの卵で回復魔法も得意なんだ」と、自分の事ではないのに何故か得意げに笑って言った。グレイグはそんなホメロスと照れ臭そうに笑ったベルナデッタの顔を交互に見つめると、鼻の下を人差し指でグイッと擦り、釣られたように笑った。
グレイグは二人の髪色を見て、風に靡く黄金色の稲穂のようだと思った。見ていると心が落ち着く、故郷の色。もう戻れる場所がないのなら、彼らの髪に故郷を想い、あの寛大で偉大なるデルカダール王に仕えようと一人胸の中で誓ったのだ。
ホメロスが「よろしくな」と言って差し出した手を握り返し、グレイグは「ああ、仲良くしてくれよな!」と答えて笑った。
傍で見守っていた兵士も、謁見の間の扉から顔をのぞかせたデルカダール王も、その光景を見守っていた大人たちはそんな彼らの成長を心待ちにしていた。
三人が気の置けない友になるには時間はかからず、各々長所を伸ばし、健やかにのびのびと成長することになる。
そして、後にこの国で二人の少年は双頭の鷲と称され、少女は聖女と呼ばれるようになるのだった。
しかしまだ、十数年先の話である。

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