箱からの解放
□車、翌朝
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なとなと
冷蔵庫

□
日の光が、眠い瞼をじわじわ攻撃していた。朝らしい。
とにもかくにも、起きなければと、眩しさに唸りながら目を覚ます。ぼくはちゃんとベッドで寝ていた。
「あれ……」
辺りを見渡す限り、ここはどっかのビジネスホテルらしい。ぼくは一人で、その部屋にいた。そうだ、昨日なんだかんだで宿泊したのだっけ。ひどく眠い。
「起こされないから、随分寝てしまったな……」
そう思ってから、あの人の死を思い出した。撲殺。後頭部。指輪。血液。いろんな単語を思い浮かべても、彼女の死にどう結び付くかはわからない。
──人が、目の前で、死んでいた。あんな姿を見ても、ぼくはただ眠っているだけにしか見えなかったので、あまり実感があるとはいえないけれど。
やはり彼女は、もういないのだ。不思議な感じだ。なにか、いまひとつ、納得出来ない。
──それにしても、誰に殺されたんだろう。
「ぼくを知っていて、まつりの知り合い。お屋敷の関係者、ホテルに泊まっていて、そこで男と会っていて──誰かに殺されている……」
まつりとぼくは、もちろんそんな犯行どころじゃなかった。彼女は用があるらしく、ぼくを3階に残したので、二人だけで対面していた。
「そういえば会って欲しい人がいると言い、ぼくを連れて来ていながらも、彼女は、病院内ではどんどん先に行ってたな……」
逆らったら、どうなっていたのだろう。彼女は追いかけただろうか? もう、それは確かめようがないのだが。
「数字だけを頼りにさせたり、そういう部分からすれば『ぼくのこと』自体は、彼女は聞いてない?」
もし『内容』が、ぼくのなにかの事件辺りの記憶の撹乱──ぼくにとっての拷問みたいなこと──をするためなら、知っていても良さそうな情報な気はする。
そもそもぼくが暮らしている様子を彼女が『監視』していたのかは、わからない。ぼくは放送しか聞いていない。もしかすると、彼女はそこまで関わっていたわけではないのだろうか。
数字を頼りにさせるにしても、病室のほうは、表示の名前や階数なんかを数えてでも探せるから、部屋番号以外の情報でも、なんとかならなくもないというのもあるが、でも──
「まつりと親しかった感じではあるけれど、もう、聞けそうにはないからな……」
考えながらベッドから起き、着ていた服を脱ぐ。備え付けのシャワーでも浴びようと思ったが、そのタイミングで扉がノックされた。
「はい……どなたですか?」
服をあわてて直しつつ、扉に近寄る。そこで気づくが、扉の向こうの気配は、まつりのものとは違っていて、なんだかやけに、ズシッとした重心を感じた。姿は見えないが、体格のいい、成人男性みたいだ。
何も答えが返って来ないので、改めてシャワーを浴びようかと思ったら、またノックされる。
「……誰ですか?」
少し苛立ちを込めて聞くと、くぐもった声が、なにか、名乗った。それから、ドアの隙間から、なにかを、挟まれる。すっと伸びて来た薄い板状のものは、そのまま目の前に落ち、ドアをノックしていた人物も去っていく。あわてて扉を開けてみたが、なぜかもう、姿は見えなかった。
案外扉の裏側にいるのかなと見てみるが、もちろん居やしない。メモを拾って、文章を読み上げてみる。箇条書きだった。
『・おはよ(=^・ω・^=)朝ごはん食べなきゃだめだよー。昨日勝手に侵入して冷蔵庫に入れといたのを温めてください。
・ちょっと忙しいので、伝言を頼みました。
・知り合いに聞いたんだけど、直接の死因は 後頭部の打撲ではなかったって。
・あと忘れた
・あ、これからなんだけど健康診断があるらしいから早く食べといて。』
「忘れたって、なんで書いたんだろ……」
どうやら、まつりからの伝言らしい。健康診断とは、どういうことなんだろう?
いろいろと不思議があったが、とりあえず言われた通りに、目の前のデスク横の冷蔵庫を開ける。お弁当が入っているようだった。
それから。目覚めてからの一通りの習慣をこなしたものの、なかなか落ち着かない。そのうちすることが浮かばなくなり、気が付けばベッドで微睡んでしまっていた。
一時間くらい過ぎて、大体朝の10時になったあたりのことだ。ノックが二回聞こえたので、出てみると、40代か30代後半、くらいの男性が外に立っていた。
綺麗な黒いスーツを着、横の髪を固めていて、前髪は斜めに揃っている。細い目をしていてやや、小じわがある、細身だ。
「はじめまして。まつり様の、お知り合いですか?」
清々しい、はきはきした声で彼は聞いた。ぼくも聞く。
「ぼくも、同じことをお聞きしようと思っていました」
彼は大して驚きもせずに、先に答えた。
「そうですか、僕はまつり様の……そうですね、有志機関の人、って、感じです。今後について、任されています」
「今後、とは?」
「健康診断に行きましょう」
健康診断。
確かにまつりがそんなことを書いていたみたいだが、なぜかあまり信用しきれなかった。
だから、確信を持つためにあえて具体的に振らなかったのだが、なるほど、確かに話を知っているように見える。
「……ぼくは、昔の記憶がちょっと曖昧でしてね。なんで健康診断なんて行くのでしょう?」
「健康診断をさせるように言われております」
うーん。なんだか納得出来ない。なにに納得出来ないのか考えてみたが、よくわからない。遠回しに『事件』を知らないか聞こうとしたのだが、彼は任務についてしか答えないようだった。
「ぼくとまつりは、どんな関係に見えますか?」
「あー、あなたとまつり様は……そうですね、恋人、でしょうか」
「全然違いますよ」
──少し、なにかを確信しそうだった。ぼくらをあまり知らない人には、よく、そう言われる。
仲がいいとか、恋人なのかとか。
それほどまでに、ぼくらの間に距離なんてものはなく、ややこしい言葉はいらない。
──でも、それが必ずしも良い意味だけとは限らないのだと、彼らは知らないだろう。
ぼくらをよく知る人はよく、それを聞かれると戸惑い、悩み、悲しそうな目をして、言葉を出さないことが多い。それかだいたい『わからない』と答える場合が多いのだ。
(よく知る人……あれ? 誰だ、それって──)
自然にそう思っているのは何故だろう。
まあとにかく。彼が一時的に雇われたとか、そういうことも考えたが、そんな軽さで、ぼくを任せるようなことはしなさそうだった。きっと、ぼくは重要な参考人だろうし──
「そうですか、では、あなたたちはどういったご関係なんですか?」
「秘密です。《当時》を知っているなら、ぼくらのことはご存知では? まつりからは、何を聞いたんですか」
「当時、とは」
「数年前、ですかね」
「数年前というと、あの事件のことですか」
「あの事件?」
核心に迫れそうだったから知らないふりをして聞いた。ちょっと期待した。
だけれど彼は突然、これはいけない、というように慌て出し、「それより、行きましょう」とぼくの腕を引っ張ろうとした。ぼくは確信する。理屈ではなく、本能的に。
そのまま混乱して、恐怖で、急に頭に血が昇って、叫ぶ。
「やめろ、ぼくに触るな!」
叫んでから、急に冷静になる。恥ずかしい。黙ってしまっていると、彼もしょんぼりしたように言う。
「……すみません。しかし、お連れしないと」
一気に不愉快になって、信用出来ない人には付いていかない、と言おうとしたのだが、なんとなく、いざとなれば逃げ出せるかなと思ってしまった。
それほどに退屈していたのだ。まつりは帰って来ないし──
ぼくは、自分の不愉快さも忘れ、鍵を開けて、外に出た。男は名乗らなかった。ぼくも名乗らなかった。彼は、下に車が泊めてあると言った。
せめて名刺くらい見せてもらうべきだったと思ったが、それはあとになってからのことであり、そのときはいっぱいいっぱいで、頭がそちらにうまく回っていなかった。