第1部 破滅を望む者

□第1話 記憶を失くした勇者
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無機質な部屋の中、一人の男が眠りから目を覚ます。
男の目に映ったのは見知らぬ部屋の中だった。
辺りを見渡すと何やら研究室のような場所だ。
普段の生活でそのような場所を目にする機会など到底あるはずもない。
彼にはとても縁遠い場所だろう。
彼は何故自分がこのような場所にいるのか皆目見当もつかない。
そして記憶を辿ってみて気付いた。
ことの経緯はおろか、自分が何者なのか、自分の名前さえも思い出せなかったのだ。
記憶を失っている――そう理解した。
だがそれでも、彼は不思議と冷静だった。
ふと、彼の思考を遮断する音が部屋に響く。
扉の開く音だ。
ガチャリという音とともに、黒髪の男が入ってきた。

「おお、目覚めたようだな!」

明るい口調と共に現れたその男は軽い足取りで歩み寄る。
コミカルでおどけたような風格を醸し出していた。
その男に対し彼は無言で向き直る。
聞きたいことは山ほどあったが、まずは男の言葉を待つことにした。

「調子はどうだ?」

男はそう一言だけ言葉を紡いだ。
その質問に対し、彼は正直に答えた。

「……何も思い出せない。俺は一体何者なんだ?」

その問いかけに、男は考えたような素振りを見せる。

「記憶を失っている、と」

しばしの沈黙が訪れる。
やがて男がはっとしたように口を開く。

「そういえば自己紹介がまだだったな。俺の名はセイペラル、いわゆる情報屋というやつかな」

セイペラルと名乗った男が続けて話す。

「お前の正体について、単刀直入に説明しよう。お前はな――勇者だ」

――意味が分からない。
突然自分が勇者だと言われて、それを信じられるはずがなかった。

「お前の名はネッサ、かつて魔王を倒し世界に平和をもたらした」

ネッサ。
恐らく自分の名であろうそれを聞いても彼には心当たりがなかった。
男――セイペラルが続ける。

「そして情報屋の俺がお前の所在を掴み接触を図ろうとしたところ、お前は傷を負って倒れていた。だからこの施設までお前を保護、我が故郷の最新技術で治療していたというわけだ」

説明を聞いても状況がいまいち理解できなかった。
ネッサは二つ目の疑問を投げかける。

「ここは、どこなんだ?」

その質問に、またもや考えた素振りを見せるセイペラル。

「難しい質問だな。それに答えるには、まず基礎を知らなければならないだろう」
「基礎?」

セイペラルが頷く。

「なぜ俺が、お前と接触を図ったと思う?」

セイペラルは逆に問いかけてくる。
ネッサには知る由も無い。
答えあぐねているとセイペラルが続けた。

「限られた情報からお前の所在を割るのは決して容易ではなかった。ではなぜ、そうまでしてお前に会いたかったか」

そこまで聞いてようやく思い当たる。

「俺の――勇者としての力が必要になったから、か?」
「ザッツライト! その通りさ」

セイペラルがおどけて答える。

「そう、この世界は今、危機に瀕している。世界の破滅を望む者が存在するのだ」
「世界の破滅、だと?」

セイペラルは頷き、答える。

「やつらはゼルゼバス軍という化け物じみた連中さ。生身の人間では到底勝ち目が無い」

セイペラルは吐き捨てるようにそう呟く。

「なるほど。そこで俺、というわけか」

ネッサは納得する。
が、それでも腑に落ちない点はあった。
たとえ本当に勇者だったとしても、その記憶を失っている自分が戦力になるだろうか。
その疑問を投げかけると、セイペラルは答える。

「心配ないさ、戦闘に関しては体が覚えている。経験と共に記憶も戻っていくだろう」

その答えは、限りなく楽観的なものだった。
この男を信用しても大丈夫だろうか。
そんな疑問が頭をよぎる。


その直後。
突如凄まじい爆音が鳴り響く。

「何だ!?」

突然のことに慌てふためくネッサ。

「まさか、もう来たのか! 早すぎるぞ!」

来たとは何のことか。
状況を理解できないネッサを尻目にセイペラルが動き出す。
ネッサもそれに続き後を追う。

「ネッサ、どうやら早速お前の出番のようだ」

出番。
それはつまり、勇者としての力が必要になったということ。
勇者としての力――それは即ち、戦闘。
つまり敵が現れた。
理解するのは早かった。
二人の男は施設の出口を目指して走った。

「こっちだ!」

セイペラルの後を追うと、その先には銀の扉。
恐らく出口だろう。
その扉を開け外に出ると――驚愕した。
コンクリートや塀など、あちこちが破壊されていたのだ。
二人が外に出たその時、それをやったであろう者が姿を現した。
その者の見た目は普通ではなかった。
何より目についたのは、その人間離れした筋肉である。
拳だけであらゆる物を破壊できそうなほどにその男の筋肉は発達していたのだ。

「なあ、セイペラル……まさかと思うが、あいつが敵じゃないよな?」
「残念ながら、お前の予想であってるよ」

セイペラルの答えにネッサは絶望する。
とても自分の勝てる相手だとは思えなかったのだ。
見た目からして非力な自分に力があるとは思えなかった。
ましてや目の前の筋肉男に太刀打ちできるなど夢のまた夢。
そう思えてならなかった。

「よォ、セイペラル。テメェが見つけたっつー勇者とやらをぶっ殺しに来たぜ。で、そいつはどこだ?」
「お前の目は節穴か? 今、お前の目の前にいるのがそうだよ、ハワード」
「あン?」

やや間延びした声を上げると、目の前にいるネッサに目をやる。
それと同時に呆れたような表情を浮かべて嘲笑する。

「オイオイ……こんな弱っちそうなやつが勇者だと? ギャハハ! 笑わせてくれるぜ、こんなやつァ一捻りにしてやらァ」

ハワードと呼ばれた筋肉男は高笑いしながらネッサに近付く。
その足取りは余裕に満ちていた。

「セイペラル、一つ確認させてくれ。本当に俺には、勇者の力があるんだな?」
「ああ、間違いない。そしてこのハワードはゼルゼバス軍の中でも最弱の男だ。肩慣らしには丁度いいんじゃないか?」

セイペラルの言葉を挑発と受け取ったハワードは怒りを露わにする。
だが、セイペラルの言葉を信じたネッサは動じない。

「セイペラルの野郎め、この俺をコケにしやがって。このゴミを一瞬で片付けた後テメェも血祭りに上げてやるよォ!」

ハワードの拳がネッサに向けて勢いよく放たれる。
筋肉の塊のような腕から発せられる拳は、弾丸のようであった。
だが拳の先にネッサはいない。

「なるほど、攻撃の軌道が手に取るように分かる。力があるというのは本当らしいな」
「チィッ! ちょこまかと――」
「遅い」

ハワードが再び拳を振るおうと構えるが、それが発せられる前にネッサの拳が当たる。
肩にクリーンヒットした。
だが様子がおかしい。
全く手応えを感じなかったのだ。
それどころか、自分の拳の方が悲鳴を上げているようだった。
ハワードがニヤリと口角を吊り上げる。
次の瞬間ゴッという鈍い音と共にネッサの体が吹き飛ばされる。
拳をその身に受けたのだ。
至近距離で威力が軽減されているにも関わらず、その一撃は非常に重かった。

「ケッ、やっぱ雑魚じゃねェか」

ハワードが吐き捨てる。
地に倒れ伏しながらネッサがセイペラルの方を向く。

「何だよ、話が違うじゃないか……攻撃が全く効かなかったぞ?」

その様子を見たセイペラルがはっとしたように答える。

「そういえば言い忘れていた。お前の武器は拳じゃない、剣だ」

剣。
そのような物は持っていない。
自分には武器が無いのだ。
たとえ勇者でも武器が無くては戦えないだろう。

「案ずるな」

セイペラルの言葉に首を傾げる。

「念じてみろ、お前の武器を。それはいつでもお前の手の中にある」

言われた通りに念じる。
だが、ハワードはネッサに止めを刺すべく眼前まで迫っていた。

「無駄だァ! テメェはここで終わりなんだよォ!」

ハワードは倒れているネッサに向けて蹴りを繰り出す。
が、その一撃は身を回転させることでかわす。
次の瞬間、立ち上がったネッサの手には剣が握られていた。

「ほォ……少しは楽しめそうじゃねェか!」
「悪いな、お前には楽しむ間も与えはしない」

その剣を握った時に確信した。
この男には負けないと。
ネッサは自信に満ちた表情でハワードを見つめる。

「はン、面白ェじゃねェか その減らず口はいつまで持つかな!? アハァハハハァ〜!!」

ズバッ――
ネッサが踏み込むと、次の瞬間響いたのはそのような音だった。
一瞬の出来事に、ハワードと、それを見ていたセイペラルには何が起こったのか分からなかった。
気付くと、ハワードが血飛沫を上げていた。

「――!? ぐぁあああ!?」

状況を理解したハワードが悲鳴を上げる。

「言っただろう、楽しむ間も与えないと。どうだ、まだやるか?」

剣を突き付け、ハワードを見据える。
その眼差しは水底よりも冷たかった。

「ふむ、まさかこれほどとはな。予想以上に頼りになりそうだ、この勇者さんは」
「くそォ、覚えてやがれェ〜!!」

恐れを成したハワードが踵を返して逃げ出す。
こうして、ネッサは初戦闘にして初勝利を収めたのだった。
いきなりの戦闘に一時はどうなるかと思ったが。

「初勝利おめでとさん」

セイペラルはそんなネッサに向けて賛辞を送った。
その言葉にネッサも軽く笑みを浮かべる。

「それでは改めまして……今後ともよろしく頼むよ、勇者ネッサ!」

記憶を失くした勇者ネッサの戦いはまだ始まったばかりだ。
次々と激化していくだろう戦いを、彼は乗り切ることができるのか。
そして、セイペラルは一体何者なのか。
ゼルゼバス軍とは。
まだまだ謎は満ち溢れている――

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