short
□歌を忘れたカナリアは
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“翔ちゃん”
僕の名を呼ぶ甘い声が好きだった
やっと繋がった気持ちは
永遠だと疑わなかったのに
雅紀は僕を………………
僕だけを忘れてしまった
「 ………事…………故?……………。」
親孝行だと
家族旅行に行くことは聞いていた
だけど旅行先からも
その、事故にあった事も
全く雅紀から連絡はなくて
可笑しいとは思ってたんだ
僕からは邪魔になるからと
気を使ったつもりだけど…………
「 こうして会社にも来てるんで
大した事はなかったみたいなんですけど
………ただ…………。」
そうしてニノの視線は
隣に隠れるように立つ雅紀へと向けられる
「 ただ……………何?」
雅紀の様子はあからさまに可笑しくて
僕を見る眼は怯えていて
「 相葉さん。」
ニノに促されると何度も頭を下げ
そうして放った言葉に僕は耳を疑った
「 ごめんなさい。
あなたの事 覚えてないんです。」
……………血の気が引く
って言うのは、こういう事を言うのか
身体に力が入らなくて
その場に倒れそうになる
「 本当に覚えてないの?
冗談で言ってるんでしょ?」
喉奥でくぐもった声が何とか
雅紀を引き留めようと発せたのに
“ごめんなさい”
雅紀の口からはずっと
同じ言葉しか聞くことが出来なかった
その日から状況は変化を見せず
「 雅紀、あの………さ……、」
「 すみません、急いでるので。」
声をかけても僕から逃げるように
その場を後にしてしまう
気づけば呼び名は“櫻井さん”に変わり
それに合わせた方がいいのかと
理不尽さはいなめないものの
僕も僕で“相葉さん”に変え
関係は会社の同僚で顔見知りに………
そうして無駄に時間だけが過ぎ
すでに半年を迎えようとしていた
「 帰りますよ。」
雅紀が僕を忘れてから
退社時間にタイミング良く現れるニノと
一緒に帰る事が多くなっていた
「 彼女…………出来たらしいです。」
ニノと雅紀は同期入社で
僕から見れば嫉妬するほど仲が良い
僕を忘れて以後 雅紀の情報は
ニノから入ってくるのが常になっていいて
「 彼女?」
目尻をポリポリと掻きながらの苦笑いに
信じられない気持ちと
必要のない情報を得た苛立ちで
無意識にニノを睨んでいたようで
「 翔さん、眼っ。
まぁ、聞きたくないとは思いますけど、
だけど、いずれは分かる事でしょ?
ある意味 先制パンチです。
…………………つうか、
気持ちブレないですね。」
「 うるさいよ。
そう、簡単に変わるかよ。」
ニノに当たるのは間違っている
彼は雅紀のケアも
僕のケアも良くしてくれている
「 フフフ…………
そんなに邪険にしないでくださいよ。」
「 そんなつもりは……………ごめん。」
苛立ちを払拭するように
少しだけ速度を早め先を歩きながら
馬鹿だなってお詫びも兼ねて
「 どっか、飯でも…………、」
振り返り様 最後まで言葉を発する前に
強い力で腕を引かれ
「 ニノ?」
状況を飲み込めないまま
狭いビルの隙間に押し込められる
驚きで凝視する僕を
ニノは何も言わず見つめたまま
街の賑わいは僕達を置いて
まるで この空間だけが歪みを作り
時間が止まったかのよう
そこは二人だけの世界に変わり
瞬間、無音となって
ニノの声だけが鮮明な音を奏でた
「 俺じゃ、駄目ですか?」
形の良い薄い唇がただ動くのを見つめ
「 俺じゃ
変わりにはなれませんか?」
尚も伝えられる想いに
「 何、言ってんの?」
頭がうまく働かない
何も言えずに見つめる僕に
歳からは随分と若く見える
可愛らしい笑顔を見せ
「 俺は……………翔さんが好きです。」
そうして柔らかな唇が重なると
完全に僕の思考は止まってしまった
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