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□ぱくり、ごくん。
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 写真になど残せない。絵にも描かない。大人たちには知られぬまま、それらは確かに存在して、そしてゆっくりと自分たちの時の流れと共に消え去っていくのだ。ぼくは君たちと触れあいたいといつだって思っていたのに、世界は案外残酷で、簡単なものだった。


 この世もあの世もみんなみんな秘密で出来ている。よくわからない、わからないことばっかりだ。空を泳ぐ魚は未だ見つかっておらず、羽のある猫は都市伝説にもならず噂すらされていない。深海で動物園はやっていなくて、ビルから飛び降りれば死んでしまいます。大人は世界に興味が無いくせいらないルールばかりを作りたがった。雪の降る暖かい山では犬や猫と手を繋ぎ、優しいあの子と一緒に夢を歌いたい。なんて楽しいことだろう。それが出来たらもう他には何も望まないし、きっと大人が手を焼いている欲ばかりの汚い人間だっていなくなる。素敵なことに違いない。なのに大人はそんな意見をまるで簡単にありえないと捨ててしまうのだ。見てすらいないのに。1+1は2だと決めつけるつまらなく歪な世界のルールは、ずいぶんと人間を退屈なものにしてしまった。だがそれすら本人たちは気づけていないのだから、救えない、救えない……。

「フッ……さすがオレのブラザー。一松は面白いな」

 小さく呟いていると、聞いていたらしいカラ松は鏡から顔を上げ、ふむふむと相槌をうちながら笑っていた。それは馬鹿にしたような笑いではなく、くつくつとただ喉で深く笑う。大人たちは突き放し否定するだけなのに、コイツは違うようだ。コイツならわかるだろうか、1+1のこたえの謎。解けたら世界は変わるだろうか、変えて、くれるだろうか。
 撫でていた猫がにゃあと鳴いて窓からぬるりと逃げていった。窓越しのその姿をなんとなしに目で追いながら、出来るかもしれない素晴らしい世界に思いを馳せる。

「うるさいクソ松。なあ、お前はどう思う」
「?」
「……1+1のこたえだよ」
「ああ」

 鏡を置き、腕組みしたカラ松を見つめた。頭がからっぽカラ松くんなのに一丁前な動作で考える姿はなんだか滑稽だ。嫌いじゃない。だが、少なくとも数学的な考えは望めないだろう。もともとそんなものは望んでいないし、そういうばかでなにも考えていないところも好ましかった。

「難しいな……」

 しばらくうんうんと唸っていたが、とうとう疲れたようにちゃぶ台に伸びる。こたえが聞けなくて少し残念な気持ちと、大人のように真顔で「2」などと言わなくて良かったと安堵の感情がごちゃごちゃに混じった。もどかしい気持ちがどうにもならなくて、投げるように再び視線を窓に寄越す。
 青い空の海にはトビウオが軽々と泳いでいたが、ぽぽんと間抜けな音と共にそれはリンゴになり、たった一度の瞬き後にはクジラになってゆうらりゆらゆらと浮かんでいた。そんな幼くて可愛いと昔笑われた想像力は、大人になるにつれいらないものとなっていく。
 おおきなクジラは透き通らぬ青くべったりとした海に沈んで、もう見えなくなっていた。青はゆるゆるとクジラの存在を認める。だが、取り残された俺は、寂しいような気になって、開いたノートの隅にかりかりとクジラを描いた。

「だって、たくさん数字があるのに、答えが一つなんてつまらないだろう」

 ぽつりとノートのクジラをいつのまにか見ていたカラ松がぽつりと呟く。少し驚いてしまった。それは大人が一番嫌う答えだったから。紙の上に描いたクジラが泳ぐことはなかったけど、カラ松は指の腹でクジラを撫でた。その手をとって雪のなか歌いたい。紙のクジラとわるい大人は沈んだクジラに飲み込ませてしまおう。ぼんやりと考えては現実が蘇った。

「クジラ、上手いな」

 するするとクジラの存在なんてないのにカラ松は線を辿り眺める。そんなカラ松を俺は眺める。正確にはカラ松の背後、すぐ後ろ、ぷかぷかと壁から出てきた、クジラ。

「……いつも、見てるから」

 カラ松はまるでおかしそうに笑った。
 大人は信じない。クジラは空を泳いでるっていうのに、大人はみえないから。魔法みたいにトビウオはリンゴになって、クジラになるのを、大人は知らないのだ。カラ松には、カラ松なら、みえるだろうか? ゆっくりと口を開け、カラ松を飲み込もうとしているクジラを、俺はみている。



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