軽薄短小

□ローズマリーの伝言
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またこの香りだ






四六時中、この家にはある香りが充満している
そう大して広くもないこの家

2階があったらこの香りのしない部屋があったのかもしれない

無いから分からないことだけど、私は常々
せめてこの香りが届かない部屋がひとつでもあればと思っている


それさえあれば私はそこで一日の大半を過ごすのに


私がどんな状況で何をしていてもそいつは容赦なく香ってきて、何もかもその香りでいっぱいにしてしまう


「……」


香り立ち込めるリビングのイスから立ち上がり、恨めしい気持ちで香りの元凶の元に足を運ぶ



こないだラブロマンス系の本を夢中で読んでたら、ヒロインが王子様から貰った花を後生大事に抱えながらどれほどいい香りかと語るシーンがあった




今日の朝、いつもより良い目覚めで早起きして、なかなか気分が良かったので普段そんなに飲まない紅茶を淹れて、香りを楽しもうと一口飲んでみた













どっちもぶち壊しだったわ!この窓辺に繁殖するローズマリーのせいで!


なにが王子様がくれたバラの香りか!


『両腕に抱いた私の髪の色と同じ白い薔薇が爽やかな芳しい香りで私を優しく包む…それに微かに香るこの匂いは…王子の香り…』


バカか!ローズマリーだ!!


『温かな王子の腕に抱かれてるかのよう…』


じゃねえよ!スパイシーなローズマリーに囲まれてんだよ!




その本はそこで読むのを辞めた



窓辺のプランターから外に向かって生え下がってるのを見て、あの時の気持ちを思い返しうんざりする


正直私はこのローズマリーの香りはあまり得意じゃない

元は私のお母さんが料理やなんかに使うのに趣味で育てていた

他にも家の外壁に沿うように伸びたジャスミンや、プランターが壊れてしまったせいでちょっとダメになってしまったが、ガーベラなんかもあった

私たちが来る前から家の隣には大きな木がそびえ立っており、ピンクともムラサキともいえないが春にはそれなりに綺麗な色の花をつける木……名前忘れちゃったけど

なんかそんなやたらと植物の多い家ではあった


まあ、一見色んな花が咲き乱れ、それぞれの花の香りがする植物好きの家主の住む家のように思うだろう

否、別の花の香りなんかひとつもさせないという強い意志の上、他の植物は幻かと思うほどひたすらローズマリーの匂いが立ち込める家だ

そして私といえば、植物の手入れなんて好きでもなんでもなかったために、他の手入れが必要な植物はいくつか枯らしているものもあったくらいだ

ものぐさな私のお世話下にあるこのローズマリーも、窓の外にも家の中にもだいぶ伸びて垂れ下がっている


それを見て踵を返し、棚の引き出しに入っているハサミを取り出し大体の長さに切り揃える

シャキ

と音を立てて添えた手の上に一本ずつ切り落とす

窓の外に手を出して適当に切って、切られた先端側を回収する


植物全部が嫌いとかっていう訳でもない
この香りが苦手なだけ

花の香りとかはむしろ好きだし、そういうフレーバーのお茶やアイスなんかは、遠出した先で絶対買うしお気に入りの物だ


でも…ローズマリーのこの独特なスパイシーで苦味のある匂いは私には強すぎる

見た目も別段かわいくないし

しかもそれが家の中でずっと香ってるというのは…嬉しいものじゃない

なんならバイオテロ扱いしている
ていうか、家の中どころか外にいても香ってくる
そのうち近隣に迷惑になるのではとひとり心配しているほどだ


だから別にわざわざ丁寧に手入れなんかしないでサボって枯らしちゃったって悲しくもなんともないはずなのに
憎たらしくもこのローズマリーの香りが一段と強いせいで、存在を忘れさせることもなく、手癖で手入れしてしまう


そうでなかったらこの私が、わざわざローズマリーだけを贔屓してるかのようにお世話なんかしっこない

外の玄関口にあったガーベラの方がキレイな花を付けるし、香りの種類としても不快なものではない

でもそっちは香りもしないし影が薄いからつい存在を忘れてお世話をサボってしまうことが多々あった

まあ、今では存在そのものがなくなってしまったけど

それこそなんだったら、読みかけのあの本にあった白いバラとか育ててみようかなー


「……いや、やめとこう…」


なんか、あの本読んでた時の地味なストレスを思い出しそうだし…


どうせまたローズマリーの香りに負けて匂いなんか分からないし、手入れの必要な面倒ごとが増えるだけだ


あの匂いはなかなか鼻から取れない

外から帰ってくる時なんか、まだ家に着かなくても村が見えた時点で香りを思い出すくらいだ

あまりに強すぎる


ハサミで切った切り口からまた更に強く香りが立つローズマリーの匂いにうんざりして、隣に置いてあるゴミ箱に手の中のテロの破片を捨てた


触ったせいで手に付いた匂いを取ろうとハサミを置いて手を洗う








捨ててから気付いたけど、そもそも植物なんだから切った残骸は普通に外に捨て置いて良かったのでは


「…………」


いや、もういい。知らない。


手洗っちゃったし、いちいちゴミ箱に綺麗なおてて突っ込んで外に捨て直すのもダルすぎる


洗った手を顔に近づけて確認すると、やっぱり匂いが移っている


「はあ……」


今日一日はもうこればっかりだ


最近は色々悪いことも立て続けに起こりすぎだ

少し前に、急に世界に化け物が異常に増えたとかいう謎の現象から村に化け物たちが現れ、何人かが攫われた


私はたまたま運が良くて…というか、ガーベラのプランターを犠牲になんかなんとかなったという感じ

私としてはあれのせいで初めての殺人を行った

相手が化け物とはいえ、人の頭にプランターを叩きつけたのは、後にも先にも無いことだろう



まあ、そんな苦い思い出からもそれなり時間が経った


攫われたという人たちは他の村での保護を受けて、ひどい傷を受けた村の大人たちも調子が戻った

襲われた家の再興を行い、化け物たちも夜だけ気をつけていれば割と問題ないということで、何とか落ち着きを取り戻した


「……?」


…の、はずなんだけど、何だか外が騒がしい

私の家は村に入ってすぐの入り口付近にある

まだ昼間時だから、変なことなんかも起こりにくいと思うけど…


そう思いながら窓辺から外を覗いてみる

落ち着いたとはいえ、遠くの町や村はまだまだ物騒な話が絶えないみたいだし…


なんて、ちょっと胸をざわつかせながらそっと見てみると村の大人たちが集まって楽しそうに歓談している


なんでわざわざ村の入り口で?


と思ったが、私はあまり村の人たちと仲が良くない

いや、悪いわけじゃないんだけど、わざわざ外に出てああやって話をするほどではない

今となってはほとんど記憶もないが、私の出身はこの村ではなく、もっと遠くのそれなり都会の地だった

私が子供の頃にこの村に来たが、どうにも恥ずかしがりで奥手な私には、こういう田舎の人たちの間合いの狭さみたいなのは苦手だった

とはいえだいぶ狭いこの村では、私が望むほど人と関わりなく生きていくのは不可能なわけで

喋ったり遊んだり、多少はするけど…

好きで自分から誘ったりはほとんどしない


「……」


何の話かは分からないけど、窓の外から聞こえてくる声的にはずいぶん楽しそうな感じだし、ただの井戸端会議だろうと窓から離れる



本当だったら、私はもっと別の大きい町に引っ越したいのだ

ていうか、今頃しているはずだった


予定が崩れたのは、今もなお世間を騒がせているこの世の異常事態によってのこと


こんなことになっていなければ、とっくに少ない荷物まとめて移動するんだったのに…

完全にタイミングを失ってしまった

引っ越しの話をしていた行商人もこの騒ぎで来なくなってしまったし、もうしばらくの間はここに留まることになりそうだ

というか、あの行商人が来ないのでは、そもそも引っ越しの話し自体、白紙に戻ってそう


「はあ……」


ギイ、とイスを鳴らして机に向かう

前のめりに身体を傾け頬杖をつく

…手からローズマリーの匂いがする

前は引っ越しのことで頭がいっぱいで、移動した先の生活が不安やら楽しみやらでワクワクしてたのに、全くそんな感じじゃなくなってしまった

このローズマリーも村の外に適当に埋めて行っちゃおうとか考えてたから、あの香りともようやっとお別れできると思ってたのに


そういえばお母さんの手からも、よくこの香りがしていた


トントン


ふと、自分の手から香ったお母さんと同じ匂いに、昔のことを思い出していれば玄関の戸が叩かれた音がした


そういえば、さっきまでの外からの話し声がしない
そこに居た人の誰かが来たのだろうか


何の用だろうと立ち上がって短く返事をして玄関に向かう

カタ、と簡単に取り付けた扉のカギを開けて戸を引いた


「…あ、こんにち……いや……ひ、さしぶり…」


村の大人たちの誰かしらを予想して開けた向こうには
前に見た姿とはずいぶん見違えた緑の衣を纏うリンク君がいた

そしてなんだか気まずそうに立って挨拶をすると、困ったように言葉を詰まらせた

私は扉を押さえながら、された挨拶に軽く頭を下げて用向きを聞く姿勢をとった

さっき騒がしかったのは、リンク君が帰ってきたからだったのか


「あ……その、村が襲われてから会ってなかったから…様子を見とこうと思って…」


リンク君とはイリアちゃんとかと年が近いこともあって、他の村の人たちよりかは近い存在だったが、リンク君は私と違って村の人気者だし、いつもイリアちゃんとのセットで会ってたから、こうやってふたりで話すことは珍しかった

それに付けて服装がまるっきり違うせいで何だか別の人のようであんまり口が回らない


「あ、ありがとう……」

「…あ…あのね、俺、まだちょっとやらなきゃいけないことがあって…。
 魔王が…ああいや、その……この国の姫様を助けに行くんだ」

「ひ、姫様を…?あの…ゼルダ姫?」

「そう」


なんで見たこともないはずの姫様をリンク君が?

とか一瞬聞こえた、魔王…?とか、色々気になることはあったが


「危ないこと……だよね?」


背中に剣なんか背負ってるし、一国のお姫様を助けに行くなんてよっぽど大変なことだろうと
予想も想像も足りないだろうけど聞いてみる

するとリンク君は口を開いて何か言おうとして、多少目を泳がせてから小さく頷いた


「そうなんだ……」


聞いといてなんだけど
いざそう答えられると手伝うこともできないし、代わってあげられるわけでもないから、何ともしようがない
かといって、たった今知ったリンク君の大義に向けて無責任に「頑張って」も気まずい…


「…あ……その、だから…行く前に……えっと、君に会いたくて……」

「…え?」


なんて、リンク君にかける言葉を考えていたら、爆弾投下された

さらに言葉を失う


「俺、今までずっと色んなところに行ってたんだ。
フィローネの森の奥の神殿とか、ハイラルの城下町とか…ずっと北に行ったゾーラの里とか……たくさん、たくさんの場所に行ったんだ」


予想外の一言に口を半開きにさせた私に、リンク君は私と目を合わせないままどこか居心地悪そうに肩にかけた剣を直したり、首に手を当てたりソワソワ動きながら喋る


「火山の近くの村は温泉の匂いがして…城下町は色んな人の生活の匂いが混ざった香りがした。
湖の下の神殿は雨が降った時みたいな匂いがして、雪の積もる山は嗅いだことのない匂いだったんだ…」


そして私の知らない色んなところに行ったらしいリンク君は、意図も分からないまま黙る私に続けていく


「世界中の場所の、色んな香りがあったんだ。
たくさんの人に会ったし、覚えきれないくらい、みんなそれぞれ違う匂いがした…………でも……」


ずっと泳がせていた目を一点でふと止めると、視線の先の私の手を取った

そうして顔をあげて、私の目を見る




「この…… なまえの香りだけは、ずっと覚えていたんだ」




リンク君の目は、とても青い


「……俺の故郷は……ローズマリーの香りのする場所なんだ」


私の手を持って、そのまま頬に当てる
手のひらから伝わってくるリンク君の顔は少し熱い


「きっと…姫様も、この国も、この村も、きっと俺が守るから。だから、待っていてほしいんだ」

「え?」

「俺が帰ってくるのを、君に待っていてほしい」


真っ直ぐに見つめられるリンク君の目はガラスみたい

私は半開きにしてた口を閉じて、ひとつ瞬きをするとリンク君の目を見ながら頷いた

すると真面目な顔から少し目を開いて、ホッと息を吐いて微笑んだ

そして私の手を再度ギュッと握ると、さも大事そうに顔を擦り寄せて


「……… なまえの手は、ローズマリーの香りがするね」

「っ……」


見たこともないくらい安心したような笑顔を浮かべて、するりと手を離した


「それじゃ、行くね。ありがとう」

「……あ……え、ちょっ……待っ……」


そして短くお礼をいうとリンク君は私に背を向けて村の外へと足を向けて駆けていく

リンク君ばっかり話しちゃって、私だって話したいことがあるのに、私は未だにまとまらない頭で、でも何か言いたくてリンク君の背中に慌てて口を開く
けど、言いかけた言葉を飲み込んだ


どうしようと、時間も無く悩む私を知らずにどんどん走って行ってしまうリンク君
姿が見えなくなる



玄関を潜って息を吸う






「……ま、待ってるね!」







追い風のように村の外に向けて風が吹いた



リンク君の姿はもう見えない





風に乗せてローズマリーの香りがした





リンク君には、届いただろうか









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