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拍手文:文豪ストレイドッグス(福沢諭吉)
六月イベント・梅雨
本サイトにて執筆中『竹取物語』番外
※拍手文の為、名前は『那代輝夜』で固定となっています


―――――


梅雨。五月から七月にかけて毎年めぐって来る曇りや雨の多い期間。

何故梅の雨と書くのか……、幼き頃には不思議に思った事もあったがそれには諸説在り。彼女自身は梅の実が熟す時期だからと思って居る。

雨にいい思い出がない彼女だが、横浜に来て雨の匂いというのは田舎も都会も変わらないのだと繊細にも思った心は今なお身の内に残っている。

じとじとと高い湿度と近づく夏の暑さを感じる雨の中。髪を結い上げ歩くその隣には福沢が並んでいて、その距離は平時より少し近い。



「雨の日って余り外に出ようとは思わないけど、散歩してみると意外に発見が多くて楽しい」
「ああ、そうだな」



そう云ってふと頬を緩めれば斜め上の頭上から同意を示す聞きなれた低い声が降ってきた。身長差故にまるで雨の様だと例えが思いつく程、正しく声が降ってきている様に鼓膜を揺らす。

同じ傘の中だからか、雨が降っているからか、少し何時もと違う様に聞こえる気もする。隣を歩く少女に歩幅を合わせる福沢は雨に濡れては居ないかと気に掛けながら、視線を隣に落とす。

周囲に視線を向けるように顔を動かしているその瞳に映っているのは、民家の混凝土塀かそれとも道の端に咲く紫陽花か。そんな事をふと思いながら福沢は黒髪を結い留めている簪に目を止めた。



「使っているのか」
「え? ああ、この簪? うん。福沢さんがくれた物だし、この所雨の日は蒸し暑いから」
「役立っているようで何よりだ」



主語が足りていない呟きの言葉も拾い上げて、長年の付き合いから察した輝夜は微笑んで福沢を見上げた。福沢も柔く口元を緩めていて、その表情にまた言いようのない安堵と喜びを感じながらまた視線を道行く先へと戻す。

本当は箱に仕舞って大事に大事に保管したいと云う気持ちはあるが、元は贈ってくれた福沢自身も遠慮から長らく仕舞い込んでいた代物だ。髪を結う為に作られたと云うのに正しく使われず仕舞われるのでは、きっと其れこそこの簪も報われない。



「あ、」



そう喉を震わせて、こぼれた音と共に足を止める。目を見開いて僅かに広がった視界が映したのは電柱の影に見えた物。慌てて福沢の差す傘の外へと駆け出して、濡れた混凝土の歩道を真っすぐに走る。

しゃがみこんで覗き込む箱の中には折りたたまれて詰められた手拭と何かがそこに居たのかもしれないへこみだけ。

頬に雨粒が伝ってじわりと衣服に雨粒が滲む。ふ、と降りかかっていた雨粒が遮られて同時に聞きなれた声が雨粒の代わりにまた降ってきた。



「――輝夜。」



急に飛び出した事を咎める声にしては優しく、如何したと尋ねる様な声色に輝夜は小さく首を振った。

其処に小さな命が捨て置かれているのではないか、そう早とちりしてしまっただけだと。勘違いでよかった。

そう思う反面、この箱は元より廃棄物としてこの道端に置かれていただけなのか。少し前には本当にその中に何かが居たとしたら、その子は誰か心優しい人間に拾われたのか、それとも――――……と、既に考えても仕方のない事に意識が捕らわれてならない。



「帰るぞ」



そう言って、福沢はしゃがみ込んだままの少女に手を伸べる。彼女が何に思い捕らわれているのかを察した上で。

そしてまた、彼女自身も其れを理解した上で頷き、手を取る。痛くない程度の力強さで引き上げられて、立ち上がる。



「ありがとう福沢さん」
「……」



じぃと覗き込む銀の瞳から目を逸らす機を失って、見上げ続ければ福沢は傘を持つ手とは別に、今しがた自分を引き上げてくれた手を持ち上げた。頬に触れる布地が着物の袖であると気づくのは直ぐの事。



「少しの間に随分と濡れたな」



銀灰色の瞳はすっと音もなく細められて、今度は骨張った武人の手の指先が頬に張り付いていた横髪を耳元へと避けた。

見惚れてしまうなんて可笑しな事だろうか、しかし現実こうして自分は数秒の間、目の前の人に目を奪われていた。

だが一つこう向き合って立って見て今更ながらに気づいたことがある。福沢の右肩、黄浅緑の着物がその一部だけ深く濃い色に変わっている。

傘から飛び出した自分ならまだしも何故福沢の肩が雨に濡れているのかと僅かに考え込む。



「如何した」



聞きなれた優しい声だ。不器用で伝わり難くとも確かに本心から人を気遣って慈悲と情けを掛けられる男の声。

――ああ、納得が入ったとばかりに思わず少し口元を緩める。些細な表情の変化も見逃さずに福沢は向かい合った少女の嬉し気な微笑みに首を傾げた。と云っても動きに表現される事は無く心の中でだけだが。



「……? 何か面白い事でもあったか」
「ううん、大した事じゃないよ。」
「……そうか」



何でもないと言われてしまえば多少気になりはすれども、それ以上言及する事はしない。少し寂しげだった様子が理由は知れずとも僅かに好転したのだから良しとした。

帰ろう福沢さん、と言う声にああ、とだけいつも通りに返して二人は再び歩き出す。



「福沢さん、今度もう少し大きい傘買おうね」
「否、此れで良い。未だ十分に使えると思うが」
「そうかな、濡れたりしてない?」
「……濡れたのはお前の方だろう」
「確かに、違いない」



全く気の遣われ甲斐が無いという物だ、と自分でも思う。的を得た指摘に笑う他無かった。先程よりも少しだけ福沢の近くに寄って歩く。

自身の服の裾と福沢が纏う羽織の裾が常に触れ合う程近い。少し緊張するが、言葉の無い優しい彼の気遣いで彼自身が濡れる事が無いように。

矢張り、少し大人が二人で分け合って入るには傘の面積が小さい。輝夜は標準かそれより少し小柄な方だとしても、福沢は大の大人もいいところなのだから何方かが僅かに濡れる事ばかりは避けられない。

福沢はまた僅かに傘を持つ手を動かした。既に濡れてしまっていようとも隣を歩く少女が雨粒にこれ以上濡れる事が無いように。

じゃあ、この傘が壊れちゃったら大きいのにしよう。と微笑む少女の次、という言葉に愛しさを感じると同時に、広い傘では迫る距離が広がってしまうのだという言葉にはしない思い。

袖が触れ合う程すぐ傍に長く居ても自然な傘の中、梅雨の時期。細やかな好意の気遣いがその男女の間では絶えず互いに向けられている事を彼らは理解しているのか、それとも――。





傘の中滲む雨音

(雨、まだまだ降るんだってね)
(昔聞いた話だが、お前は雨天が嫌いだったな)
(昔は余り好きじゃなかったけど、今は前より好きになったよ)
(そうか、……同じだな)





 



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