Bungo Stray Dogs

□消した煙草の残り香
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その少女を目にしたのは裏切り者や間者を繋ぐ地下牢でが初めだった。年端の行かぬうら若い少女、見目にも人を殺す事は愚か、黒社会の闇の中枢とも云える場所に繋がれるような人間には思えなかった。

事実がその通り、少女は人身売買で取引されただけの一般人だと云う。では何故、と思えば、先代首領が患った病を治す為の治療薬としてその少女を買った、と。


『不老不死』という俄には信じ難い異能力を所持した少女。

だが、少女は紛れも無く不死者だった。幾ら銃器で撃たれようと、刃物で切り裂かれようと、その鼓動が止まった確かな瞬間に息を吹き返した。

先代首領はその不死の能力、更には妄信に取り憑かれたとでも云うべきか、その血が薬になるとまで考えた。



「……煙草の臭い……、誰か居るの……?」



聞こえた鎖の音、目を凝らすように擦っている姿が私からはよく見えたが、彼女からは恐らく私は見えなかったのだろう。掠れている声は疲労感が目に見えるように色を付けていた。

しかしその声色は何処までもはっきりとしていて、闇より深い黒の瞳は真っ直ぐと此方を見ていた。



「……誰でも良いけれど、煙草は止めて欲しい」



けほ、と僅かに咳をした。



「……。失礼した」



繋がれている少女の価値はその異能ないし、不死の肉体だ。素直にまだ火を着けたばかりの真新しい煙草を消す気になったのはただ其れだけが理由。

若しくは、一般人が不老不死なんて能力を偶然発現させたが故に攫われ売られの余りに運が無いとしか言いようのない境遇に、一抹の同情を抱いたからかもしれない。



「――ありがとう、」



久しく聞くことも無かった感謝の言葉が闇の中から降って来た。降って来た、なんて言葉は可笑しいだろうか。だが、男にとってその言葉は正しく降って来たと云うに等しく、予想外の言葉だった。

此処はマフィアの本拠地、そしてその牢。しかもありがとうと言った人物は、鎖に繋がれ、日々能力の全貌把握という名目で覚えもない鉛球を撃ち込まれている少女なのだ。

それが、煙草の火を消した如きでこうも悲しげな微笑さえ浮かべて安らかな声で、ありがとう、等と云えるものなのか。

ねえ、と子供が親に問いかけるような声色で、少女は云った。



「貴方にも私なんかが人様に不老不死を与える事の出来る様な人間に見えるの?」

「……。」

「……そんな事が出来るなら、私は」



父上と母上を、置いて来る事はしなかったのに。

その言葉の意味を知る事は叶わなかった。静かな暗闇によく響くような細い寝息が、牢の中から聞こえてきた為だ。先刻の質問も、応えを期待していた訳でなく心の隙間から溢れて落ちた言葉だったのだろう。

男は一歩、牢に近づき少女を見た。黒髪の少女、その肌は痛々しい程白くまるで死んでいるようにも見えた。





広津柳浪。ポートマフィア武闘派組織「黒蜥蜴」百人長。その日、彼が受けた指示、目標は武装探偵社の事務所の襲撃及び壊滅だった。

十人長・立原道造、銀、その他部下を引き連れて探偵社の入った建築物へと向かう。扉の両脇に銃器を抱えて待機する黒服の部下、合図に一つ広津は指を打ち鳴らした。


バン、と扉を破壊、探偵社内に銃器を揃えた部下とともに足を踏み入れる。探偵社の面々は誰もが驚くように此方に視線を向けていた。



「何ッ……」

「失礼。探偵社なのに事前予約を忘れていたな。それから叩敲(ノック)も。多目に見てくれ。用事はすぐ済む」



けたたましい銃声が鳴り響く。其々の反応を見せる探偵社の面々、広津はその中で僅かに目を見開き此方を見る少女に目を留めた。見覚えのある黒髪の少女、十数年前マフィアから死体に成り済ましては逃げ出した、遠い記憶の中の憐れな不死者を。

別段、油断をしていた訳ではない。それでも瞬く間にポートマフィア武闘派組織「黒蜥蜴」は一人残らず探偵社の面々に伸されていた。広津は眼鏡の探偵社員に投げ飛ばされ、宙を舞う最中、他の探偵社員と話を交わしているあの少女の姿を見た。

姿こそ変わらないが、あの頃の淋しげな表情とは違う、見目に合った少女らしい笑顔を浮かべていた。



「国木田さーん。こいつらどうします?」
「窓から棄てとけ。」



ヒュー、という擬音が全くお似合いな位に、与謝野や賢治は次々に気絶したマフィアの黒服達を窓から投げ棄てていく。輝夜は理想と書かれた手帳を手に、ぶつぶつと後始末の予定を含めて考えなおしている国木田の傍に歩み寄った。



「国木田君。其れじゃあ私はお騒がせの謝罪に行ってくるね」
「ああ、すみません輝夜さん。よろしくお願いします」
「うん。行ってき、……?」

「どうしました?」
「……いいえ、何だか懐かしい煙草の臭いがしただけよ」



鼻先を僅かに掠めたのは何処かで覚えのあるような、煙草の臭い。何処でなんて正確なことはとても思い出せそうもない、そんな記憶の奥底を燻るような残り香だった。

ごめんなさい、変なことを云って。そういいながら輝夜はクスリと笑った。





消した煙草の残り香

(知り合いという程でもない、)
(一方的に気に懸っていた)
(唯、其れだけの話だ)




 

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