Bungo Stray Dogs

□長雨に溶けぬ熱
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じとりじとりと雨が降る。空から降り止むことを知らない雨粒は、ぱちゃりと跳ねてもう常に濡れた場所がないような地面に落ち着く。

最初の頃より幾分か雨の強さも和らいで来た所を見ると、今朝の新聞予報通りにもう数日すれば雨は止むだろう。



(……一体如何して何をそんなに泣く事があるのやら。)



こうして四六時中泣き続ける程に悲しい物を見たのだろうか、それとも逆に嬉しいことが在ったんだろうか。そんな空想的な事を考えながら、ぱたぱたと手で顔を扇ぐ。

微風と呼ぶにもお粗末な極微風が頬を撫でる。じとりと汗が首筋に滲み、髪が張り付いてくる。ぴたり動きを止めた輝夜は我慢の限界だと言いたげに恨みがましく呟いた。



「……暑い……」



蒸し暑い。口に出せば、暑さが増すような気がして今の今まで云わなかったが、流石に限界だ。縁側に居れば、雨が降る時分も少しは冷えるかと思えばそんな事はなく、季節は未だ少し早いがしまい込んだ扇風機を引っ張り出したくなった。

気の短い方ではない、しかし長い髪は首筋に張り付くし、そのせいも在って事更に暑く感じるし、何をとっても悪循環している。



「輝夜」



その髪がふわりと持ち上げられた。髪を梳いて集める無骨な手に、思わず振り返りそうになった輝夜。



「大人しくしていろ」
「はい」



予期していたか即座にかかる制止の声に、僅かに振り返りかけていた顔を戻し暫し輝夜は髪を梳く手を甘んじて受け入れた。首にかかっていた髪が取れただけで、幾分も涼しく感じれる。

どれ位時間が流れただろうか、ほんの数分も掛からない事のようで、彼女自身としては別段何時間こうしていてもいいと思える時間だった。こんなものか、と呟きの後、するりと手を離し、福沢は云った。



「……如何だ」
「凄く涼しい」
「そうか」



世界が改変したようだと付け加えれば、福沢は僅かに笑んだ。髪が首にかからなくなっただけでも涼しさを感じる上、態々福沢が髪を結ってくれたのだから気分が好転しないはずもない。



「簪?」
「あぁ、……前に購った物だがお前は普段髪を結わんのでな」



機を見失い仕舞い込んでいた物だ、と福沢は輝夜の髪を留めている簪に目を向けた。特別華美な装飾は施されていないが、普段から着飾ることもない質素さには大げさに華々しく飾るよりも其れが好く似合うと思っていた。

そう思い、購ったが今の今まで使われることなく仕舞っていたことが勿体無く思えるほど、



「本当に、好く似合っている。」



輝夜は目を見張るように福沢を見、その後視線を下げた。あ、いや……その、えっと……、と意味にならない言葉を小さな声で呟く。福沢は何だと聞くべく口を開こうとしたが、髪から覗くその耳が仄かに赤く染まっていることに気づき、輝夜と同じく目を見張り黙考した。可笑しな事を云った覚えはない。



「輝夜。顔を――」
「や、ちょっ……と、無理かなって、」
「……。」



仕方なく、福沢は俯かれたその顔は見ずに、その頬にそっと手を触れた。手のひらから伝わるのは体温。じんわりと滲む熱は心臓の鼓動まで伝わりそうなほど、熱かった。それは福沢自身の手が元より冷たい事を差し引いても余りあるほど。



「……熱いな」



思わず呟けば、僅かに輝夜は身動いで、またその熱は増した気がした。輝夜、もう一度名を呼ぼうとした福沢の声を止めたのは、雨音に掻き消えるような小さな感謝の言葉。

痛いほどの心臓の鼓動も、思考が溶けるような熱も、全て全て雨に流れてしまえばいい。この想い以外は全部全部。輝夜は熱い、と先刻と同じく、福沢に対し皮肉交じりに呟いた。





長雨に溶けぬ熱

(……落ち着いたか)
(……福沢さんって、一寸意地悪だよね)
(似合っていると、嘘を云った心算はないが?)
(ああもう、この人本当に狡い……)




 

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