Bungo Stray Dogs

□不器用な大人
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福沢が乱歩に輝夜を引き合わせてから暫し時間が流れた。生き別れていた弟に再会した輝夜はその時、乱歩に対し初めましてと云い、その上自身の姓を江戸川ではなく、那代だと偽った。姉と同じ名前に、乱歩も少しは疑問を抱いていたが、江戸川輝夜は死体こそ見つかっていないが本来死んだと報じられた人間、姉はもうこの世に居ないと思い続けていた乱歩は、敢えて輝夜に其れを聞くことはしなかった。

その事に関し、福沢は輝夜にその意図を問おうとしていた。弟との再会を痛いほど切望していた彼女が何故、姉であることを言わず、名を隠したのか。ただひたすらに判らなかった。



「乱歩には何時云うつもりだ。」
「名探偵が真実を知った時……?」



真実というのは那代輝夜が江戸川乱歩の実の姉、江戸川輝夜であるという意味合いの真実ではない。乱歩が正真正銘の天才であり、その推理力は異能に基づくものではない。自分は異能者ではないと何時か気づいたとき、そういった意味合いの真実だ。

かつて福沢が乱歩を救うためについた嘘。江戸川乱歩は『事件の真相を見抜く』異能者だという嘘。何時かの日の福沢は乱歩が今後立ち向かうあらゆる事件の中でいつかは行き詰まり、自らが異能者ではないと気づくか、そうなった時に自分が真実を教えようとそう思っていた。


だがしかし、未だ乱歩の非凡な推理力はどんな事件に当っても百発百中で事件の真相を見抜き続け、その機会は一向に訪れない。乱歩に隠し事をしているのは、福沢も輝夜も総じて同じなのだ。自身が蒔いた種に、痛い所を突かれたと福沢は一度黙した。輝夜が自身の手を握りしめながら、俯きがちに云った。



「私、姉として何も出来なかった。傍に居るべき時に居てあげられなかった。其れが悔しくて、情けなくて仕方がないの。だから、とてもじゃないけど乱歩の姉を名乗る資格なんてないよ」

「……すまん」



それはまるで、神に赦しを請う信奉者のようだった。

輝夜は意地を張っている。推測の域を出ない事も含めて、言葉に出来ないのは自身の心がそれを赦さないから。こういう時、意固地になる所や議論が堂々巡りを始める所も、乱歩と輝夜は総じて同じだ。

深い後悔の海に沈む、思い詰めた表情を浮かべる輝夜に福沢はそれ以上言及することは出来ず、一言そんな顔をさせるつもりではなかったと謝った。輝夜は左右に首を振り、福沢を真っ直ぐと見て云う。



「福沢さんが居てくれて本当によかった。貴方が居てくれたおかげで私も乱歩も救われた」
「それは過剰評価だ。俺は輝夜の云うような大それた人間ではない、」
「いいえ。私にとって弟は世界の全て、それを守ってくれた貴方も」



私の全て。

心からの賛辞を云って、輝夜は今にも溢れそうなほど涙を溜めては嬉しそうに笑った。両親を亡くし、ただ直向きに弟の幸せだけを願い、届かない手を伸ばして弟を理解できない世界から守ろうと抗った。届かなかった手、言葉、距離、全てを代わりに、偶然とはいえ弟を守ってくれた男には尽くしても返しきれない恩がある。弟への贖罪と恩人への恩返しをする為だけに、こうして自分は不老不死などという異能を得てまで生き長らえたのだと、その為だけに此れからも生きていくのだと心の底から思っていた。

福沢は何も云わずその腕を掴み、自身の方へと引き寄せた。掴んだ時、余りの細さに加えた力にその腕が折れるのではないかと思った。胸にもたれ掛かる僅かな重みにふと息を吐いて、不器用にその頭に手を乗せるように柔く、撫でる。



「そうか、」



救われたのは同じだ。輝夜が福沢に救われたと感じるのも、福沢が乱歩や輝夜に救われたと感じるのも、総じて同じ。突然として両親を喪い、一人異能に目覚めて生き延びては弟を探す最中、身売りに遭い何度か死んでは生き還り。その果てでも、弟を独りにした悔恨の情にかられている。輝夜は福沢の胸を押すように、身動ぎ小さな泣き声混じりの声を零した。



「ふ、く……ざ」
「善い。よく頑張った、だから少しばかり休め。誰も其れを咎めたりはせん、」
「…………うん。……うん、」



押し返す力が無くなった。その代わりに輝夜は福沢の胸に額を擦り付けた。胸に抱く少女の僅かな震えを感じながら、福沢はただ離さぬように、誰からもその存在を覆い隠すように、細い体を抱き締め続ける。

泣いているのかは分からなかった。否、分からなかったが、泣いているのだと思った。涙が服に染みをつくり、その冷たさが福沢にも伝わった。嗚咽を抑えこみ、福沢にさえ聞こえぬよう、そうして静かに彼女は泣いた。



「輝夜」
「……。」
「俺が、守ろう」
「……わたし、守られなくても……死なない、よ」



胸板に顔を押し付けているためか、くぐもった消え入りそうな声で輝夜は福沢に僅かに嘲笑するような言葉を返した。言葉の途中、死なない自分を化物だとでも思ったのだろう。守るなら弟を守ってほしい、と続けて願った。異能も武力も持たない脆弱な天才と不死の異能を持った少女とでは、どちらが守る必要があるかは歴然だ。

だが、福沢は違う、と抱き締める腕にまた少しだけ力を込めた。


一人で泣くことも、彼女自身が赦さないというならば、抱え込むというならば、せめて涙を流す事を赦せると思える場所になりたかった。

誰からもその涙を見られないように。
自分さえその涙を見ないように。
死ねない少女の心までが摩耗し本当の意味で壊れ、死んでしまうことがないように。
そして何時か、自身の後悔を越えられるように。


その為の場所を作り、守るのだ。福沢は助けたかった。ほんの少し、ほんの一歩の前進であったとしてもその手助けがしたかった。乱歩と輝夜この二人を、一人にしてはならない。ほんの少しの切っ掛けで壊れてしまうかもしれない、幼く弱い子供なのだから。



「何があろうと一人にはしない」
「……うん」



安堵の表情を浮かべ、輝夜は福沢の服を握った。泣き疲れたのかそのままその胸に身体を預けて、眠る輝夜を運ぼうかとした福沢だったが、服を握るその手は取れず諦めて片腕でその身体を抱き締めたまま、ゆっくりと畳に横になった。

夜も更け、草木も眠る時刻だ。赤くなっている輝夜の目元に触れてから、不器用な大人も瞼をそっと下ろし静かに眠りについた。





不器用な大人

(福沢さん? もしかして寝てるの?)
(否……昔の事を少し思い出していた。輝夜、私はお前の居場所に成れているか)
(……。それってさ、成れてないって福沢さんが思うの?)
(そうか……、そうだな。そうは思いたくはないな、)





 

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