Bungo Stray Dogs

□泳がぬ魚と永眠を
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江戸川乱歩の我儘を嫌な顔ひとつせず、むしろ愛娘に我儘を云われ頬を綻ばす父親のように穏やかで嬉しげな笑みを浮かべ、その我儘を何としてもこなす輝夜。自由奔放、天真爛漫を具現化したような人間である乱歩は彼女に対しいくつもの我儘を言うが、その分輝夜が駄目だと強く云えば、福沢が乱歩に云う様に拗ねながらも頷いてくれる。無論、それが出来るのは福沢と輝夜だけだが。

周りは些か過剰なくらいに乱歩を甘やかしているとは言うが、可愛い物は仕方がない。そして今も、乱歩用の駄菓子を買いに出かけている最中だった。週4で訪れる駄菓子屋の老婆とは常に顔見知りになり、いくつかオマケも付けて貰えた。その事に頬を綻ばせつつ、探偵社への戻り道を彼女は歩く。



「おォーい、おーい!」



そんな呼び声が聞こえた気がして、ふと足を止める。周囲を見回しても目立った知り合いの人影はない、草の生えた傾斜を下った先に川があり、少し直進した先には川を渡る橋があるだけだ。そこまで考えて、はた、と輝夜は顔を上げた。川といえば入水、なんてよく言う男の姿を思い浮かべながら。





「やあ輝夜。今日はいい天気だね」



案の定、川を跨ぐ橋の元へと行ってみれば、包帯の巻かれた片手を上げ気軽な挨拶を口にする同僚がいた。髪が濡れているところを見れば、また性懲りもなく川に飛び込んだのだろうということは簡単に窺い知れる。

川に飛び込む理由? そんなのは勿論入水、つまり自殺の為だ。自殺嗜癖(マニア)、自殺大好きっ子とでも云うべきか、輝夜は呆れたと言いたげに肩をすくめて笑いかけた。



「太宰君。また一寸法師ごっこ? それとも桃太郎の桃の真似?」
「うふふ。そうだねぇ、思う様に中々巧くいかないもんだ」
「風邪引くわよ」
「ありがとう」



すっと差し出したハンカチで髪から垂れる雫を受け止める。すると太宰は笑みを浮かべて、頬に押し当てられるハンカチを握る手ごと未だ湿っている自身の手で握った。輝夜は目を瞬かせるが、別段驚き照れるというような反応は見せない。太宰はその手を握ったまま、すっとその場に音も立てずに跪いた。

嫌に大仰で演技がかった所作、柔く白い傷一つ無い手に触れながら、まるでそれが一世一代の愛の告白のように太宰は云う。



「輝夜。どうか私とこのまま心中してはくれないかな?」
「お断り」

「……あーぁ、フラレちゃった」



冗談か本当か、どちらかと言えば間違いなく後者のつもりで太宰は言ったのだろう。世の女性ならば誰もが一度は惑わされそうな程の真剣さで云う言葉が、一緒に死のうだなんて。巫山戯ているのに、太宰に限っては洒落になりそうもないのが不思議なところだ。

言い終わるなり一蹴され、太宰は本当に残念そうにその手のハンカチだけを受け取って立ち上がった。それを見計らうようにまた探偵社への帰路につき、歩き出した輝夜の後を追いかける。ぽつり、彼女は呟いた。



「私でも貴方の異能を持ってすれば、死ねるのかしら」
「さて、どうかな。ずうっと抱き合っていれば死ねるかもしれないけど、ううん、難しいね」



太宰の異能力『人間失格』はありとあらゆる異能を無効化する異能だが、果たして不老不死という異能までも凌駕するものなのかは、太宰をもってしても理解の及ぶところではなかった。

もし、互いに互いを離さず心中したとしても、太宰が死んだ瞬間、もしくは異能が消えた瞬間に彼女の身体は復活し始めるかもしれない。異能『竹取物語』は不老と不死を絶対とするだけの体質とも呼ぶべき異能なのだから。正確なことまでは知りようもなかった。



「そう」



輝夜が何を思っているかは想像に容易い。彼女はその異能が為に未来永劫に老いることはなく、死ぬこともない。不老不死が辿る結末は幾つかに別れると本は云うが、その通り、このまま何十年と生き続けた先に探偵社の面々は居なくなるだろう。そうなった時、死ねない恐怖に悩まされる事になるのではないのか、きっと、そんな遠い未来の事を考えているのだ。

太宰はまた、ううんと唸った後で輝夜に笑いかけた。



「ねえ、いつか試してみようか。死ぬ事は叶わなくても、永遠の眠り位にはつけるかもしれない」
「考えておくわ」
「どれくらい?」
「気長にぼんやり考えて半世紀以上ってところ」
「じゃあ気長に待つとするよ! もしそうなったら、その時は」



その時は恋人のように指を絡めて、離さないように抱き合って、冷たい水の中に沈もうじゃないか。未だ訪れぬその時に思いを馳せるように、太宰は云った。その時まで太宰君が生きていたらね。苦笑交じりに、最後の最後に自身を眠らせてくれるという男に対し、彼女は云った。

それ以後、太宰が入水を試みる回数はほんの少し雀の涙程だけ少なくなったそうだ。しかし如何せん、仕事中に素晴らしい川に飛び込むのはもはや癖ともなっているらしく、余り変わったかと言えば、実際其れほどではなかった。今日も今日とて太宰は川に飛び込み、その度に国木田の心労は祟っていく始末だった。





泳がぬ魚と永眠を

(こんな所に居ったか太宰ぃ!!)
(ちょっと国木田君。もう一寸空気読んでよ)
(お疲れ様、国木田君)
(お疲れ様です、輝夜さん)




 

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