Bungo Stray Dogs

□彼女の些末な悩み
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異能力『竹取物語』。所謂、体質とも言うべき不老不死の異能は、異能が発現した18歳の頃のままの那代輝夜の身体を維持し続けている。現に、生きてきた年数は30年という時を超えるのに対し、その容姿は誰が見ても30代には見られることはない。

大人びた雰囲気を醸し出すことでなんとか成年していると見られるくらいだ。若く美しい時のまま、其れ以後の成長も老いも全てが止まった身体。別段その事に対して思うことはないが、一つ不満があるとすれば……。



「随分不味そうな顔で飲むねェ」
「だって不味いんだもん」



頬杖を付き、じぃと輝夜がそれを飲み干す姿を何ともなく、ただ見ていた与謝野は薄い笑みを浮かべて言う。ごくり、と最後の一吸いを飲み干した彼女の表情を見ていれば誰であろうとそう問いを投げかけただろう。商品名にはぐんぐん豆乳丸、というように書かれており、飲みやすさを売りにしている豆乳飲料だが、長くこれを飲んでいる輝夜自身一度足りともこれを美味いと感じたことはなかった。カラになったそれを捨てやすいよう、指で慣れたように潰しながら不満気に輝夜は言葉を返した。



「それにしてはよく飲んでいるじゃないか」
「……。」



仕事机横に置かれたごみ箱には同じように潰れたぐんぐん豆乳丸の包装がいくつも見られた。不味いと言いながらもそれを態々、毎日のように飲む事に何の意味があるのかと与謝野は純粋な興味から尋ねかける。バツの悪そうな顔をして、目をそらした輝夜はぽつりと小さな声で呟いた。その呟きを聞き取った与謝野は目を瞬かせ、ぷっ、と堪えきれずに笑い声を零す。



「与謝野さん、笑うの禁止!」
「あァ、悪いねェ」



そうは返すものの未だ与謝野は笑っている。その笑い声につられて、他の職員達も何だ何だと視線を寄越していたが、顔をほんのりと赤くした輝夜は与謝野に抗議することばかりで其れに気付いてはいなかった。与謝野は笑いながらも、先刻零された悩みの一端に目を向けた。



「そんなに大きい方がいいのかい?」
「だって、小さいより大きい方がいいじゃない」

「私は小さいのも大きいのも嫌いじゃないよ」
「おや、太宰」



掛けられた言葉に振り向けば、輝夜の頬に沈むのは一本の指先。張り艶の良く、普段よりも薄らと赤に染まる血色の良い頬を撫でるように指先が滑った。いつから聞いていたのだろうと思う反面、太宰の言葉に釣られるように輝夜は自身の胸部に視線を落とした。

肉体年齢18歳、断崖絶壁ではないにしろ、街を往く18歳の娘子と比べると些か慎ましやかな胸だ。世辞にも豊満とは言い難い。大小で分けるならば必ず小の部類に分けられ、与謝野は疎か自身の肉体年齢よりも年下である事務員の谷崎ナオミにも大きさ的には確実に負けているだろう。目立った劣等感(コンプレックス)があるわけではないと思ってはいるが、劣等感がほんの一欠片もないかと言えば嘘になる。

自身の異能力が為に、身長も体重も標準時から僅かであろうと伸びたことはない。同じように胸がこれ以上膨らむことは未来永劫ないだろう。それを解っているからこそ、否その上で一抹の望みに縋るように好きでもないぐんぐん豆乳丸を毎日毎日飲んでいるのだ。



「太宰君。いい加減頬を突くのは止めて」
「うふふ、相変わらず触り心地のいい頬だねぇいつまでも触って居られる」



されるがままに頬を撫でられ、柔く摘まれ、時に突かれを我慢していた輝夜だったが、流石にうざったく思ったのか、未だ頬に触れる太宰の手を手でやんわりと跳ね返した。

僅かに意識が逸れたが、彼女の悩みは未だ晴れぬようで自身の胸に手を当て、ふぅと悩ましげなため息を吐く。与謝野はふ、と優しげに笑い言った。



「かわいい悩みだねェ」
「でも、こう、せめてあと一寸だけでも大きくならないのかしら……」
「ねえ輝夜。大きくしたいなら豆乳を飲むよりももっと効果的な方法があるよ?」
「……ぐんぐん豆乳丸よりも効果的な?」
「そう。女性の胸はね、揉むと大きくなるらしい」



美味くもない豆乳を態々毎日一パック欠かさず飲んでいるところを見ると、輝夜自身が認識しているよりも悩みが深い事は目に見えている。効果的な方法、その言葉に興味をそそられたのか、椅子を回して体ごと太宰の方へと向き直した。

太宰を一心に見上げながら、言葉を待つ輝夜。その様子を見れば、太宰より聞いた事柄を後に彼女は必ず実行しそうだとも思えるほど真面目に。太宰は一本指を立て、それで彼女の胸元を指差し、輝かんばかりの笑顔で言った。……揉むと良い、と。



「そうだなぁ、……今夜にでも私と試し」



次の瞬間、太宰は輝夜の視界から掻き消えるように宙を舞っていた。



「何を云うつもりだ太宰!」



何故なら国木田が、輝夜に伸ばされる太宰の腕を何処からともなく掴み投げ飛ばしたが為。見ればその顔は怒気からか羞恥からか僅かに赤く、額には青筋のようなものが浮き出ていた。



「国木田君も聴いて居たの?」
「あ。いや、それは……」



如何やら、国木田の反応を見るに、国木田も話を聞いてらしい。輝夜がきょろきょろと事務所内を見回せば、何人かが思った通り此方を見ていて、さっと目を逸らす。何時からかは正確には解らないが、与謝野との息抜きの世間話から今までを、皆が聞いていたと見て間違いないだろう。

胸部に対する劣等感を知られてしまったと僅かに頬を膨らませれば、右から伸びてきた指先に押され、空気は口内を飛び出す。いつの間にか復活していた太宰の手だ。それをまた叩き、輝夜は盗み聴きがバレた為か気まずそうに目を逸らす国木田に対し、小首を傾げて暫し迷いの沈黙の後、問いかけた。



「国木田君」
「はい。」


「……男の人は本当に小さくても好きになってくれる……?」



その場の時が一度凍った。……否、凍ったように止まったとでも云うべきか。誰一人として言葉を発さず、先刻そのきっかけとなった言葉を落とした彼女は何処までも真剣な面持ちを浮かべている。その墨の如く黒く濡れた瞳に吸い込まれそうな奇怪な感覚を味わった国木田は、何とか意識を取り戻し同意の意を彼が考えつく持てる言葉全てを使って伝えた。

実際、那代輝夜という少女は美しい。黒の長靴下に包まれた細長い足と短洋袴の間僅かに覗く白い素肌。白い長襯衣に隠されたこれまた細長い腕。夜より深い黒の瞳に長い髪。色香に満ちた大人びた面立ちに時折見せるあどけなさの残る表情。何をとっても芸術的なまでに美しい、その中で胸が少しばかり慎ましいなど些末な問題だ。それに、慎ましやかな胸は逆に全体的にも先の細い身体に相応、釣り合っているとも言えた。



「……国木田君。聞こえてる? おーい国木田君、聞こえてる?」
「はっ……!?」



太宰の声に国木田は我に返った。周りを見れば、いつも通り吹けば紙屑のように転がっていきそうな太宰の顔、にやりと笑んでいる与謝野の顔、ぽかんと呆けた輝夜の顔に、他の事務員達が何とも言えない表情を浮かべて国木田を見つめていた。今自分は何を口走っていた? と頭が思い出す前に、瞬間湯沸器よりもうんと早く国木田の顔は赤に青にと鮮やかに変わった。

もういっそ殺してくれ、と頭を抱える国木田を見て、誰もが同情の念を向けた。何とかしてやりな、という意味合いを含んだ与謝野の視線が輝夜に向いたので、少し迷った末、輝夜は其の肩に手を置き、名を呼んだ。



「ありがとう、嬉しいよ国木田君」
「っ……!」



非常に長ったらしく、云う本人が恥ずかしくはないのかと思うほどのべた褒めだったが、容姿も中身も褒められたことは素直に喜ぶべきだ。そう浮かべられた柔らかな微笑みに目を奪われた国木田は慌てて立ち上がり、仕事に戻る、と断りを入れた。そして、太宰の首根っこを掴み、引きずりながら自身の机へと戻っていった。何とか場の空気は元に戻り、一斉に手を止めていた事務員達も仕事を再開している。



「気にするこたァないよ。何より、輝夜の想い人は……」



何を言わんとするかを察したように、わたわたと慌てた輝夜は与謝野の言葉を遮ろうと、机に乗り上げて手を伸ばす。与謝野は子供を諭す母親のような優しげな笑みを浮かべて、机に乗り上げた輝夜の耳元に口元を寄せた。



「そんな些細な事を気にするような御仁じゃない、だろ?」

「……。」



与謝野を見て、輝夜は拗ねたようにしながらも小さくこくりと頷いた。胸の大きさを一々気にかけるような小さい男が相手なら妾がとっくに切り刻んでるよ、と言いあやすようにその頭をぽんぽんと、二度撫でた。

一応、与謝野のほうが輝夜よりは年下なのにも関わらず、やはり彼女は容姿相応に子供っぽい。もう少しこうして居るのも悪くなかったが、丁度依頼に出ていた乱歩が帰ってきた為彼女は乱歩の元へと行ってしまった。



「お疲れ様乱歩くん。おかえりなさい」
「うんただいま! 早速だけど一緒にこれやろうよ!」



乱歩が示すのは恐らく任務帰りに買ってきたのだろう駄菓子の新作と思わしき物。乱歩が歳の割に童顔の為か、与謝野よりも歳上の二人も仲睦まじい姉弟のようにも見える。探偵社ではよく見られる光景に、与謝野は頬杖をつきながら、ふ、と笑った。





彼女の些末な悩み

(小さい分抱き締めた時は近づける、のかな)
(何の話だ)
(酷く些末でどうでもいい悩みの話、みたいな)
(……そうか)





 

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