Bungo Stray Dogs

□膝上の猫の微睡み
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家の門前に掲げられた福沢という表札を指でなぞり、そっと音を立てないように引き戸を引いて中に入った。本当に小さな囁き声でお邪魔しますと断り、家主の了承も得ずに忍び足で廊下を進む。別に堂々としていればいいのだが、少し家主である男を驚かせてみたいという悪戯心。

木漏れ日の当たる縁側。風にのって仄かに鼻孔を満たすお日様の薫り。何年経っても変わること無い安らぎの場所、此処に来る度に安堵し思い出に目を細めてしまうのも、変わらない。

思った通り、見えた背中に嬉しい笑みを隠しきれていない。またそっ、と一歩近づけば柔らかそうな猫っ毛の銀髪が緩やかに動いた。



「……あ、」
「……。如何した」
「ううん、何でもないの。吃驚させようと悪戯したかっただけ」



失敗しちゃったけどね、と正しく悪戯のバレた子供が誤魔化すような無垢さの交じる笑顔を浮かべて、目前の銀髪の男、福沢に歩み寄る。どの道、来ている事は解っていたのだろうから、脅かしようがない。そう思いながら近くに寄れば、その膝には活字の並んだ本があった。読書中だったかと考えつつ、膝を抱えて福沢の隣でことりと横になった。

濡れたような美しい真黒な長い髪が、ばさりと縁側に広がる。それを揃えるように、福沢はそっと空いている手で、その髪を梳いた。



「ん、」



くすぐったいのか、小さな声を漏らしながら輝夜はもっとと強請るように、触れる福沢の手に頭をやんわりと押し付けた。福沢も慣れた手つきで、さらさらとした指通りの良い黒髪に指を絡めながら散らばった髪を元へと揃えていく。

猫と飼い主、そう表現しても相違ない。

目はただ一心に活字を追っていたが、隣に寝転ぶ猫から覗く黒の長靴下に包まれた白細い足に気づき、一度福沢は手を止めた。心地よい手が止まった事に、瞼を上げながら不思議そうに声を零す輝夜。



「福沢さん?」
「その格好では風邪を引く」
「……大丈夫なのに。」



福沢は自身の身に着けていた羽織を、膝を抱えて丸まっている輝夜の体にそっと掛けた。不満気に小さく頬を膨らませたが、直ぐに緩んだ笑みを浮かべてありがとう、と言う。ああ、とだけ福沢も他なら分からない程度に口角を上げた。

再び梳かれる髪に、温かな木漏れ日と昼寝をするには打って付けの気候、微睡みかけている彼女に福沢はその肩をそっと揺らした。



「寝るならちゃんとした所で休め。体を痛める」
「……うん、う……ん…………」
「……輝夜。……」



その言葉にのそりと上半身を起こした輝夜だったが、直ぐに眠気に意識を連れ去られガクンと抜けた力、腕の支えがなくなり、そのまま倒れこむところをやんわりと福沢は受け止めた。元より倒れこんできた先は福沢の足の上、仕方ないと本を退かし、自身の足を枕代わりに彼女の頭をのせる。

鍛え上げられた武人の腿は枕とするには固かったのか、ぴくりと眉を動かし身動いだ。それでも、鼻先を掠める慣れた薫りに縋るように福沢の着物の端を掴みながら、再び睡魔に連れられていった。



「……悪戯か」



起こさぬようにされど優しく頭を撫でる。愛しい者に対する慈愛に満ちた優しげな目を向けて、先刻眠る少女が笑顔とともに言った言葉を思い出し、福沢はふっと小さく笑った。そして、そっとその額にかかる黒い前髪を左右に払い、傷一つない真白な額に愛しげに唇を寄せた。

もう出会いから10年近くの時が経過しているというのに、その異能力の為に背丈も顔立ちも何一つ老いることのない、時間から切り離された女。これから先何年何十年と時間が経てども、それは変わらない。

それでも福沢にとって、何年も前からそしてこれからも愛しく思うこの気持ちは変わることはないのだと思う。二人を隠す木漏れ日の影は風に押されるように、さわりと優しく揺れた。





膝上の猫の微睡み

(輝夜、もう夕時だ)
(う、わあ……本当だ。寝過ぎちゃったなぁ)
(すまんな。起こす機会を見失った)
(此方こそ。あ、折角だからご飯作ってくよ)





 

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