万華鏡
□春風に舞う花びら
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桜の花びらが舞う。待ち焦がれていた入学式は思ったより呆気なくて、自分がもうこの学校の生徒だという実感が湧かない。でも目に見える景色は確かに見慣れない風景で、これからの学校生活に対する微かな期待や緊張で気が引き締まる。ピンク色に染まった校内をゆっくりと見渡しながら校門に向かって歩いて行った、その時だった。
「……?」
あの感覚に名前を付けるなら、春風。としか言いようが無い。感情や感覚を表す言葉では無いが、それ以上ピッタリな言葉など見付からなかったのだ。
桜の花びらに擽られ、鼻の先がツーンとする。あれ、鼻の穴に入っちゃった?心臓辺りが擽ったいんですけど。
辺り一面の木が風に揺れてざわざわと音を立てる。同時に、自分の心臓の脈動が音に同化して速くなってどうも落ち着かない。ざわめく、心。
思考が停止していたから風に当たった記憶はないけど、ざわめいたって事は実際風が吹いてたんだ。もしかしたら身体の感覚が感情にシンクロして錯覚でも起こしたのかもしれないが。まぁ、彼女の髪の毛が風に靡いていたから間違いないだろう。
その光景を目の前にした私の心に、微風が春を運んできた。
風が吹いて、風が吹いた。
「…カメラ」
無意識な行動だった。
なんとか、この景色を残したくて。忘れたくなくて。首に掛けていたカメラに手を置く。今にでもどこかへ消えてしまいそうな、儚い空気を纏った少女をレンズの中に閉じ込めた。
ピシャリとシャッター音が響く。
あ、しまった、これバレちゃう!そう思って顔を上げたら、やっぱりバレていた。驚いた顔でこっちを振り向いた女の子に私は思わず息を呑んでその場に佇んだ。
「いや、その」
これはね、けっしてストーカーとかパパラッチとか、そういうんじゃなくてですね?
「カメラ持ってる」
「うっ」
そりゃあ、怪しいことは充分承知している。この状況で疑わない方がどうかしている。どう言い訳すればいいのか一瞬迷ったが、やはりここは正直に話すしか無いって結論に至った。でも、正直に話したところで変人扱いは免れないだろう。綺麗だからつい撮ってしまいました、てへっ。…これだとある意味ストーカーより質が悪い。
「ねぇ、撮ってみてよ」
途端何を言われたのか分からなくなって、目を見開いて彼女の言葉を理解しようと考えを巡らせる。もしかして、彼女は私以上の変人なんだろうか。撮られるのが好き、みたいな?もっと撮っていいよ、みたいな?
「桜」
「あっ、はい」
で、ですよね。誤解してすみません。桜を撮ったら許してくれるのかな。よく分からないけどこっちに非がある以上大人しく従うしかない。
後ろに下がって私の撮影を見守る彼女に少しドキドキしながら、もう一度シャッターを切る。
撮った写真を確かめてみると、我ながら上手く撮れていた。いや、想像以上に上手く撮れていた。さっきまで自分の眼で見ていた景色のはずなのに。それとは比較にならないくらい綺麗だと思ってしまう程、写真の中の世界は美しかった。
「…上手く撮れたじゃん。名前訊いてもいい?」
「えっと…、北原、りえです」
後ろでカメラを除き見ていた彼女が唐突に質問を投げてきて、私は慌てながらも名前を伝えることができた。
「ふぅん。北原って言うんだ。北原はカメラ、趣味なの?」
「趣味だよ。でも関係職に就きたいとは思ってる、かな」
自然にタメ口で言う彼女に私も敬語をやめて頷く。
「そっか。じゃあさ、もしよかったらだけど指原と同じ部活入らない?」
あ、ちなみに私の名前、指原莉乃って言うんだ。と言って彼女は笑顔を浮かべる。
指原莉乃…。初めて聞く苗字に、可愛い名前。
しかし、普通盗撮犯にこんな軽々しく話し掛けるものだろうか。
…指原さん、私が何を撮っていたかは気付いてないんだ?
「あのー、無視ですかー?」
「ああっ、ちがっ、ちょっと別の事考えてて!」
「で、答えは?」
「うーん」
何の部活かにもよるよね…。てか何で部活の話になったの?
「私、映画監督目指してるの。北原とならいいものが撮れると思って」
彼女の言葉は確信に満ちていた。私もまた何の拒否感も無く納得する。何故か、異常なくらいその言葉に同調していた。初めて会う人なのに、この人とならきっといい物が撮れるだろうと思えた。
「興味あったら部活、映画研究部にしなよ」
もうこの時から私の気持ちは決まっていたのかもしれない。