空席の隣人

□人が人を必要とするのは必然である
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 すべての事の発端は、スクアーロがマーモンを探し始める三十分ほど前に遡る。自室にいたマーモンは、とある人物に相談を聞いてほしいと頼まれ、その部屋を訊ねたのである。紅葉のような可愛らしい手のひらを軽く握って拳にし、コンコンコンとマーモンはその部屋の扉を小気味良く三度叩く。すると間もなく扉が開き、とある人物がぬっと顔を出した。

「ごめんね、マーモン」

 とある人物ーーメルディーーはいかにも申し訳なさそうに言って、彼を自室へと招き入れた。メルディとマーモンがこうして直接対面するのは三ヶ月ぶりだ。なぜそこまでの間一度も顔を合わせなかった理由が、彼女の引きこもり癖のせいだということはわざわざ説明するまでもない。

 メルディはカウチソファーの上にサハラ砂漠にあるピラミッドのようにクッションを置いてマーモンを座らせ、小さなマグカップに缶飲料のレモネードを注ぎ淹れた。

「君が相談を持ちかけるだなんて珍しいね。で、一体、どんな相談なの?」

 マーモンはレモネードの入ったマグカップを両手で包み込むように持ちながら、メルディに気になっていたことを訊ねる。彼女は、先ほどの残りを普通サイズの飾りっ気のない白いマグカップに注ぎながら問いに答えた。心なしか、彼女の頬は不自然な赤みを帯びている。

「だいじだごどじゃないんだげ」

 彼女は言葉の途中で前触れもなく大きなくしゃみを続けて四、五回して、鼻水を垂らした。もちろん、マーモンにくしゃみで出た色々なものがかからないようにそっぽを向いたのだが。彼女は近くにあったティッシュボックスからティッシュペーパーを二、三枚引っ張り出して重ね、ズーッと汚い音を立てて鼻をかんだ。いくら自分の鼻水を使って粘写をするマーモンでも見ていて気持ちの良いものではない。彼女は鼻をかんだティッシュペーパーをテーブルの下にあったポリ袋に放り込む。マーモンがちらりと見たときには、既に使用済みのティッシュが溜まっていた。一日中ずっと、メルディはこんな調子だったのだろう。彼女の様子、否、症状を見ていてマーモンはわかった。彼女が自分にしたかった相談が一体どんなものなのかを。

「風邪、引いちゃったんだね」

 いつもとは比べ物にならないくらい通らない声。不自然な赤みを帯びた頬。止まらないくしゃみと鼻水。そんな数々の症状をまとめて引き起こすのは風邪しかないと彼は判断したのである。

「ゔん、ずっどごんながんじ」

 メルディの証言はこうだ。何となく体がだるい、重いと感じながらもイガイガとしたものが混入したかのように喉が痛んだため、いつもよりも早い時間ながらも体をベッドから起こした。その後、洗面台でうがいを二回してからいつも通りの行動をとったのだと。その結果、風邪の症状が悪化してしまったということらしい。

「季節の変わり目だからね、気をつけないとダメじゃないか。自分の体調くらい自分で管理してよ、だらしないなぁ」

「ごめん」

「謝るのは良いから、早くベッドで寝ることだね」

「ゔん、ぞゔなんだげど」

「寝ろ」

「ばい」

 メルディはふらふらとして不確実な足取りで寝室の方へ向かった。なんだ、とマーモンはため息を吐き、隊服の内ポケットから携帯端末を取り出す。そして彼は携帯端末のアドレス帳を弄り、『医療班班長』にタップしたが。

「…………切れた」

 通話ボタンを押そうとしたそのとき、タイミング悪くも携帯電話の電源が切れてしまった。携帯電話の残りの充電量を表すマークがあと一つだったことはわかってはいたが、今切れてしまうとは。マーモンはツイてないな、と零し扉のノブを回す。だが、マーモンのみで扉が開くはずがなかった。ベルやスクアーロが以前引っかかったように、内側から扉を開くためにはメルディの親指から小指までの五つの指の指紋がいる。その事実を知らないマーモンは首を傾げた。外から何らかの圧がかかっているのか、仕掛けがあるのか、それとも建て付けが悪いのかとマーモンは様々な仮説を立ててみるが、彼のみで解けるはずもない。悩みに悩んだマーモンは扉が開かぬ理由を訊ねに、メルディがいる寝室に向かうのだった。
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