空席の隣人

□仕事内容が引きこもってゲームをすることなわけがない
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 午前三時といえば誰もが寝静まるはずの夜遅く。かつては暗殺に出かける時間であったが、現在は諸事情があってヴァリアーには表向きではあるが無期限の活動停止処分が下されていた。その時刻、ヴァリアー城の廊下を歩く人間が二人いた。一人はトレーニングルームからの帰り。もう一人はお腹が空いたのか否か、食堂へ向かうところだった。二人の人間は、約三○メートル離れた場所でお互いの存在にぼんやりと気づいた。

「あらやだ! メルディちゃんじゃなぁーい! 元気にしてた? 何ヶ月ぶりかしらねぇ……。四ヶ月ぶりくらい?」

 口調はいかにもご近所にいそうなおばさま風だが、彼は生物学的には男に分類される。見るからに社交的そうな彼の名はルッスーリアと言い、自称『ヴァリアーのマンマ』。彼もまた、ベルフェゴールやマーモン、スクアーロと同じようにヴァリアーの幹部の一角を担う実力者である。

「うん、それなりに」

 ルッスーリアの元気か否かの問いかけに対して曖昧に答えたのは、珍しく部屋から出て来たメルディだ。ルッスーリアと会うのは約四ヶ月ぶりだが、彼女が部屋から出るのは約一ヶ月ぶりだった。彼女は約一ヶ月に一度、食料調達のために部屋から食堂へ足を運ぶのだ。実際には、部屋に届けて欲しい食料と個数を記した紙をシェフに提出するだけだが。そのため、今回の遭遇はお互いにとって思いもよらないものだった。

「私は今から談話室に行って紅茶でも飲もうと思ってるんだけど、メルディちゃんも一緒にどうかしら?」

「いいね。ルッスの淹れる紅茶、楽しみ」

「あらぁ、嬉しいこと言ってくれるじゃなーい! じゃ、行きましょ」

 ルッスーリアと廊下を歩きながら、メルディは心の内で舞い踊っていた。彼女はこの一ヶ月の間、お湯に溶かせば飲めるタイプのインスタントコーヒーばかり飲んでいたため、今度は紅茶にシフトチェンジしようかと思ったところだった。ちょうど、美味しい紅茶を淹れることが出来るルッスーリアに偶然出会ったため、美味しい紅茶の淹れ方を教えてもらおうそうしよう、というのがメルディの心の声である。











「そういえば、その白と青のボーダー柄のキャスケット素敵ね〜。あなたにとても良く似合ってるわよ! でも……うーん……。その色合いは今日どこかで見たような。どこでだったかしら……」

 ルッスーリアの発言に対して、メルディはドキリとしたように紅茶を飲む手を止めた。彼女は忘れていたのだ。今の今までキャスケットを被っていたことを。彼女は被っていたキャスケットを頭の上からサッと取り上げ、急いでテーブルの下に隠した。ルッスーリアがもう一度メルディを見たときには彼女の顔はもう熟れた林檎のように真っ赤で、片手で顔を隠していた。ルッスーリアの質問には特に深い意味はなく、ただ単に普段はおしゃれに興味などない彼女が帽子を被っていることを不思議に思っただけだった。ルッスーリア自身はほんの世間話のつもりでそのような質問をしただけだというのに、彼女はとても慌てていた。その様子を見ながら、ルッスーリアは思い出した。本日のベルフェゴールの長袖シャツのデザインが、白と青のボーダー柄のものだったということを。ルッスーリアはあら、と少し思ったのだが、メルディになぜそこまで恥ずかしがって慌てるのかを冷静に訊ねようとした。しかし。

「もう部屋に帰るねルッスーリア。わ、私、もう、眠いし。えーと……おやすみ。 またね。それから紅茶ありがとう。とっても美味しかった! です!」

 メルディは矢継ぎ早に、それも少し裏返った声で言い捨て、膝の上に置いていたキャスケットをぎゅっと握り締めて自分の出せる全速力で食堂を出て行った。食堂に一人残されたルッスーリアはメルディに尻尾を巻いて逃げられたのにも関わらず、「おやすみなさーい。転ばないようにねー!」という、彼女を気遣ういかにも大人な言葉をかけたのだった。
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