Novel

□エピローグ SHINside
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「こちらのVIPルームへどうぞ」
見目の良いウエイターが奥の部屋へと案内してくれる。
モルドーで最も格式高いレストランの一室で。今夜俺はオヤジと会う約束をしていた。

俺がまだ幼かった時に、この店の前まで何度か連れて来られた記憶が僅かにある。俺は店の中へオヤジを迎えに行くことは許されたが、ウルであった母は入店を許されなかった。当時の俺にはその意味がわからず、母が行かないならと、カイ叔父さんとオヤジの会食が終わるまで、母と外に停めた馬車の中で待っていた。
店から出てきたオヤジは悲しそうな顔をしてから母と俺を抱き締め、母に「君の料理の方が美味しいよ」と笑って見せた。
オヤジの肩越しに見える眩い装飾の店が途端に陳腐に見えて、早く家に帰って三人で、母さんの料理を食べたいと思っていた。
遠い、幼い思い出だ。


「き、緊張する…ごほごほっ」
メニューに目を通していると●●が咳き込む。見れば手元の食前酒グラスは既に空になっていた。
ガチガチに緊張しているが、少し酔いが回れば解れるだろう。
幸い良質で軽めの酒も多種用意されている店のようだ。

「ワインでも飲むか?」
「…」
返事がない。
「おい!」
「へ?あ…いや緊張しちゃって。それに住む世界が違って…」
さっきからロクに俺と目を合わせようとせず、キョロキョロしたり溜息をついたりと落ち着かない様子だった。

「コラ」
「ひえっ!」
銃を取り出す。
「それ以上ガタガタ抜かしたら知らないからな」
「…シンさん」
「海の藻くずにするぞ」
●●は目を丸くして俺を見た。

「ふふっ」
「何がおかしい」
「不思議だなぁって。シンさんのその言葉、出会った頃は怖かったのに、今じゃ安心する魔法の言葉みたい」
●●はふわりと微笑む。

「そのドレス、すげー似合ってるよ」
銃をしまいながら、言う。
「ほ、ほんとですか?ファジーさんにもらった青いドレス…」
「俺の言うことが信じられないのか?」
「そういうわけじゃないんですけどっ…まさかシンさんがそんなこと言ってくれるなんて」
「何回も言わせるんじゃねーよ」
「わたし、自分が見劣りしてるんじゃないかって不安で…こんなドレス着なれてないし、こんな高級なお店も入ったことないしっ」

「バカかお前は」
「へ?あ…あの…」
「お前が綺麗じゃなきゃ、他のどの女が綺麗なんだ」
●●の俯く瞳を上げさせようと思わず言った後、ガラにもないセリフに頬が熱を持つ。
俺は●●から顔を逸らせた。

「シンさん?あの…どうしました?」
「…自分で言ってテレた」

はぁ…
どっからどうみてもコレは浮かれた馬鹿カップルだろう。
甘ったるいものが俺の脳内を絶賛浸食中だった。
どうやら俺も、
少し浮かれているらしい。


ぎゅっ

突然テーブルの下で小さく柔らかい手が俺の手を握る。
「ありがとうシンさん!なんだか自信湧いてきました!」
「フン…単純だな」
愛しい手を握り返す。

ノックが響き、ウエイターが部屋へ入ってくる。
●●はつないだ手を引っ込めようとしたが、俺がそれを赦さず、強く握り直した。
「お飲み物はどうなさいますか?」
「そうだな…ルウム地方の古い赤ワインはあるか?」
「御座います。そちらはウルの伝統的なワインで最近になって解禁されました。あの…失礼ですが、貴方はウルの方ですか?」
「俺は半分がモルドーで半分がウルの人間だ」
「やはりそうですか。僕はウルの人間なんです」
漆黒の瞳に整った顔立ち。確かにウルの特徴を顕著に表した容貌だ。

「ソムリエとしての勉強のため、こちらで働かせていただいてます。以前はこんな一流の店でウルが働くことは不可能でしたが、ダン総督が政治を変えてくださったんです」
ふと新たな記憶が蘇る。あの時俺と母を抱き締めたオヤジの手は僅かに震えており、滅多に怒ることの無かったオヤジのその静かな怒りの感情に、俺は驚いたんだ。

「そうか…そんなにモルドーの政治は変わったのか」
「はい。急速に変わりました。ウルの人間は皆、ダン総督に感謝しています。あ、長々とすみません。すぐお飲み物お持ちします。とびきりお食事に合うものを!失礼致しました」
男は生き生きした表情で深く頭を下げてから出て行った。


「オヤジは…人生をかけてウルの為に戦ってるんだな」
「うん」
テーブルの下でつないだままの手に、どちらともなく力がこもる。




「やあ、シン」
カツカツという勢いのある足音と共に、オヤジは部屋へと入ってきた。
部屋に入るなり●●の側で立ち止まる。
「●●さん、シンの手紙で貴女の事を知りました。お会いできて光栄です」
握手の為に手を差し伸べる。
●●は慌てて立ち上がり、オヤジの手を両手で握る。
レディらしからぬ仕草だが、それが●●らしくて思わず笑みが零れた。

「●●さんは赤ワインは苦手ですか?」
ぼーっと手が止まってる●●にオヤジは声をかけた。
「いえっ!の、のみますっ!…ご、ごほごほっ」
「ったく…無理して飲むからだろ」
「す、すいません!」
「オヤジ…見ての通り、コイツはちょっとアホなんだ」
●●が涙目で目を見開き俺の顔を見る。
『ヒドイ』とでも言いたげだ。
だがその口元は吹いた赤ワインで真っ赤に染まっていた。

「ぷっ…お前、吸血鬼みたいになってるぞ」
ナプキンを手に取り、●●の口元を拭いてやる。
「じ、自分で拭けますから!」
「いーからじっとしてろ」
「やだ!マヌケだとおもわれちゃうじゃないですかっ」
「そんなのとっくにバレてるぞ」
「バレてないもん…」
「お前がマヌケじゃなきゃ他の誰がマヌケだというんだ?」
「わっ!それさっき感動したセリフなのにひどい…」
「フン。馬鹿か。マヌケなのがいーんだろ」
オヤジは笑顔で俺達を見つめている。


照れ臭い気分になって、俺は咳払いして話題を変えた。
「だけど良かったのか?俺達と食事して。海賊が総督の息子だってバレたらまずいだろ」
「シリウス海賊団は一般人に迷惑はかけないだろう。私はシリウスの行為は海賊行為に当たらないと思っている」
きれいごとで誤魔化すつもりはない。
俺は海賊になった。
後悔など無いが、安易に引き返すことは出来ない道だ。

「シン。私はずっとお前を誇りに思っている。それはシリウスに乗った今も変わらない」
オヤジが真っ直ぐに俺を見た。
「すまない。そういった想いをもっと伝える努力をすべきだった」
オヤジは頭を下げた。

「母さんへの手紙を読んだよ。俺が父さんを誤解していたことがよく解った。父さんは家族を捨てたんじゃない。母さんの一族であるウルを救うために必死だったんだって」
俺は持ってきたスーツケースをテーブルに置いた。

「これはウルの王族が残した宝だ」
「ウルの王族が?!」
オヤジは驚いた顔を見せる。
ドクロ島での話をする。

オヤジは目を瞑り、真剣に俺の話に耳を傾けた。

「この宝でウルの人たちを救ってほしい」
「シン」
「この宝はそのためのものだ。父さんならそれが出来るだろ?」
「シン…お前も一緒にモルドーの政治を変えていかないか?」
オヤジの紅い瞳は強い輝きを持って俺を写している。

「私はウルのひとたちのために人生を捧げる覚悟だ。彼らに選挙権を与え、真の平等を達成したいと思ってる。ウルとモルドーの和解が成立した時こそ、この国はもっと豊かになれる。その為にやるべき仕事は山積みだ。シン…モルドーに残って私に力を貸してくれないか?お前が居てくれれば心強い」

「少し…考えさせてくれないか」
「わかった。モルドーにはいつまで滞在する予定だ?」
「5日間だ。その間にルウム地方に行こうと思ってる」
「ルウム…母さんの生まれた村だな」
「ああ。シスターも顔を出せってうるさいからな」
「私の分も宜しく伝えてくれ」

「ごほごほっ」
「ったく。のめねーなら飲むな」
「だ、だって美味しいし…」
「また口の周りついてるぞ」
「え?!やだ!シンさんとお父さんの良い雰囲気を邪魔しないように気を付けて飲んでたのに!」
「ハハッ」
目の前のオヤジから明るい笑い声が聴こえる。
「すまない。笑ってしまって。いや、面白いお嬢さんだ」
オヤジは目を細め、穏やかに笑う。
「昔この店によく来ていた頃は味なんて覚えてなかったが、こんなに美味かったんだな…シン、もっと早くお前とこうして食事が出来れば良かった」
そう言う声が、少し震えていた。



良質の酒と美味い食事。時間はあっという間に過ぎ、オヤジの迎えの馬車が到着する。
「本当にうちに泊まらないのか?」
「ああ。やめておく」
「そうか。もっとゆっくり話が出来るといいんだが、すまないな」
「今日も無理して時間作ってくれたんだろ」
「あ、シン。すまないが手袋を店に置いてきたようだ。取りに行ってくれないか?」
「?ああ」
●●とオヤジを残して俺はその場を離れた。






幻想的な漁船の灯りが夜の海に彩りを与えている。
それをぼんやり見つめていると、隣にいる●●が熱っぽく俺を見た後、赤ワインを口に含んだ。
「ごほごほ!」
「飲めねーのにまだ飲んでるのか?」
「すごく美味しいですよ!このワイン一口めが濃厚でむせちゃいますけど癖になるっていうか…あ!まるでシンさんみたいです」
「ったく。口説くな」
「へ?」
「俺を口説いてどうする気だ?」
「ど!どうするってそんなんじゃっ!」
「どうかしたいのは俺の方だ」
ふっと笑みを浮かべて腰を引き寄せると、●●は酒に酔った顔をますます紅く染めた。

「さっきオヤジと何話してたんだ?」
「えっと、秘密です」
「おい、俺に隠し事ができると思うな」
●●の頬をスッと撫でると、ビクリと小さく反応する。
「っ…シンさんのこと頼むって…」
「そうか」
「はい!どーんと任せてくださいって言いました!私はシンさんの事に関しては誰よりも自信があるんですよ。そりゃあもう私以上にシンさんが大好きな人間はいないって思ってて」
一人前に酔っているのか●●は饒舌だ。


「…もし俺がモルドーに残ってオヤジの仕事を手伝うと言ったら…お前はどうする?」
「言ったでしょう。私は一生シンさんについていく覚悟だって」
「ヤマトに帰らなくていいのか?」
「私の旅はまだ終わってません」
「●●…」
「もちろん家族のことを考えない日はないけど…でも、シンさんの居るところが私の居場所です!」
「俺はヤマトに行ってお前の家族に挨拶したいと思ってる。でも今は…」
迷っている。
信念を持ったオヤジの姿と、急速に変わるモルドー。
俺も何かをしなくてはならない。

「私の存在がシンさんを悩ませてるの?」
「いいや違う」
俺はぎゅっと●●を抱き締めた。

「何回も言わすんじゃねー…俺にはお前が必要なんだよ」
折れそうなほどに抱き締める。
両手でその頬を挟み、顔を俺へと向けさせて瞳を覗き込む。

「今、何を考えてるんだ?」
「シンさんが大好きだよって考えてる」
澄んだ瞳に俺だけが映る。この腕に抱えるものはたった一つ、迷いもない。
抱えて進む先が何処だとしても、コイツは文句も言わず笑顔で側にいてくれるんだろう。

「ったく、これ以上好きにさせる気か?」
「…シンさん」
「毎日毎日、どんどんおまえの事が好きになっていく」
「私もシンさんと離れるなんて考えられない」


●●の前髪を掻き上げ、その額にキスを落とす。
「必ず、●●を幸せにする。だから一生ついてきてくれ」





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