Novel

□curse呪いの街
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「…シン。シン、起きて」
目覚めると、目の前にはひどく懐かしい顔があった。

細くて白い指が俺の頬を撫でる。
柔らかく温かい感触が幼い記憶を鮮明に呼び起こす。

「…おふ…くろ?」
「よく眠っていたわね。お腹は空いてる?食事の用意が出来てるわよ」
どうしてここにいるんだ、これは夢か、と訊こうとして、俺の唇はひとりでにセリフを吐いた。
「料理…?オフクロ、身体の具合はもういいのか?」
「ええ。病がすっかり良くなったみたいに調子がいいの」
透き通るほど白い肌には健康的な赤みがさしている。
物心ついた頃には見た事がなかった、オフクロの元気な姿だ。

ベッドから身体を起しオフクロの後をついて行く。
この家はかなり昔、僅かな間住んでいた家だ。
ふと窓ガラスに映った自分を見ると、少年の姿になっている。

やはり、夢…?

ダイニングへ行くと更に不思議な人物が座っていた。
「シン。よく眠れたか?」
「…オヤジ…」

ありえない。
こんな光景は…。

「学校はどうだ?今日はどんなことがあった?」
「どうして、ここに?」
「休暇が取れたからしばらくは居られる。また戻らなければならないが、それまではお前と母さんとゆっくりしたいと思ってな」
「この間の学校の試験でシンは一番だったんですって。大人になったら海軍の試験を受けるのよね。シンはあなたに似て聡明だから、きっと叶うわ」
オフクロが嬉しそうに笑った。

「そうか、海軍か。たのもしいな」
オヤジは俺の頭をがしがしと撫でた。
テーブルに並んだオフクロの手料理。
元気なオフクロの笑顔と、オヤジのあたたかい手。
全てが肌に心に、現実感を伴って痛いほどに染み込む。

何だこれは…。

嘘の世界に決まっている。

どれだけ温もりを求めても、これは俺が望み手に入れられなかった過去。
俺のオフクロはずっと病弱で、オヤジはずっと仕事ばかりで側にいなかった。

こんな世界は、ありえねーんだ。

なのにどうして、こんなに涙が溢れそうになるんだ。

どうしてこんなに…
心地良いと思ってしまう?

今更俺はまだ、心のどこかで求めているというのか?
永遠に手に入れることの出来ない、幼き日を。

戸惑いとぬくもりがリアルに身体の中を埋めていく。
幻から目覚めなければという意志と反して身体は身動きが取れない。

「シン。今日はずっと三人でたくさん話をしましょうね。」
オフクロの健やかな笑顔が、眩しい。
「そうだな。時間はたくさんある。私が経験した海での不思議な話をしてやろう」
オヤジの大きな手が俺の肩に触れた。
「シンならきっと立派に海軍で活躍する男になれるだろう」

このまま…ここにいる?

海軍…?

そう、俺はかつて《エリート》である海軍を目指していた。
混血と馬鹿にしたヤツらを見返すために。

広い世界を経験するために。
寝たきりのオフクロに、世界の果ての話を聞かせるために。

だが結局オフクロは死に、オヤジに復讐を誓った俺は帝国を憎み、海賊になった。

俺がずっと望んでいたもの―――


違う。
この世界は違うんだ。

亡くなったオフクロは俺が望む道に進むことをいつでも願っていた人だった。
オヤジもシリウスを認めてくれている。
海賊になったキッカケは誤ったものだったが、俺は現実(いま)を誇りに思っている。

憧憬に惑わされるなんて俺らしくもない――


「俺はシリウス海賊団のシンだ。今の自分に微塵も後悔なんてしてねーよ」

そう叫ぶと、今度は暗転して目の前に●●が現れる。
少年でもネコでもない、いつもの俺だ。

「ふふっ。シンさんが海賊ってことはよく知ってますよ」

戻ったのか…?

「遠い過去の夢を見ていたようだ…」
夢だと知りながら、幼い頃に切望したものを突き付けられ、心地よさに心は揺れた。
とっくに諦めたはずのものを未練がましく。

彼女の身体を抱き寄せる。
「シンさん?!」
「少しだけ…こうさせろ」
「だ、ダメですよ…ええとあのっ…」
彼女がぐいと腕を伸ばして、俺を拒んだ。

「私はロイ船長の恋人ですからっ!」
「…何の冗談だ?」
「冗談なんかじゃないですっ。シンさんとこんなことするわけにはいかないんですっ」
「いい加減にしないと怒るぞ」

顎を持ち上げて唇を重ねようとすると、
「やめてくださいっ!」
●●はどんっと俺の胸を押し戻した。
その瞳は、本気で拒絶の色を浮かべている。

やはり、これもまた…夢なのか?

だが夢だろうと、コイツが俺を拒絶するなんてありえない。
「調教のし直しが必要なようだな」
腰に腕を回し、引き寄せる。
「それ以上したら…撃ちますっ」
不意に胸に固いものが当たり、見れば●●が震える手で銃を構えている。

銃口は心臓のすぐ横に向けられていた。
その肌のぬくもりも感触も、夢とは思えない、いつも通りの柔らかさだ。

全員鏡に吸い込まれたから、記憶が変えられているのか…

それとも目の前の●●自体が幻想の産物なのか。

この鏡の中の世界がこれほどの現実感を伴うものだというならば、撃たれれば血が流れ、俺は息絶えるのかもしれない―――

「シンさんは他の女性を探して下さい!グラマーでセクシーな人なら港町にいっぱいいますし!」
「本気で言ってるのか?」
「本気です。じゃなきゃ銃なんて向けられませんっ…!私はシンさんなんて好きじゃないんです。ロイ船長が好きなんです!」
俺が黙り込むと彼女は怪訝そうな顔をした。

「ど、どうしたんですか?」
「お前の意見なんて聞いてねーんだよ」
「え…?」
「撃つならとっとと撃て。お前には銃の撃ち方も教えてやったことがあるだろう?心臓はこっちだ」
「…っ」
銃口をずらして心臓へ導いてやると、唇を噛んで震える手で彼女は躊躇いを覗かせた。
撃つという強い瞳を見せながらも、戸惑う姿はいつものバカでマヌケで愛しい女にみえる。

「…う、撃ちますよっ。ほんとにそれ以上…ち、近づいたら…あっ」
心臓にあたる銃口を更にぐっと胸にめり込ませたまま、俺は彼女に顔を近づける。

ここが鏡の中だろうと、夢だろうと現実だろうと―――コイツが俺を好きじゃないと言おうと、

「キスを奪う代償が命だったとしても…俺の答えはひとつだ」

コイツを他のヤツのものになんかさせねー。

誤解から憎しみを生み、くだらない執念のために生きてきた。
そんな俺が今の自分に誇りを持てるようになったのは彼女に出会えたからだ。
コイツなしでは今の俺は存在しない。

「俺にはお前が必要だ」
「…んっ!」
強引に唇をこじ開けて、深いキスを交わす。

感触も香りも全て、いつも通りの…俺の女だ。

ズキュゥぅぅぅン

銃声と共に心臓に焼けるような痛みが走り、目の前が真っ白に変わる。
このまま存在ごと鏡に呑み込まれるのかもしれない。

だが例え存在が滅びようともこの手がちぎれようとも―――手放したりなんかしない。
海賊として誇りを持ち、彼女と未来を共に生きると俺は決めた。

遠のく意識のなかで、俺は彼女の腕を固く掴み続けた。


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