Novel

□シリウス国の家庭教師とプリンセス
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強張った表情のままの王女とシンは書庫へと入り、淡々と試験対策問題を解いていた。
二人に余分な会話は無く、ただ静寂のなかに数式や歴史の単語だけが音声として響いている。


コンコンコンコン

ノックが響き、兵士が顔を覗かせシンにメモを見せると、シンは一瞬ハッとした顔になる。
何か起こったのかと王女は慌てたが、シンはすぐに戻るので王女に気にせず問題に集中するように言い、書庫を出て行った。






リース国王宮の特別室にシンは脚を踏み入れていた。
そこには凍るような眼を携え漆黒の軍服に身を纏った、ハヤテと剣を交えていた、かのモルドー帝国軍の男が、居た。

「俺が分かるようだな」

男は椅子から立ち上がり、低く透る声をシンへと掛けた。

その場には、リース王リオンとその隣に妙齢の女性、おそらくリオンの母でリース皇后が豪奢な椅子に腰かけていた。
心なしかリオンの手が震えているのをシンは見止めた。

「…こちらは私の母です。そしてこちらは、モルドー帝国軍最高指揮官のカイ元首です」

リオンは震えそうな声を抑え、冷静にシンに紹介する。

「私とリース皇后は世界平和の為に懇意にしている。シン、お前を呼んだのには理由がある」

カイはシンの名を呼ぶことで、王族でもなく近衛兵でもなく、この家庭教師を指名したことを改めて告げた。

先ほどの兵士にシンに客人だと言われこの部屋まで案内された。良からぬ相手だろうと思ってはいたが、まさかこの男自らがリース国まで乗り込んでくるとは思わなかった。せいぜい帝国の遣いの者だろうくらいに思っていた。
シンは一瞬驚いたが、起こった事態に対処すべく冷静さを取り戻す。

「レギオ、リース、モルドー。長年三国はずっと均衡状態を保ってきた。時に争い、時に和平を結び。お前は三国に纏わる伝説を知っているか?」

「…ティアラだろう」

シンは答える。

「そうだ。ずっと行方がわからずいたが、下衆な盗賊がシリウスへと持ち込んだ件のティアラだ。遠い昔に滅んだドクロ島に巣食っていた民族が造った珠玉の宝だ。手にしたものは三国、いや世界を統べる」

「フン。伝説とやらに随分ご執心のようだな。ドクロ島は今でも帝国に厳重に管理されているはずだ。だが何も手にできてないということは、島だけでもティアラだけでも何かが足りず、そのままでは宝の持ち腐れだってことだろう」

「…ああ。やはりお前は素晴らしい。そこまで辿りついているのか。ティアラは我がモルドーが手にしてこそ価値があると思わないか?」

「思わないな。あれは腐った狂犬共が手にして良い宝じゃない。それこそ身に余る代物だ」

「お前には相応しいと言うのか?」

「俺は…俺にも相応しいとは思わない。シリウスに持ち込んだ盗賊ってのは馬鹿じゃない野郎だったってことだ。それを置くべき場所を分かっていた」

「フッ、あんな生ぬるいマヌケ国に置くことこそ持ち腐れだ」

「いい加減本題に入ったらどうだ。俺は暇じゃない。シリウスの王女様の学力を上げるという、とんでもなく過酷な仕事を受け持ってるんだ」

「ならば言おう。シン。お前はティアラを持ってモルドー帝国へ来い」

「…っ」

予想はしていたが、面と向かって言葉を受けると、それはシンにとって選択の余地などない事に思えた。

「俺にシリウス国を裏切れということか」

「そもそもお前はシリウス国民ではないのだろう?大した事じゃない。お前が勝手にモルドーへ乗り込んでくるか、私が招待してやるか。その違いだ。もしお前が私と敵対すると言うならば、さほど興味もないが国賓室にいるシリウス王族達にも手を伸ばさぬわけにはいかないだろうがな」

「…陽が昇るまで待ってくれ」

シンは感情を込めずに答えた。

「ああ。私は寛大で気が長い方だ。別室で待たせてもらおう。別れの挨拶なりなんなりするといい」

そう言って堂々と部屋を出ていく。その後姿を、皇后はうっとりした様子で眺めてから付いて行った。



(食えない男だ)

シンは心から思った。
自分の行動はおそらく終始見張られているだろう事にも気付いていた。

(リース国の皇后が強引な手で我が息子を玉座に付けたという話は聞いたが、あの様子ではモルドー元首が一枚噛んでいるな。リース国民は誇り高いことで有名だが、国を売って帝国に尻尾を振る女が出てきたとは…リース国はとんだ女を皇后にしたようだな)

「先生。申し訳ありません…言い訳にしかなりませんが、僕は本当に知らなかったのです。母が帝国の元首とこれほどまで親しくしていたとは…。帝国と争いが起きることは望んでいませんが、僕は本当にあなた方を助けたいと思ってるんです。でも僕はっ…僕はお飾りの王だって…わかって…いて…」

リオンは俯き肩を震わせた。
己の不甲斐なさを悔いているのだろう。


「フン。ガキが生意気いうんじゃねーよ」

「え?」

「お前に責任はないって言ってるんだ」

「…シン先生」

「言っておくが俺はお前の先生じゃねえ。ここに来たのは俺の判断だ。だから俺が責任をとるのは当然のことだ」

年相応に落ち込むリオンを見て、シンはつい素が出てしまっていた。

「シンさん…」

「一人前にシリウス王女に求婚したくらいなんだ。お飾りじゃないってことを見せてくれるんだろうな?」

「…はいっ」

透き通るような瞳で見上げて頷くリオンに、シンはやはりシリウス国で療養中の弟分の姿を思った。

「変なことを聞くが、お前…兄弟はいるのか?」

「ええ。兄が一人いるはずなんです」

「はず、とは?」

「名は知りません。まだ赤ん坊の頃、別の国へ移されたと聞きました。正妻だった母が他の女性の産んだ子を赦さなかったといいます。それがシリウス国ではないかと知りました。だから僕は余計に…シリウス国との繋がりが欲しいんです」

「そうか」

シンはそれ以上何も言わなかった。

「シンさんは、彼女たちを…シリウス国を裏切るんですか?」

リオンの質問にシンはふっと笑みを浮かべてから、ゆっくりと口をひらいた。

「ひとつ頼みがある」









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