Novel

□シリウス国の家庭教師とプリンセス
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「馬鹿か、俺は」
眩い輝きを放つ星を見上げながら一人、シンは自虐的に呟く。

シンが放った言葉によって、王女は瞳に涙を溜め、それを悟られまいと「シン先生もお風邪召されませんよう」とだけ精一杯の微笑みを作って去って行った。


帝国の試験が終わればもう教えるつもりはない、と。
今ここで敢えて言う必要などない。
それでも言葉にせずにいられなかったのは何故なのか。

(これまで色んな想いをして情報を集めてきたじゃねえか。ティアラは今この船にあり、上手く立ち回れば我が物にする事は可能だ。何を今更シリウスを出る事を躊躇う必要がある)


「おい」
低い声に背後から呼ばれ、シンが振り返るとぬっと大きな人影が近づいてくる。
近衛兵のナギだった。
一目でわかるほど、酷く怒りを纏わせていた。
普段のナギを知る人間からすれば、彼がこれほど感情を露わにすることは珍しいと感じるだろう。シンは怒りの矛先が自分であるということをすぐに理解した。

「何をした?」
ナギは唸るように凄んだ。
「何もしてねえよ。警戒する気持ちもわかるが、俺は一応シリウスの人間だ。無事に連れ帰ってこその褒美だろ。心配しなくても王族様一行を国まで連れて帰る協力は惜しまないつもりだ」
シンはため息交じりにナギを見た。
「王女を傷つけるな」
ナギの声は一層低くなる。

(ああ。やはりそういうことか)

直情的に感情を出せる近衛兵をシンは捻くれた自分と比較して、少しうらやましく思った。
それゆえの、嫌味のつもりで、
「あれくらいの言葉で傷つくほど、あの王女は俺にご執心らしいな」
言い終わらないうちにナギの太い腕がシンの胸倉をつかむ。
「舐めた真似をすればタダじゃおかねえって言っておいたはずだ」
鋭い視線がシンの瞳の奥をさす。
「そうだな。…迂闊だった。初心なガキに惚れられても面倒にしかならねーのはわかってたはずなのに失敗した」

バキッ
ナギの拳がシンの頬へ入る。

「それは本心か?」
近衛兵は家庭教師の冷えた瞳に獰猛なそれをぶつける。

「…気がすんだか?」
シンは切れた口の端の血を拭い、さらに凍らせた視線をナギへ送った。

「ったく、さすがシリウス精鋭近衛兵長は手加減なしだな。お前に殴られる筋合いはねーはずだが、料理の礼として目を瞑ってやる」
物心ついてから誰かに殴らせた事など一度も無かったシンだが、近衛兵の一撃を避けなかった。避ける気分ではなかった、というのが正しい。
冷静だったつもりのシンもナギの怒りに触発されたのか、冷えているはずの瞳にギラギラとした感情が灯り始める。

「気持ちに気付いておいて、何故泣かせた?あんな顔…っ、見たこと、ねえ…」
「なら受け入れろと言うのか?俺は…どこかの王族でも何でもない、ただの家庭教師だって言っただろう!」
思わずシンも声を荒げた。

「…うまくやれば良かったんじゃねえのか」
しばらくの沈黙の後、ナギが絞り出すように言った。
「お前こそ、それは近衛兵としての務めか?それとも男としての嫉妬か?」
「…っ」
今度はナギが黙り込む。
その態度は、後者だと答えているようなものだった。

「問題ねーよ。俺には目的がある。家庭教師の仕事を終えて報酬を受け取れば、いずれシリウス国から出るつもりだった」

シンはティアラが手に入れば、以前から調べあげていた島へと向かう予定だった。そこは高い文化を持っていた母の祖国が滅びた地であり、今もなお帝国の支配地にある。入り込むことさえ命を賭けねば難しいほど厳重に管理されている場所だった。

唯一シンの手元に残っている父の筆跡の手紙には母の出自が重要なカギであるように思えた。だからどうしてもシンは其処に行かねばならなかった。
何故父が俺と母を捨てたのか。今はどこに居るのか。生きているのか。
父と母が家族という形を失ってまで守ろうとしたものは何なのか。

「お前がどこへ行こうと興味はねえ。ただ…彼女に涙は似合わねえ…。嫉妬からの醜い申し出だって事も理解している。だがそれを承知で言う。受け入れるのか拒絶するのかハッキリしろ。惑わすな」
「わかっている」
「わかってんなら、頼む」
ナギの言葉にシンは驚いたように顔をあげたが、その表情を見ることもなくナギは立ち去って行った。


「好き勝手いいやがって…」
残されたシンはまた、一人呟いて、操舵輪を握る手に力を込めた。








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