Novel

□シリウス国の家庭教師とプリンセス
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「う…ごほっ」
リカーの大船が連なる港の端に置かれた小舟の上で王女は息を吹き返した。

「目が覚めましたか?」
真横にはずぶ濡れのシンが腰を下ろし、王女を見降ろしていた。
「シン先生…どうしてここに…っあ!ティアラはっ…」
「急に起き上がるのは危険です。しばらく横になっていなさい。」
身体を起こそうとした王女の肩をシンはやんわりと押し留めた。

「す、すみませんっ!先生がティアラを受け取ってくれるからとばかり思って…必死であれしか思いつかなくって…」
「あんな投げ方をすれば今頃装飾は酷い状態になっているでしょうね」
「う…」
王女が青ざめるとシンは軽くため息をついた。

シンは不機嫌だった。
ずぶ濡れになったからでも、王女がティアラを投げて奪われたからでもない。
自分を不機嫌にさせている理由に、王女に柔らかく話しかける事で彼自身は気付いていないフリをしている。

「あのケースはモルドー製だ」
「え?」
「皮肉な事だがモルドーのガラス加工技術は他国の比じゃない程頑丈だ。それにウル国の芸術品は世界一を誇る。まして大事なティアラだ。容易く壊れるように作られてはいない」
王女がケースを投げたことはシンにとって想定外だったが、結果的に海に落ちるよりはティアラを守ることになったのだった。

「シン先生。どうしてティアラじゃなくて私を助けてくださったんですか?」
「…」
シンの不機嫌さがティアラの扱いのせいではないと教えられた王女は、この麗しい家庭教師の眉間のシワがとれない事を心配していた。

「私がティアラを優先させる人間に見えたようですね」
シンは低く棘のある口調で言う。
「それは…そんなことは…ご、ごめんなさい」
王女は身をすくめた。
「別に間違っていませんよ。目の前で王女が海に落ちようとしていて助けなければ後々私が咎められますから。私は私の都合で助けたまでです」
シンは自分に言い聞かせるように答えた。

「…っ本当にすみません。私のせいでティアラを手放してしまって…」
「今頃リカーの馬鹿王の手中でしょうね。…いや馬鹿王が持っているだけなら…まだ可能性はある」

シンが視線を送った先のリカーの船上でドーンっと再び爆発音が起き、歓声が上がる。
そこにはシリウス国とリカー、そして新たに参戦した帝国軍が入り乱れていた。
「どうしましょう!?お母様と弟が!」
王女が勢いよく立ちあがると小舟が揺れる。
「問題ない。あそこにシリウスの近衛兵が見えます」
王妃と王子が捉えられている船の脇を一緒に捕縛されていた兵たちが縄を抜けて集まってきていた。
その中心にはナギの姿があった。

「ナギ!大人しく捉えられているようなヤツじゃねえと思ってたぞ」
リュウガが剣を振るいながら、ナギ達が王妃と王子を救いだす様を見つめる。
「…油断したツケは取り返す」
「ナギさん…!」
王女が期待を込めた顔で凛々しい近衛兵の姿を見つめる。シンは少しばかり面白くない気分で王女を眺めた。
それから持っていた銃弾を近衛兵が守っている王族達の乗った駕籠の端に撃ち込む。
ナギの視線は一瞬、シンと王女へと向いた。
(これ以上此処で戦闘を続けるのは不利だ。脱出経路を確保する必要がある。あの男がマヌケでなければ俺の行動を注視し、その意図を読めるはずだ)
シンは王女の肩を抱き、ロイの元へと足を運んだ。


「おお!真珠ちゃん!海に落ちた時はどうなるかと心配したぞ!オレが助けてやりたかったんだがそこの眼帯に邪魔されてな」
王女とシンが戻ると、ロイは調子よく近づいてきた。
「王女の召物もこんな状態です。着替えと休む場所を用意できないですか?」
シンがにこやかにロイに言うと、
「な、なにを企んでる眼帯!もうお前の本性はわかってるんだからな!」
「なら話が早い。大事な女の為に着替えも用意できない程リカーの王はケチなのかと聞いてる」
「そんなわけないだろ!あそこにある黒い船は新婚旅行用にと用意したものだ!真珠ちゃんへのプレゼント用にドレスや宝石も沢山積んである!勿論オレと真珠ちゃん用のベッドルームも完備だ!案内するからついて来い」

「シン先生…」
王女は不安そうにシンを見た。
シンは王女の頬に手を添え髪を直すフリをして耳元で囁く。
「船ごといただく」
「えっ…」
「ロイの機嫌を取って引きつけていろ」
目を見張る王女に対してシンは余裕の笑みを浮かべた。


漆黒のリカー船の内装は意外な程煌びやかだった。小国と言えども海から恩恵を受けて発展したこの国は造船技術に最も力を注いでいる。
ロイが美しいシリウスの王女を前に浮かれた気分で船の自慢を始めると、シンとの約束どおり王女も「すごいですね」と相槌を打ちながらロイとの会話を続けた。

「あの眼帯、気を利かせてオレと真珠ちゃんを二人きりにするとは意外といいヤツなのか?」
シンは王女とロイを残して立ち去った。
王女にシンから課せられた役目は、リカー王の気を引き時間を稼ぐことだった。
「さぁ!このドレスの数を見るがいい!オレの妻になればもっと贅沢させてやるぞ」
ロイはクローゼットにずらりとならんだドレスを見せ、王女の腰を引き寄せた。

「う。ちかっ…」
「どうした照れているのか?可愛いやつだ」
「いやっ!えっと…ほら、私はずぶ濡れなので王様まで濡れてしまいますわ」
「真珠ちゃんは優しいんだな。だがそんなことをこのロイ様が気にすると思ったか?」
ロイはさらに王女を引き寄せる。
「む、むりっ」
「ん?無理って何だ?」
「え?わ、わぁ〜!素敵なドレスですね。早く着てみたいなぁ」
明らかに棒読みなセリフを王女は述べたが、恋に浮かれたリカー王は気付かない。
「そうだろう?どれでもいいぞ。オレ的にはこのブラックドレスが真珠ちゃんの白い肌に似合うと思うんだ」

ロイがぱんっと手を叩くと、どこからともなくメイドが二人、部屋へ入ってきた。
「風呂と着替えを手伝うメイドだ。我が妻がいつまでもずぶ濡れでいて風邪を引いては困るからな」
「ひ、一人でできます!は、恥ずかしいので」
「ん?そうか?」
「そ、それとロイ様」
「なにっ?!初めて真珠ちゃんが名前を呼んでくれた!」
「ロイ様がお持ちの…そのティアラを着けてみたいのですが…ダメですか?」
「…」
ロイは手元に大事に抱えているガラスケースの中のティアラを見た。
硝子には僅かにヒビが入っていたがティアラは見事に無事だった。
「これは駄目だ。美しく着飾った真珠ちゃんを見せてくれたら考えないこともないが…っうわっ!」

突然船が激しく揺れる。

「な、なにごとだ?!」
ロイが慌てて嵌め込まれた窓から外を見る。
「動いてる…だと?!オレ様の船が勝手に動いてるぞ!」
「い、今だわ!」
王女は隙を見て部屋を飛び出した。
船が動きだしたら船尾楼甲板まで駆けてくるようにシンに告げられていたからだった。

海水を吸って濡れた衣服が重い。
王女は思い切ってビリビリと裾を破いた。
王宮の中では得たことのない高揚を王女は感じていた。
「待て!」
リカー王が追いかけてくるが、ガラスに入ったティアラが大事なのか、持ったままでは狭い船内で追いつけない。


「シン先生!」
王女はシンの元へと駆け寄る。
「眼帯…これはどういう事だ?!オレの船が何で陸から離れてるっ!船員はどうした?!誰かいないのかっ!?」
船尾楼甲板で出迎えたシンにロイは焦ったように質問を投げる。

「そいつらなら全員海水浴中だ」
数人いたリカー船の乗組員は皆海へ落ち、桟橋の方へと泳ぎ逃げていくところだった。
「一人だけ舵をとらせている。陸から離れるようにとな」
「お、オレの部下だぞ!何を勝手に!」
「ちょっと脅せば言う事を聞いてくれる良い部下を持っているな。ところでロイ。お前を守る護衛は居なくなったが問題なかったか?」
シンは銃を取り出し、ロイの鼻先に向ける。

「どこから武器を!」
「この船は色々と便利なものが置いてあるようだな。俺は馬車に揺られて呑気に帰るのはウンザリなんだ。コレごと戴く」
「何で俺が船をやらねーといけないんだ!」
「船だけじゃない。そのティアラも置いていけ」
「無茶苦茶いうな!コレは帝国…いやこれがないとアイツらが俺の恋路を手伝ってくれんっ!なら、真珠ちゃんをオレに寄こせ。ティアラと交換だ。」
「交換条件、か」
シンが呟き、王女は不安げにシンを見た。

「ロイ。そこにケースを置け」
「ん?」
「そのままあの板の上を歩け」
「ん?あんなトコ歩いたら落ちちゃうじゃねーか」
「心配するな。王女も歩かせる。一緒に海に落ちてお前が陸へ連れ帰ればいいだろう?」
「し、シン先生!?」
「ティアラの為だ」
シンは王女を見つめた。
「交渉成立だな」
ロイはデッキの手すりに掛けられた板に登る。
「さあ真珠ちゃん!この胸に飛び込むがいい!」
「シン先生…」
「板に登って下さい王女」
「…わ、わかりました」
王女は思い切ってロイの待つ板へと登る。

パンッ

それは一瞬の事で―
シンの撃った銃弾がロイの足元を掠めた。
「うわ!やっぱり撃つのか眼帯!」
シンは王女の腕を引き、抱きとめる。
「当然だ。海に落ちるのはお前だけだ、ロイ」
「騙したな〜!!卑怯者っ!!」

バシャンと音を立ててロイは海へと落ちて行った。
「騙される方が馬鹿なんだろ」
重い装飾品に身体を取られ、必死に泳ぐリカーの王をシンは一瞥すると、
「さて。シリウス国に戻りましょうか」
王女のほうへと視線を戻す。

「お母様と弟は…」
シンはそれに答えず、慣れた手つきで大砲を準備し、ドーンと打上げる。
それを見たシリウス兵達は馬車へと向かい、帝国軍の合間を縫って続々と撤退していく。

心配そうな王女の前に背の高い近衛兵が姿を現した。
「二人は御無事だ」
「ナギさん!」
「薬のせいで体調がまだ優れぬようだから、船に居たメイド二人に今部屋を用意させて休んでもらっている」
ナギは端的に状況を述べた。
シンの合図によって船を奪うことを理解したナギは、戦闘の混乱のなか数人の近衛兵たちと共に目立たぬように二人を連れて乗り込んだのだった。
「メイドたちは怯えていたが、シリウスまで戻ってから無事にリカーへ送り届ける約束で協力してもらう」
ナギの優先はあくまでシリウス王族だ。
無愛想に見えるが礼節と武勇を体現し道徳的なこの男の言葉は、自然とリカー王国のメイドたちにも信用を得たようだった。ナギはシンとはまた別の魅力を持ち、見目も抜群に良いのだ。

「リュウガ団長と他の兵達は帝国軍の包囲を抜け陸路で、俺達は海からシリウスに戻る」
「シリウスに海はねーがどうやって国まで戻る?」
ナギが警戒するかのようにシンに訊ねる。
シンはサッと地図を広げ、
「北上してシリウス隣国のリース国に入る。ここは永久平和を宣言している中立国だ。危害を加えられることもないだろう」

「…シン、と言ったな。もう一つ聞く。リカーの男に舵を執らせているようだが、信用できるのか?俺達は航海に関して知識が浅い。思わぬところへ船を運ばれるおそれもある」
「それは問題ない」
「何故?」
「俺が舵を執れるからだ」

自信たっぷりに答える家庭教師を、王女と近衛兵は驚いた様子で見つめた。





















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