Novel

□シリウス国の家庭教師とプリンセス
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「その感情について特別に教えてさしあげましょうか?」
シンは王女に顔を近づけた。
二人の唇は、あと少し馬車が揺れれば重なってしまうほどの距離にあった。王女は躊躇いがちに頷く。

「それは勘違いというものです」
シンは抑揚なく言い放つ。
「かんちがい…っなどではありません…私はシン先生を…」
言いかけた王女の唇に、シンは手袋を嵌めた長い人指し指で触れる。
「自分を導く立場にある私が珍しく、興味を恋心と勘違いしているだけです」
「…そんなことっ…ありません」
「私が間違っているとおっしゃるのですか?」
シンの意地悪な問いに、王女は切なげに唇を噛んだ。だがシンの瞳の方がもっと切ない色を宿していることに初心な王女が気付くことはない。

「貴女はシリウス国の発展の為いずれ他国に嫁ぐ身です。どこの馬の骨とも知れない家庭教師の私と何かあっては問題でしょう」
「そんな…!シン先生は…そんな方じゃないですわ」
「では私の何を知ってると言うのですか?」
シンの眼光が僅かに鋭くなったことで、王女はたじろいだ。
「それは…」

「私は貴女の家庭教師ですから、男女の手ほどきを受けたいのであれば指導は致しますよ。ご要望とあればいくらでもね」
抱き寄せた王女の細い腰をシンの指先が撫でる。
「あっ…」
それだけのことで王女はか細く吐息を漏らし、シンの心を揺さぶろうとする。
だがシンはティアラを横目に捉え、己の目的を忘れないようわざと五感を鈍らせた。


「シ…シン先生…私がティアラを差し上げますと言ったのは個人的な感情が理由ではありません」
「…?」
シンは王女の肩を後ろへ引き、その視線を真正面から受け止めた。
「この気持ちは勘違いなんかじゃありません。こんな気持ちが初めてだから…恋というものはまだよく解らないけれど…でも、私の気持ちは私が決めます」
王女は真っ直ぐにシンを見据えた。

無防備に投げられた無垢な感情に返す言葉も見つけられず、シンは思わず自分の拳を握りしめる。
「ティアラを差し上げたいと言ったのは、このティアラはシン先生が持つべきものではないかという気がしたからです」

(何を…言い出すんだ?俺がウルだと気付いているのか?)

シンは眉を寄せた。
「何故かそんな気がするんです。それにシン先生はとても頭の良い方だし…ですから国同士が争う程の大変な宝だってきちんと正しい使い方をしてくださると思うんです」
シンが見つめればすぐにはにかむはずの幼さの残る少女の姿はどこにもなく、凛とした瞳を持つ気高い王女の顔がそこにはあった。

「…っ買いかぶりすぎだ」
感情を乱して先に目を逸らしたのはシンの方だった。
「そうでしょうか?私は…」
王女の言葉を遮るようにガタンッと突然馬車が止まり、
「敵襲!!」
馬車の脇を並走していたハヤテの声がした途端、馬車の外が騒がしくなる。
シンはカーテンの隙間から外を覗いた。

暗闇に紛れて兵士達が剣を交える閃光がチラチラと見える。鈍い金属音と叫び声が馬車のすぐ近くまで響いてくる。

(敵の数は多くないようだが…。リカーかモルドーの待ち伏せか。もしくは盗賊の類かもしれない)

王女の肩がわずかに震え、シンは王女を抱く手に力を籠める。
「勉強は中断するしかありませんね。●●様、この話は終わりです」
シンは脇にあった絹布を引き寄せ王女をすっぽりと包む。
「ティアラを見張っていてください。貴女は馬車から決して出ずに此処でじっとしていて下さい」
「シン先生っ…?まさか外へ…?」
馬車の外では激しい争いが繰り広げられ、馬の嘶く鳴き声、兵士の倒れる音やぶつかり合う金属音が響いている。
シンは王女を背に馬車の戸を開き、外を見た。
「すぐ済みますのでイイ子にしていてください」
シンは素早く馬車から外へと降り立った。

「宝をさがせっ!」
馬車に向かってくる男達は、片っ端からハヤテの二刀流の剣とリュウガの鋭い刃先に阻まれ、見事に皆地面へと倒れていた。
「くそーっ!!」
倒れていたはずの男が立ち上がり、ハヤテの馬に向かって突進しはじめた。
死角から飛び掛かられたハヤテは、バランスを崩して落馬しそうになる。
シンは懐から銃を取り出し引鉄を引いた。
銃弾は脚をかすめ、ハヤテを襲おうとしていた男は再び地面に倒れた。

「…っあぶねえ…って家庭教師か」
ハヤテは馬上で体勢を整えてシンを見た後、汗をぬぐう。
「何とか全員やったみたいだな」
リュウガが見渡すと、地面に数名の敵が倒れており、ハヤテとリュウガの鬼神のごとき戦いぶりでシリウス国軍には大きな被害は無いようだった。
倒れている敵の一人を起こし、ハヤテは問いただす。
「お前はリカーのモンか?」
「…う…あ…」
「何とか言えよ」
「…っくッ」
男は口を閉ざし、耐えるように俯く。

(この境遇で意地を張るとは大したものだが、尋問が甘い)

シンは持っていた銃を敵のこめかみに突きつけた。
「アタマに風穴を開けて欲しいみたいだな。命を張ってまで守る秘密でもねえだろ?」
「…ひッ」
シンの凄みに身じろぎした男から、カラン、とナイフが地面へ落ちた。リュウガがそれを拾い上げる。
「リカー特産の鋼で出来たナイフだな。こいつらは見たところ訓練された兵ではなく山賊のようだが…リカーに頼まれたのか?」
「いきなり襲ってくるなんてどーゆーつもりだよ。取引条件にあげてきた王女に何かあったらマズイんじゃねえのかよ。リカー国王のロイってのはアイツを嫁にって言ってるんだろ?」
ハヤテは剣を鞘に納めた。
「向こうが王女に気を取られているうちに王妃と王子を奪還して全員で戻るのが今回の目的だが…どうやら王女に気を取られねえ連中もいるようだな」
リュウガが思案するように顎髭を撫でた。

(こいつらは王女ではなく真っ先にティアラを探していた。リカー特産の武器を持たせるあたりが帝国らしいやり方だ。雇い主はモルドー。やはりティアラを狙ってきたか…)

「リカーのバックにいるのはモルドー帝国だ。利益が完全に一致しているとは言い難い。モルドーにとって王女がどうなろうと問題じゃない。奇襲を仕掛けシリウスにリカーが取引を無効にしたと思わせる。そこからむしろリカーとシリウスが争い国力が疲弊することこそが狙いだろう」
シンが言う。
「くっ…俺達のカシラの大事な家族が帝国の大臣に人質にされているんだ。ティアラと引き換えだって言われて、俺達はここを通る馬車を襲えと…」
捕えられた男が悔しげに吐きだす。

「マジかよ。帝国の大臣っつーのが黒幕ってことか?えーと、確かあいつらが狙ってんのは宝のほうだよな。もういっそンなもんさっさとくれちまえばいいんじゃねえの?」
ハヤテは同意を求めるように周りを見回した。
「ティアラは帝国に渡せない。そもそも山賊のクセに人質を取られるほうがマヌケなんだ。」
シンの答えに、リュウガも頷いた。
「ま、俺達が判断できることじゃねえ。守れと言われたら守り通すだけだ。王女様もティアラもな。その男は足をやって動けねえ。手当してやれ。で、後方の荷台に縛って乗せておけ」
リュウガ団長の指示に敬礼し、兵士達は男を連行していった。
ハヤテは頭を掻きながらシンを見た。
「ったく。ただの家庭教師って言ってたワリに脅しも様になってっし、そっちが本性だろ」
シンは何も答えずハヤテを一瞥すると銃を懐にしまう。
そして馬車へと戻った。


「シン…せんせい…」
シンは布にくるまり、怯えた眼でシンを見上げる王女の肩を抱き、引き寄せた。
「問題は解決しました。指定の場所まであと数時間。夜明けには着きます。もうお休みください」
「で、でも…」
「私がこうしていると余計眠れませんか?他の者と変わりますか?」
シンはゆるやかに訊ねた。
「こ、ここにいて…ください」
王女はシンの上着の裾を幼子のように掴んだ。
「でしたら瞳を閉じ、身体を休めて下さい」
「でも皆さん疲れているのに私だけが眠るのは…」
「いーからガキは寝ろ」
「えっ?!」
「寝ろ、と言ってるんです」
シンの有無を云わせない迫力に、王女は高揚する胸を抑えながら、ゆっくりと瞳を閉じた。




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