Novel

□シリウス国の家庭教師とプリンセス
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「宝物庫…ですか?」
「ええ。他国との交流で発展してきたこの国には世界各国の宝が集まると聞きます。その歴史を授業することも帝国学院に入学するための教養として必要です」
シンはできるだけ冷静な声で言う。

(ティアラを見れば、俺は何の為に家庭教師を引き受け、この王宮に来たか思い出すはずだ。決してこんなモヤモヤした感情を手に入れるためではないと)

シンは焦り始めている。
目的を果たし早々と王宮を去ろうと目論んでいたが、いつしか王女の家庭教師の仕事を全うすることばかり考えていて、次第にこの毎日が続けばいいとどこかで思い始めている自分に気付いてしまった。
中庭で居眠りをし、海の話で子供のように目を輝かせ、カトレアをシンに見せようと木に張り付き、押し倒せばレッスンかと真剣な顔で問う癖に、艶かしさを僅かに漂わせながらシンを想うと胸が苦しいのは何故かと無垢な瞳で問う。
目が離せない、とシンは心で呟く。
自分に新しい感情を次々と芽生えさせている目の前の稀有な存在をシンは怖れているのかもしれない。
そして感情の高ぶりに呑み込まれる前に蓋をしようとしているのだ。

「二人だけで行きませんか?誰にも秘密で」
シンがとびきり甘い声で誘うと、王女は耳まで真っ赤にした。
「わ、わかりました。シン先生…表にはソウシが居るでしょうし、私はまたここから飛べばいいんでしょうか?」
「いえ、私がお迎えに行きます」
「迎えに?」
「ええ。この間のロープはありますか?それを隣の間へ移動してバルコニーの柱にしっかりと括りつけて下さい」
王女は言われるがままバルコニーへ出てロープを縛り付け固定した。シンは引っ張って強度を確かめ、それからシュッと壁を伝い、あっという間に王女の部屋にあるバルコニーへと降り立った。


「さぁ、行きましょう」
手を差し伸べるシンに王女はほうっと見惚れるように溜息をついた。
「シン先生…まるでこのあいだ読んだ物語の海賊のようですね。その方も眼帯をされていてお姫様を抱き抱えながら自在にロープを操ってマストを行き来して敵と戦うんです。海に落ちそうで落ちなくて、読んでいるとハラハラしたんです!」
「そしてプリンセスを守る、でしょうか?」
「ええ、とっても強くてたくましくて自由なんです」
うっとりした声で呟き、王女は頷く。
「だが普通はそれは守ると言うより奪う、だろうな」
シンが一人ごとのように小さく言うと、王女は不思議そうな顔をした。

ひんやりとしたシンの手を王女がおそるおそる握ると、ぎゅっとそのまま抱きかかえられ、今度はロープを伝って瞬く間に中庭の芝生へと降り立つ。
シンが改めて王女を見ると、寝着にガウンを羽織り、足元は裸足だった。
「仕方ありませんね」
シンは王女を横抱きに抱えた。
「わっ、えっ…あのっ、重いですし、私は裸足でもかまいませんからっ…」
「ジタバタされると更に重くなります」
ピタリと王女は動くのを止める。
「うっ…、や、やっぱり重いですよね…最近ソウシが作るお菓子がとても美味しくて食べ過ぎていたのは解ってるんですけど…」
王女がシュンと項垂れると、シンはふっと笑う。
「冗談です。こうしているほうが速く移動できますし、それに…面白そうなので」
「え?どういう…?」
シンが顔を近づけると、王女は頬を染めパッと目を逸らした。
「どうしました?身体が熱いようですが、また胸が痛み始めましたか?」
シンは更に顔を覗きこみ、わざと意地悪く訊ねる。
「あの…鼓動が速くて壊れそうなくらいなので…こっ、これ以上はっ…ちょっとっ…」
王女は次第に声をすぼめながら、近づくシンの視線を受け止められずに俯く。
その仕草にシンもぐっと胸の中を掴まれたような感覚に陥るが、
「からかいすぎたようです。私は両手が塞がっていますし、案内をお願いします」
王女から顔を逸らし冷静さを保ちつつ宝物庫の方角を見た。

「シン先生。私の寝室の塔の脇に地下へと続く扉があるんです。そこを通っていきましょう」
「地下?」
そんなものがあることをシンは全く知らなかった。

脇にある背の低い扉には鍵が掛かっていて、王女が首から下げたネックレスについた鍵を差し込むとギイッと開く。
「あの…シン先生。降ろしていただいて大丈夫です」
シンは王女をゆっくりと床へ降ろす。
中は薄暗かったが、ドアの脇にランプが置いてあり、王女は慣れた手つきで灯をともした。
地下道といっても床には絨毯が敷き詰められており、壁に沿って多くの優美な絵画が飾られ、王家の紋章が施されている。ここにある絵画だけでも芸術的価値がかなり高いものばかりだとシンは感じた。
「王家の者と限られた側近だけが知っている通路なんです」
「私に教えてもいいのですか?」

(これがもし良からぬ事を企んでいる信用ならない者だったら世間知らずな王女が機密を漏らしたことになるんじゃないのか。いや、信用ならないってのは…)

「俺もその一人か」
シンは小さく呟いた。
「この通路は非常時などに使うことになっています。どこへつながるのか知りませんが、王宮の外へも繋がっているみたいなんです。だから王家を傍で守ってくださる方にはお伝えしていいと思うんです。…シン先生は、勿論そのお一人ですもの」
シンの心の内と王女の言葉はすれ違っていたが、二人の間に流れる空気は、ちょっとした弾みで今にも加熱してしまいそうなほど危ういものだった。
シンは危うさに気付きながら、ただひたすらティアラだけを想い宝物庫へと続く足を進める。


「シン先生。表に警備の方がいますが、ここのドアから入れば出会いません。そっと入りましょう」
どこかワクワクしたような王女の弾む声にシンははっと我に返る。
王女の持つ鍵によって豪奢なドアが開かれ、階段を登った先にはライトアップされ、静かに各々の美を描き出す宝達がガラスケースに収められていた。
その中心にひときわ輝くティアラがシンの目に止まる。
漆黒の石が埋め込まれ厳かに美しく悠久の時を想わせる気品溢れた造形に、シンはしばらく声を失った。

(あれが…母の祖国の…)

「シン先生?何か気になるものがあるんですか?」
「…いえ。さすがに素晴らしい宝ばかり納められていますね」
シンの声はわずかに震えたが、王女はまだ気付くことが無い。
「ここにあるのはお父様へ贈られたものなんです。どれも歴史ある一品だとか。甲冑や剣、棺桶なんかもあって…オバケがでそうで一人では怖くてあまり来ないんですけど、ひとつだけとても気に入っている宝があるんです」
「それは…?」
「このティアラなんです」
王女はティアラのケースの前に近寄り、シンへ微笑みかけた。


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